「死ぬほどテレビっ子だった」プロインタビュアー・吉田豪の人格を形成したテレビという存在。花柳幻舟、ヒステリックス…とにかく強烈だった

昭和を生きた人にとっては、「テレビ」が情報源のほぼすべてだったといえよう。コンプラ意識が希薄だったこともあり、今では絶対にできない演出や企画がお茶の間で当たり前に流れ、人々の脳裏にインパクトを残してきた。百戦錬磨のプロインタビュアー・吉田豪氏も、テレビによって人生を変えられ、生かされてきたと語る。みんかぶプレミアム特集「さよなら、テレビ」第6回。
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テレビを見るため不良からの誘いにウソをついて断る
本当にボクは死ぬほど「テレビっ子」でした。両親が共働きで、外遊びも好きじゃないから、毎日まっすぐ家に帰ってすぐテレビ。ジャンルも関係ないですね。アニメも特撮もドラマも時代劇もバラエティもワイドショーも歌番組も映画もなんでも見まくってて。当時のテレビのチャンネルはダイヤル式だったんですけど、ポスターを丸めたものの先端に切れ目を入れて、寝ながらチャンネルを変えられるようにするぐらいにはテレビ漬けでした。
もちろん漫画とか雑誌も好きなんですけど、お小遣いが少ないから、比重は圧倒的にテレビで、テレビに教育されたのか洗脳されたのか、それぐらいのレベルだったと思います。でも、姉のほうがチャンネル権を持ってるから、こっちはサンライズのアニメを見たいのに全日本プロレス中継を見させられたりの苦労もあって、『戦闘メカザブングル』は再放送待ちになりましたね。友達からの外遊びの誘いを断るのも大変で、『伝説巨神イデオン』の再放送が始まったときは「家が厳しくて、毎日勉強のために帰らなきゃいけない」と嘘をついて、毎日16時半には帰れるようにして全話見ました。
中学生になると不良の仲間入りをしなきゃいけないみたいな時期があったんだけど、そういう人たちはゲームセンターに行くのが好きで、なかなか家に帰ろうとしないんですよ。ボクは一秒でも早く帰って、再放送のドラマやアニメや『夕やけニャンニャン』を見たかったのに!そのせいでボクが不良になりきれなかったのはあると思います。基本的には家にいたいし、どんな人間関係よりもテレビのほうが重要でした。結局、就職して物理的にテレビを見る時間がなくなるまで、ずっとテレビに夢中だったんですよ。