グンマー御三家「小渕家」の圧倒的パワー…ドリル優子「私自身も何でこうなったのか疑念」と語った10年前から何か分かったのか

小渕優子氏の自民党選対院長就任が話題だ。小渕氏といえば「ドリル優子」事件以来、「華やかな舞台」(森喜朗氏)から遠ざかっていたが、なぜこのタイミングで自民党は起用を決めたのだろうか。ルポ作家の日野百草氏が当時の報道や本人の釈明を検証する。
10年ひと昔、「ドリル優子」を知らない若者
『さまざまな課題に対し、何一つ貢献ができなかったことを、心から申し訳なくお詫びを申し上げたいと思います』
2014年当時、小渕恵三元首相の娘で経済産業大臣だった群馬県選出の衆議院議員、小渕優子氏の辞任会見の言葉である。
「将来の女性首相」とまで言われた優子氏の転落。その優子氏が、9年の時を経て今回の岸田文雄首相の内閣改造によって党四役、自由民主党選挙対策委員長に起用された。岸田内閣の目指す女性の積極登用の一貫とされ、閣僚のほうも女性5人の倍増となった。
選対委員長起用に先立つ6月、森喜朗元首相は優子氏のパーティーで「(優子氏を)華やかな舞台にもう一度」と挨拶した。優子氏の父である恵三氏が脳梗塞で倒れたあとに自身が首相になったこと、その相棒であった青木幹雄元官房長官が同月11日に亡くなったことにも言及し、優子氏が「華やかな舞台」から離れていることに「心残りだったと思う」と語った。