桐島聡と”名乗る”男…「警察の犬」日本の大メディアは裏取り取材をしているのか、犯人視報道しない”報道指針”は守られているのか

1970年代に起きた連続企業爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた桐島聡容疑者を名乗った男が1月29日、神奈川県内の病院で死亡した。警察当局は男が「桐島」であるとほぼ断定しているが、身元につながる証明書や指紋の登録などはなく確認作業に時間がかかっている模様だった。
はたして、半世紀近くも「内田洋」として普通に暮らしていた男は社会を震撼させたテロ事件の容疑者なのか。佐藤健太氏が解説するーー。
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「桐島容疑者の可能性が高い」と報じるしかない理由
「警視庁が『桐島とみられる男』としている以上、我々はそのように報じるしかない」。1月下旬から連日のようにこの件を報道しているテレビ局のある幹部は、「本人しか知り得ない、いわゆる『秘密の暴露』はあったようだが、DNA型鑑定で身元確認するまでは警察としても断定するまではいっていないということだろう」と説明する。
連続企業爆破事件を捜査してきた公安部は警察内部でも保秘に厳格で知られ、どのような手順で“犯人視”されているのか共有されているとは言い難い。警察当局は、男が桐島容疑者と身体的特徴が似ていることや家族構成、事件当時の状況など関係者しか知らない情報を話していたことなどから「桐島容疑者の可能性が高い」と見ており、それに基づいてメディアが伝えていたことになる。
その後親族とのDNA型鑑定などで「親族関係に矛盾ない」という結果が出た。しかし、それ以前からメディアは”犯人視報道”を繰り返してきた。公安部がメディアに漏らしていない確定的な「証言」が男から得られている可能性もゼロではないだろう。ただ、「身体的特徴が似ている」「家族構成を知っている」「事件当時の状況を話している」というだけで、メディアが当局の情報通りに“犯人視”しても良いのかは疑問だ。人々を震撼させた大事件のことは多くの国民は知っている。桐島容疑者についてはネット上にも情報があふれているからだ。
半世紀近くも失踪していたが「最期は本名で死にたい」
1975年4月に起きた東京・銀座の「韓国産業経済研究所」の爆発事件で指名手配されている桐島聡容疑者は、広島県出身で高校卒業後に上京。明治学院大学に入学し、過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーになったとされる。