マクロンが2度も落ち、そして挫折した、フランスの超エリート養成校「グランゼコール」の正体

フランスでは、パティシエになるのでさえ、学歴が必須

 もうずいぶん前のことになるが、一年間だけ、あるお菓子の専門学校でフランス語を教えたことがある。フランス菓子、和菓子、パンの3つのコースのそれぞれで、製菓用語や初級文法、初歩的な会話を週1時間ずつ講じたのだが、奇妙なことに、授業に臨む姿勢の勤勉さ、成績の優良さの点で、トップは和菓子クラス、ついでパンクラス、意外なことにいちばん不真面目なのがフランス菓子クラスだった。

 不思議に思い、学校の専任職員にこの話をすると、こんな答えが返ってきた。

 和菓子クラスの生徒たちの多くは、代々続く和菓子屋の子女である。したがって、彼らにとって、自分が真剣に勉強し、優秀な成績を取得し、一人前の和菓子職人になれるかどうかは、家の存続と発展にかかわる一大事である。

 それに対して、フランス菓子のコースには、勉強はきらい、かといって高卒ではたらく勇気もない、ケーキ作りくらいであれば、そもそも食べるのは好きだし、なんかオシャレで楽しそうだから、くらいのノリで入学する子が少なからず在籍しているのだそうだ。フランス文化を愛しフランス菓子を究めたいというモティベーションのもとに情熱を秘めてやってくる子なんて、ごくごく少数派らしい。

 フランス語になんて、なんの興味もないわけである。

 フランス最西部、ブルターニュ半島の入り口に、レンヌという地方都市がある。そのレンヌの南に隣接した村サン・ジャック・ド・ラ・ランドの住人にとって、「ル・ダニエル」(Le Daniel)は自慢のパティスリーだ。なかでも、ここのマカロンは絶品であり、近所に住む友人は「フランス全土で〝二番目に〟おいしいマカロン」と絶賛する。なんでも、一番美味しいマカロンはパリのなんとかというお店のそれだとか。

 何かとパリを批判し、「私たちはフランス人じゃない、ブルトン人だ」というほどブルターニュの文化を愛してやまないブルトン人。そのブルトン人の一人である友人が、ブルターニュを代表するパティスリーを外国人である私に紹介するのに際して、「〝二番目に〟おいしい」とわざわざ正確さを期するのが奇妙でおかしかったのを覚えている。このくらいのレベルになると、もはや一番も二番もなく、あとは好みの問題だろうに、と思ってしまうのは、私が日本人だからか。

 フランスでお菓子職人を志す人が行くのは、いわゆる〝私立〟の「専門学校」ではない。「職業リセ」(リセ=国立高等学校)、あるいは「〝国立〟高等製菓学校」 (エコール・ナショナル・スュペリウール・ド・パティスリーl’Ecole Nationale Supérieure de Pâtisserie)である。フランスは「ディプロム(資格・免状)至上主義」の国である。パティシエになるためには「パティシエ職業適性証」(CAP Pâtissier)、チョコレート職人になるには「ショコラティエ職業適性証」(CAP Chocolatier)が求められる。

「高校卒業資格」= 「バカロレア」がなければ就職もできない

 お菓子職人やパン職人を養成するのに、なぜ国家はわざわざ国立学校を設置するのか、なぜ〝国家〟資格でなくてはならないのか、とさきほどの友人に質問すると、どうしてそんな当たり前のことを聞くのか、とでもいいたげな表情でこう答えた。「お菓子やパンは、フランスを代表する文化のひとつだ。国はその水準を一定以上に保つために国としての統一基準を設けている。そのために国立学校で学ばせるのだ」そうだ。なるほど。

 フランスでのディプロムは、ほぼすべて「国家資格」である。この「国家資格」が、それを有する者の能力や適性を客観的に証明する。幼稚園からはじまって大学院にいたるまでの教育課程はもちろん、職業学校もほとんど「国立」であり、年間にわずかな登録手数料がかかる以外は原則として無償である。学費が〝タダ〟であるいじょう、学生たちは日本のように「お客さま」ではない。試験で及第点(20点満点で10点以上)を取らなければ、〝情け容赦なく〟落第となる。卒業後の進路に応じて取得しなければならないディプロムが異なるため、モディベーションなき進路選択なんて考えられない。フランスでは、所有する国家資格がその人の能力の証明であるため、昇進や昇給を望むなら、より評価の高いディプロムを取り直さなければならない。

 フランス人の子どもたちが取得しなければならない最も重要なディプロムが、いわゆる「バカロレア」である。バカロレアとは「高校卒業資格=大学入学資格」であり、社会に参入するための〝最低限の〟国家資格である。バカロレアをもたない者(サン・バックSans Bac)を雇ってくれるところはない。求人はすべて「求む。バカロレア+◯◯年の方」(Bac+)と記される。◯◯年というのは、バカロレア取得後◯◯年で取得する国家資格を表しているのだ。

高校卒業のための試験問題で哲学の論文試験が出題される

 バカロレアの試験は1週間程度続くが、初日が「哲学」の〝大論文〟試験である(ちなみにフランスのバカロレアの試験は、日本の「大学入学共通テスト」のような選択肢型マーク式テストではない。すべての科目の試験が記述式であり、しかも〝小論文〟ではなく、4時間かけて執筆する〝大論文〟試験である)。フランスのリセ(日本の高等学校にあたる)の最終学年では、文系コースであれ、理系コースであれ、〝全〟生徒が「哲学」を履修する。これは、ソクラテスだったら「無知の知」だよな、デカルトといえば「コギト」ね、なんて暗記すればすむ日本の高校の「倫理」とかいう科目とはまったく違う。生徒たちは、「理性」だの「時間」だの「身体」だのという哲学史において重要な議論の的となった諸概念について先哲の見解を参照しつつ、教室で議論を重ね、それらの本質を探究するのである。

 今年のバカロレアも、6月15日(水)8:00より、例年通り「哲学」の試験によってスタート。今年はこんな問題だったらしい。

3つのうち好きな1問を選んで答えよ

-Les pratiques artistiques transforment-elles le monde ?

(芸術の実践は世界を変えるか?)

-Revient-il à l’État de décider de ce qui est juste ?

(何が正しいかを決定するのは国家に帰されるか?)

-Expliquer le texte suivant : un extrait de Cournot, Essai sur les fondements de nos connaissances et sur les caractères de la critique philosophique (1851).

(クルノー『われわれの認識の根拠と哲学的批判の性格についてのエッセー』(1851年)の抜粋テキストを解説せよ。)

 この難問に、フランスの17〜18歳の少年少女たちが、4時間の制限時間内で果敢に挑戦するのである。思うに、日本の大学院博士課程で哲学を専攻するアラサーの学生にとってさえ、こうした問いに初見で解答するのは至難の技ではないか。

 フランスが「哲学」を高校の共通必修科目と制定し、さらに過酷な〝大論文〟試験を課すのにはざっと二つの理由があると思われる。ひとつは、フランス共和国の理念が、デカルトの合理主義やルソーの社会契約論などの哲学的伝統のうえに成立しているからである。もうひとつは、学生たちがどんな進路を取るのであれ、〝自分の頭で筋道をたてて考え、その考えたことを形式にしたがって表現する〟技術は、人生の営みにとってもっとも重要な教養である、と考えるからである。

 さて、バカロレアに合格した高校の卒業生たちは、最終的に志望する職業に就くための必要条件であるディプロムを準備する、次のステップに入る。その課程は多岐にわたっているが、いわゆる総合大学 (Université)への進学を希望する者は、学びたい大学に「登録」の手続きをするだけである。大学ごとの入試は存在しない。だから偏差値なんてものもない。

真のエリート養成機関、グランゼコール

 フランスでは、高等教育を受けたい生徒が進学する先は、いわゆる「大学」だけではない。実は、真の意味でのエリートを養成するもう一つの教育系列がある。それが「グランゼコール」 (Grandes Écoles)である。

 グランゼコールとは、一連のテクノクラート養成機関であり、有名どころでいえば、理工系のエコール・ポリテクニック、パリ国立高等鉱業学校、高等師範学校、パリ政治学院、国立公務学院(2022年に、キャリア官僚養成機関であった国立行政学院の廃校に伴い設立された)などがある。ちなみに、カルロス・ゴーン元日産会長は、ブラジル出身の移民ながらエコール・ポリテクニックとパリ国立高等鉱業学校の2校で学び、後者でディプロムを取得したおそるべきつわものである。

 総合大学とちがって、グランゼコールには難しい入試がある。したがって、グランゼコールを目指すのであれば、バカロレア取得後、「グランゼコール準備学級」 (CPGE)の選抜審査に通ったうえで、2〜3年間そこでさらにおそろしいほど厳しい修行を積まなければならない。しかも常に落第と卒業不認定の脅威にさらされて、である。そしてなんとかCPGEを修了できても、グランゼコールの超難関試験に合格することが保証されているわけではない。

 フランスのエリートは、こうして作られるのである。

著名な哲学者の助手であった経歴が、政治家のセールスポイントになる国フランス

 〝マカロン〟の話で始まったが、ここでいよいよ〝マクロン〟の登場となる。言わずと知れた、フランスの現行の大統領である。彼は、名門リセといわれるアンリ4世校を経て、ナンテール大学で哲学を専修し、そこで哲学のDEA(旧大学教育課程で博士課程の第1年次に取得する国家資格で、これにより博士論文を提出する資格を得る)を取得。同時並行してパリ政治学院で学んでいる。そして2004年に国立行政学院(現在の国立公務学院)を卒業するという、絵に描いたようなエリート街道まっしぐらの人である。

 と言いたいところだが、実をいうとマクロンは挫折も経験している。本当は高等師範学校で哲学を研究したかったが、受験に2度失敗したため、総合大学への進路変更を余儀なくされた。わずかこの点だけが彼の「黒歴史」だ。もし高等師範学校に合格していたら、彼は大統領にはならずに、有能な哲学者になっていたかもしれない。とはいえ、彼がエリート中のエリートであることに変わりはない。

 国立行政学院修了後、上級公務員、ロスチャイルド銀行の投資顧問を経験する。2017年5月の大統領選で、極右政党「国民戦線」(2018年に国民連合に改称)の党首マリーヌ・ルペンに勝利、39歳の若さで大統領に就任した。そして2022年には同様にマリーヌ・ルペンを破って大統領に再選されている。

 マクロンは、フランスではしばしば「ポール・リクールの助手」として紹介されている。リクール (1913-2005)は、20世紀フランスを代表する著名な哲学者の一人で、その研究は現象学、倫理学、精神分析などと多岐にわたっている。私も、生前のリクールに当地で一度だけ会ったことがある。亡くなる直前だったが、気さくで親切な人物だった。

 「哲学者ポール・リクールの助手」という肩書きが、政治家としての〝箔付け〟になる、というあたりがいかにもフランスである。國分功一郎氏や中島義道氏がいかに優れた哲学者であったとしても、日本で、「國分功一郎の助手」だとか「中島義道の教え子」という肩書きが、政治家に「虎の威」を貸すことは、まずないだろう。

 しかし、「哲学的」教養なんていうものが大統領選で〝セールスポイント〟となるからこそ、「マクロンの〝哲学者オーラ〟は過剰演出だ」という非難も登場する。第一回目の大統領選の前年、ミシェル・オフレイ(リクール財団のメンバー)は、「マクロンはリクールの『記憶・歴史・忘却』という本の編集を手伝っただけで、別に大学内でリクールの助手だったわけじゃない。メディアによる言葉の濫用だ。『リクールの助手』なんて言い回しは、大学で哲学を教えていたという印象を与えかねない」と、フランスの雑誌「レクスプレス」で息巻いている(2016年9月6日付Web版)。

 これに対して、「マクロンをリクールに紹介したのは俺なんだけどね」という人物がマクロンを擁護しはじめる。それが歴史家フランソワ・ドッスで、彼は、なんと『哲学者と大統領』という本まで執筆して(2017年)、マクロンに対する「風評」を払拭しようとした。ドッスは、「リクールは、『記憶・歴史・忘却』という新しい著書を準備していたとき、私に、『だれか編集アシスタントをやってくれる学生を知らんかね?』と尋ねた。そこで私は、ためらうことなく、当時パリ政治学院の私の学生で、優れた知性を備えたうえ、人柄も申し分ないマクロン君を推薦した」と書いている。そしてリクールとマクロンの出会いが、当時若干22歳であった後者の哲学的教養にいかに本質的な深みを与えたか、について論じているのである。

 マクロンが、哲学DEA請求論文の指導教授エチエンヌ・バリバール(わずか23歳のとき、ルイ・アルチュセールとともに『マルクス読解』を著した天才)やリクールの思想の影響のもとでみずからの政治的姿勢を形成したことは、ほぼまちがいないだろう。「哲学者マクロン」の〝理念先行型〟の政策は、EU共同体の優位性の維持、反国家主義、移民への寛容性に示されている。

病的な学歴エリート主義への反発 = 極右ルペンの台頭 + 黄色いベスト運動

 対して、マリーヌ・ルペンは、「国民戦線」の設立者ジャン・マリー・ルペンの娘である。ジャン・マリー・ルペンは、ブルターニュの漁師の家庭に生まれた。「電気も水道もない」極貧の中で育ち、おまけに父親を事故で失う。苦学してパリ大学の法学部へ。学生時代から右翼活動をはじめ、1972年に「国民戦線」を組織する。反ユダヤ、移民排斥、EUからの脱退を標榜し、そのセンセーショナルな発言はたびたびメディアで取り沙汰された。現在の党首である娘マリーヌ・ルペンは、このご時世、さすがに父親のように言いたい放題というわけにもいかず、ソフト路線を打ち出してはいるが、移民排除、フランスファーストという信条は変わっていない。こちらは、〝理念先行型〟のマクロンに対して、素朴な〝俗情との結託〟に根ざす、典型的なポピュリズムである。

 私は、ある意味わかりやすいこの対立構図に、フランスの「ディプロム至上主義」「エリート中心主義」の伝統のなかの、ある種の病理〟が透けてみえるように思う。いかにフランスの公教育が〝無償〟であり、ディプロム取得の機会、キャリア形成の機会が万人に〝均等〟に開かれているとはいっても、その機会にすら預かれない人たちはいるし、また相応のディプロムを有していても不遇の人たちもいる。「国民連合」はこうした人々に支持基盤をもっている。

 2019年、マクロンは、歴代のフランス大統領の出身校であり、自らも学んだエリート官僚養成校、国立行政学院(ENA)の廃校を宣言した。2018年秋にはじまった「黄色いベスト運動」に端を発する、エリート中心主義への民衆の反感に応えた形での措置であった。

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