「人格者」が日本経済を滅ぼす。地方衰退が自民圧勝を招くメカニズムを解明する

日本社会を再び成長軌道に乗せるため「地方経済の再生」の重要性が唱えられて久しい。だが現実の地方経済は、衰退には歯止めがかからない。若者や企業の流出、過疎と高齢化……。なぜ、地方経済は成長しないのか。ジャーナリスト・小倉健一氏が、多くの地域に共通する、根本的な問題に斬り込む。
衰退一途の地方経済を支えるリーダーに「人格者」が多い理由
保守知識人の多くが「農協幹部など、地域の顔役となっているような人たちは、人格者が多い。彼らを守ることで、日本の共同体としての価値観を後の時代へと受け継いでいける」と述べているのを著作などでよく見かける。だが、彼らを代表にしている地域は、経済は右肩下がり。人口減、衰退どころか「存亡の危機」に瀕している。
民間企業のトップが自身の実績やリーダーシップで選ばれるのに対し、なぜ、地域においては「人格者」がリーダーになるのか。それは衰退する地方においては、人をまとめるのは、人格者でなければ務まらないからだ。
衰退する日本の地方においては、長期間にわたる撤退戦を強いられている。かつて、多くの賑わいがあった駅前商店街はシャッター街となり、列車の本数は激減。列車はいつしかバスになり、そのバス路線すら維持できなくなりつつある。栄えているのはクルマで20分のイオンモールとその周りだけという状況だろう。
お米が9人前しかいないのに、10人住んでいるとすれば、誰か1人を村八分にするか、全員が0.9人分で我慢するほかないのだ。となると、そんな嫌われ者になれる人間というのは、コワモテの独裁者か、立派な人格者が適任ということになる。独裁者であれば、自分の意向に従わない人を排除するだろう。人格者であれば、全員にお願いして我慢してもらうことになる。
「リーダーは人格だけでは務まらない」。地方は稲盛和夫氏の言葉を思い出すべき
リーダーは人格者であった方がいいが、人格者がリーダーになることと地域が発展するということはイコールではない。これは、経営の神様と呼ばれた稲盛和夫氏も同様の考えだ。稲盛氏は人格を磨け、高い志を持てといった発言が特に注目されているが、稲盛氏の著作を読めば、それは稲盛氏の伝えたい物事の半分でしかないということがわかる。