石破下ろしが始まった…年内持つのか?ベテラン秘書「転げ始めたら早いだろう」今度は自分が背中を撃たれる番

自民党総裁選で2着に終わった高市早苗前経済安全保障相の「次の一手」が注目されている。決選投票で惜しくも逆転負けを喫した高市氏は、新総裁となった石破茂首相からの党幹部就任要請を即座に拒否し、「今後は一議員としてサポートしていきたい」と不気味な笑みを浮かべる。親分格だった故・安倍晋三元首相はいかなるポストも拒むべきではないと教えていたとされるが、なぜ高市氏は“石破丸”と距離を置いたのか。経済アナリストの佐藤健太氏は「まだ高市氏は“ワンチャン”に備えて、虎視眈々と機を待っている」と見る。
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岸田・菅・森山の「高市包囲網」
9月27日投開票の自民党総裁選で、高市氏は1回目の投票でトップに立った。党員・党友票は事前予想を大幅に上回る109票を獲得。各種世論調査で人気が高かった石破氏の108票を超え、議員票も72票と石破氏(46票)に差をつけた。主要マスコミは高市氏の議員票が40票程度と見込んでいたが、それを30票以上も上回り小泉進次郎元環境相(75票)に次ぐ“集票力”を見せつけた。
だが、上位2人による決選投票では石破氏が議員票189、都道府県連票26の計215票を獲得。高市氏は議員票173、都道府県連票21の計194票で惜しくも涙を飲んだ。過去の言動や人付き合いの悪さから同僚議員の支持が薄いとみられてきた石破氏。なぜ高市氏は逆転負けを許したのか。
総裁選を取材した全国紙政治部記者は「岸田文雄前首相と森山裕幹事長、菅義偉元首相を中心とした『高市包囲網』が決選投票で爆発した」と解説する。過去最多9人が立候補した今回の総裁選は、政治資金パーティーをめぐる裏金問題を受けて大半の派閥が解消する中で行われた。だが、開けてみれば岸田氏が率いていた派閥「宏池会」から林芳正官房長官、上川陽子前外相の2人が出馬。菅元首相は自らに近い無所属議員グループと小泉氏の擁立に動き、「決選投票で計100票以上を差配できる集団ができあがっていた」(自民党中堅)とされる。
実は、投開票日の3日前には「岸田・森山・菅トリオが『石破氏への投票』で一致した」との情報が巡った。時を同じくして石破氏は経済政策で「岸田政権の路線を継承する」とのメッセージを送り、密かに議員票を固めていった。麻生太郎最高顧問と茂木敏充前幹事長もこうした動きを察知していたが、石破氏に嫌悪感を抱く2人は同調圧力を一蹴。自民党唯一の派閥「志公会」(麻生派)を率いる麻生氏は、逆に1回目の投票から高市氏に投票するよう所属議員に“指令”を出した。
高市包囲網の前に何もできなかった茂木・麻生
だが、麻生派からは河野太郎前デジタルが立候補し、重鎮の甘利明元幹事長は小林鷹之元経済安保相を推している。他の所属議員も一枚岩とはいかず、「麻生会長の指令を完遂するために無理をすれば派内に亀裂が生じかねない状況だった」(若手)という。「平成研究会」(茂木派)を率いていた茂木氏は自らが候補者であり、旧茂木派からは加藤勝信元官房長官も立候補していた。
1回目の投票で茂木氏は議員票34、加藤氏は同16を集めたものの、この「50票」は意のままに動かせる状況にはなかった。旧茂木派を離脱していた青木一彦参院議員は石破氏の推薦人となり、小渕優子組織運動本部長も茂木氏とは距離を置いてきたからだ。岸田政権まで主流派であり続けてきた麻生派と旧茂木派だが、もはや「高市包囲網」に対抗できるほどの力はなかったと言える。
高市早苗が手にした、次のカード
高市氏にとっての“救い”は、森喜朗元首相や萩生田光一元政調会長をはじめとする「清和政策研究会」(安倍派)の支援だった。最大派閥として一時は100人近い勢力を誇り、小泉純一郎政権以降、主流派として権勢を振るってきた集団だ。安倍晋三元首相が死去し、「裏金問題」が直撃する中で最大派閥は解消されることになったが、主要メンバーからの支援を得られたことは今回の総裁選での「最大の成果」だろう。