泉房穂「金がないから市民に負担増」は真っ赤な嘘だ! 自治体は人も予算も余っていることを国民は知らない

2011年から12年間、兵庫県明石市役所で市長を務めた泉房穂氏。在任中は市役所職員や議員らとの衝突を繰り返し、大手メディアからの批判も多かった泉氏だが、そんな泉氏が、なぜ改革をやり遂げられたのか。いま改めて振り返る、明石市での12年間とは。
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市民からの「私たちはわかっている」の声
私が明石市長になったのは2011年4月のことです。メディアからは泡沫候補扱いも受けましたが、自民党や民主党が推薦した相手を打ち破りました。
市役所はすぐに前例を踏襲しようとする場所。これまでやってきたことを変え、調整や根回しもしない私のことを、応援してくれる職員や議員は当初まったくと言っていいほどいませんでした。12年の市長生活のうち、最初の5~6年は職員や議員から総スカンをくらっていた状態です。
ほとんどの職員は当初、「4年間我慢したら次の選挙で泉は負けるはずだ。だからそれまでの辛抱だ」と思っていたと感じています。腫れ物に触るような扱いで私に接し、仕事を指示しても「やれません」と返事をしてきたのです。