東大医学部卒・人気美容外科医が、幼少期からやってきた塾・習い事リスト…高3秋の東大模試で最低判定から東大理三現役合格

東大理三に現役で進学し、その後も美容外科医として順調なキャリアを積み上げているDr.ヒロロック(井上裕章)氏。X(旧Twitter)のフォロワー数は1.9万人を超える大人気医師だ。
そんな同氏だが、「公文や鉄緑会は続けられませんでした」「高3秋に受けた東大模試の合格判定は最低評価でした」と意外な来歴を語る。では、どのようにして東大理三に現役合格できたのか。幼少期の習い事やご両親の教育方針など、東大医学部現役合格医師の「育て方」に迫ったーー。みんかぶプレミアム特集「中学受験 栄光への最短ルート」第4回。
目次
灘・ラサール・麻布すべて合格したが、兄の影響で麻布に進学
ーー子供の頃の勉強習慣について教えてください。中学受験はされましたか?
私は山口県宇部市にある小学校に通いながら、福岡県にある英進館という中学受験向けの塾に小3から小6まで通っていました。家から塾までは車で約1時間ほどかかりましたが、兄が小6の時に通い始めたことをきっかけに、私も一緒に通うことになりました。
塾では常に上位のクラスに所属していたので、中学受験を経て麻布中学に進学しました。灘とラ・サールも受験し、どちらも合格しましたが、先に兄が麻布中学に進学したので、私も麻布を選びました。
Dr.ヒロロックが思う、母校・麻布の良いところ…当時は東大理三に一年で6人も進学した
ーー麻布中学・高校時代はどのようなことに取り組んでいましたか?
中学時代は野球部に所属していましたが、高校では軽音部に所属していました。軽音部と言っても形式的なもので、仲の良い友達とバンド活動をしていたという感じです。
麻布は皆さんのイメージ通り自由な校風でした。私が通っていた頃、高校では授業の3分の2程度出席していれば、残りは休んでも問題ないと言われていました。単位制だったので、大学のような雰囲気でしたし、昼休みにゲームセンターに行っても何も言われない環境でした。
一方で、勉強に取り組もうとすれば、熱心に向き合ってくれる先生も多かったので、自由さの仲にもメリハリがあり、自主性を重んじているところが良かったと思います。
麻布から東大理三に進学する人は、通常1人か2人程度だったのですが、私の代は運が良かったのか、比較的多く、現役で3人、浪人で3人、合計6人が進学しました。
ただ、私が麻布で仲良くしていた友人たちのほとんどは、いわゆる「落ちこぼれ」でした。実際、私も大学に7年間通いましたからね。1年余分に在籍してしまいました(苦笑)。
鉄緑会は合わずに中3でリタイア…高3秋の東大模試で最低ランクを取るが、それでも東大理三に現役合格できたワケ
ーー大学受験に向けての勉強はいつから始めたのでしょうか?