ハリス当選で第三次世界大戦の危機、日本もヤバイ!…石破首相は「アジア版NATO」を引っ込めて、一刻も早く渡米しろ!

自民党総裁選で逆転勝ちした石破茂総裁が10月1日、第102代首相に就任した。自らの内閣を「納得と共感内閣」と名付け、就任から解散まで戦後最短となる10月15日公示、同27日投開票の日程で衆院選を実施する。5度目の挑戦で総裁選に勝利した石破氏は、これまで「政治の師」と仰ぐ渡辺美智雄元副総理の言葉を多用してきた。元副総理の長男で行政改革担当相などを務めた渡辺喜美氏に緊急インタビューを実施し、石破首相への思いや提言などを語ってもらった。全2回の後編(聞き手・経済アナリストの佐藤健太氏)
目次
新しい派閥ないし政策集団ができていくのは確実
――9月の自民党総裁選は、過去最多9人の立候補者が派閥解消の中で争いました。かつての総裁選と比べて、どう映りましたか。
(渡辺氏)
岸田文雄前首相が派閥解消宣言を行い、派閥間の合従連衡が働かない総裁選と思われた。自民党で唯一、派閥を解消しなかった麻生太郎元首相がキングメーカーとなるべく、高市早苗前経済安全保障相で「GO」という号令をかけたが、結果は出なかった。逆に派閥解消を主導した岸田氏が「決戦投票では高市氏以外」と旧岸田派議員に号令を出し、「プチ・キングメーカー」となった。皮肉なものだ。
自民党の派閥は中選挙区制の異物であり、小選挙区制と政党中心主義の政治改革以降消えてなくなる存在だったはずだ。派閥が温存されたのは、政治改革そのものが中途半端で、自民党が野党転落後、社会党の村山富市氏を首班に担いで短期間で政権に復帰してしまったせいだろう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の類と言える。
結局、派閥の裏金として「政治とカネ」問題が蒸し返された。政治改革を巡って自民党を離れた石破首相が過去4回の敗退にも関わらず、復権するきっかけともなった。ただ、今後、新しい派閥ないし政策集団ができていくのは確実だろう。理想を言えば、「誰がやるか」「誰と組むか」の前に、「何をやるか」で離合集散して欲しいところだ。これも「ミッチー語録」の1つである。
矛盾・相剋をどう解決するか
――石破首相は著書などで「政党法」の必要性を説いています。渡辺氏も政党法制定への思いがあると思いますが、なぜ必要なのでしょうか。
(渡辺氏)
政党法は必要だ。細川護熙内閣の政治改革に欠落していた最大のものは、全国民の代表たる国会議員と政党の拘束を受ける国会議員の矛盾・相剋をどう解決するか、という議論だった。「ミッチー語録」いわく、「派閥の前に党があり、党の前に国家国民がある」。これは「40日抗争」と呼ばれる当時の大平正芳首相と福田赳夫前首相が首班指名で争った時、大平氏を応援して中曽根派を除名された親父が言った言葉だ。自民党総裁選の派閥抗争を首班指名に持ち込むとは何事だ、というわけだった。
全国民の代表たる国会議員は本来、誰の「代理人」でもない。農協、医師会、郵便局、労働組合、経団連、各選挙区など意見は聞いても「命令委任」は受けない。これが近代議会制の「原理原則」だというのは、ミッチーが好んで使った言葉である。
一方、政治改革は小選挙区制と政党助成金で政党中心主義を確立し、中選挙区の結果できる派閥の弊害、つまり「政治とカネ」の問題を解決する趣旨だった。では、この相反する理念をどう調整するのか。その答えが政党法だったのだ。政党助成法は政党法と名打ち、会社に会社法があるように政党のガバナンスを規定する法律にすべきだった。しかし、一部の憲法学者は政党法に猛反対したし、野党の自民党も余計なタガをハメられるのは嫌だったから政党法の議論は回避した。
左派が反対する歴史的背景は、西ドイツが「ボン基本法」のもと、全国民の代表たる国会議員と政党拘束を受ける国会議員との矛盾を徹底議論し、政党法をつくる際、ナチスと共産党を禁止する「闘う民主主義」をとったことに起因する。結社の自由をおかす政党法はまかりならん、とは与野党の共通理解だったと言える。
なお、国民代表制の理念を守るのに法律はいらない。党議拘束を緩和するだけで良い。臓器移植法の時は、共産党を除く全国会議員が自らの思想と信条をかけて可否の記名投票を行った。そういう場面がもっと多くなり、「交差投票」がなされても良いのではないか。
こうなったらどんどん豹変したらいい
――石破首相が今なすべき改革には何があると考えていますか。首相にアドバイスをするとすれば、どのようなことを投げかけますか。
(渡辺氏)