「いい行いは必ず返ってくる」「ありがとうを1日3000回」資産100億の和製バフェット・竹田和平が、息子に伝えた“運の掴み方”

昨今の日経平均上昇ムードのきっかけとなった投資の神様・Wバフェット。だが日本にも同じように多くの人々から尊敬を集めた投資家がいたことをご存じだろうか。「タマゴボーロ」で有名な製菓会社の経営者でありながら、個人投資家として最盛期は100社以上の大株主となり、「和製バフェット」「日本一の個人投資家」と言われた竹田和平氏だ。プレミアム「勝ち続ける人の『運の引き寄せ方』」第4回では、2016年に他界して7年経ったいまなお、多くの人に影響を与え続ける和平氏の長男で後継者の竹田幸生氏(竹田本社社長)に、その生き様と竹田和平流・運の掴み方を聞いた。和平氏は「ありがとう」を1日3000回も唱えることを目指していたというが、それはなぜかーー。
目次
「株好きのおっさん」が一夜にして「日本一の個人投資家」に
父・竹田和平がこの世を去って7年近くが経ちます。今でも多くの皆さんが和平に対して大きな称賛を寄せて下さいますが、実は息子の私からすると、「なぜ、そんなに評価をしていただいているのでしょうか」というのが素朴な感覚なんです。確かに父に関する書籍も数多く出版され、雑誌やテレビでも度々、「日本一の個人投資家」として紹介されました。ですが、最も身近にいたはずの私には、そうした実感があまりないんです。
そもそも父が世に知られるようになったのは、2000年代に入ったばかりのころ、週刊誌が、「日本で一番多くの企業の大株主になっている個人投資家」と大きく取り上げたのがきっかけです。その時は父が直接取材を受けたわけではなく、私が友人から、「お前の親父が載っているぞ」と言われて、読んでみたら、「『タマゴボーロ』で有名な名古屋の製菓会社の社長が株で成功した」というようなことが書かれていた。編集部が独自に書いた記事だったようです。それから、テレビや雑誌などに立て続けに取り上げられるようになって、いつのまにか「日本一の個人投資家」と言われるようになってしまったんです(笑)。
父が株式投資に出会ったのは、北海道で自分の会社を興して仕事をしていた頃、友人の証券マンに勧められたのがきっかけだったそうです。その後、祖父が亡くなり、自分の会社を処分して家業の竹田製菓(現・竹田本社)を引き継ぐことになったのですが、株式投資は個人の資金で続け、1980年代にはすでに100億円ぐらいの資産を築いていたようです。でもそれまでは、製菓業界ではある程度、名が通っているとは言え、単なる「株好きの中小企業のおやじ」に過ぎなかった。
山一倒産劇を転機に、大型株から中小型株に買い替える
それがなぜ、マスコミの注目を集めるようになったかというと、97年の山一證券の倒産が大きな転機になっているのです。それまでの父の投資対象は日本経済を代表するような大企業、つまり大型株が中心で、山一證券もその一つでした。当然、父も大損をしたわけですが、かなりの株を保有する大株主だったにも関わらず、倒産の前後に、山一側からはなんの連絡も無かったようなんです。もちろん、父も投資家ですから、そうしたリスクがあるのは承知していたでしょう。ですが、父は常々「感謝の気持ちが大事だ」と人々に教えていたぐらいですから、こうした不義理が許せなかったようなんです。