「Fラン大という名の大学はない」弁護士が悠仁様の筑波大推薦合格について伝えたい経済と社会の話

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下の長男、悠仁さまが筑波大学生命環境学群生物学類の学校推薦型選抜に合格された。
悠仁さまの進学が象徴する経済的なメッセージは、多様な価値観の尊重だ。現在、日本では「大学の序列化」が進み、教育機関が偏差値やブランド力で一律に評価される傾向が強い。しかし、このような評価基準は、大学ごとの独自性や地域社会への貢献を軽視してしまうリスクがある。皇族という特別な立場にある悠仁さまが筑波大学を選ばれたことは、教育の多様性を重視するメッセージとして広く受け止められるだろう。これは日本社会が健全に経済発展していくうえで大切な視点だ。
作家で経済誌プレジデントの元編集長・小倉健一氏が、弁護士の野澤隆氏に聞いたーー。
目次
「Fラン大という名の学校はない」
「雑草という名の草はない」という言葉は、昭和天皇が植物研究に関心を寄せていた際に発したとされる名言である。植物分類学に深い造詣を持つ昭和天皇は、庭園や野山の草花一つ一つに名前をつけ、その特徴を丁寧に観察していた。この言葉には、どの草も固有の名前と役割を持ち、無価値なものなど存在しないという思想が込められている。人間社会にも通じる普遍的なメッセージとして広く知られ、自然への敬意と個々の存在の尊さを象徴する一言である。
この言葉を念頭に、「Fラン大という名の学校はない」と指摘するのは、城南中央法律事務所(東京都大田区)の野澤隆弁護士である。「Fラン大」とは、「ボーダーフリー」の「ランク」にある大学、つまり低偏差値帯に位置する大学を示す隠語である。後に述べられているように、この指摘にはいくつかの意味が込められている。
秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下の長男、悠仁さまが筑波大学生命環境学群生物学類の学校推薦型選抜に合格された。この推薦入試では書類審査、小論文、個人面接が行われ、幼少期から取り組まれてきたトンボや自然環境に関する研究が高く評価されたとみられる。筑波大学は茨城県つくば市に位置し、広大な敷地を持つ国立大学で、生物学や自然環境研究に適した学びの場として知られる。
悠仁さまはお茶の水女子大学附属幼稚園から小学校、中学校を経て、筑波大学附属高等学校へ進学され、皇族として異例の進路を歩まれてきた。進学先として東京大学も候補に挙がっていたが、推薦入試利用への反発などを受けて断念し、筑波大学を選択されたと報じられている。
少子化を背景とした学習院大学の入試偏差値の下落
この進学について、「本人の希望を尊重する」という秋篠宮家の教育方針が背景にあるとされ、多くの国民から祝福と期待の声が寄せられている。悠仁さまの筑波大学入学について、法理論的視座から野澤隆弁護士に見解を伺った。
ーー学習院大学は私立大学です。国立から私立に転換した珍しい発展過程をたどってきました。対して、筑波大学は国立。現代の皇族にとって、学習院が以前ほど選ばれなくなった理由は何だと思われますか?
(野澤弁護士)
秋篠宮文仁殿下と紀子妃殿下は、学習院在学中の出会いをきっかけに結婚されており、眞子さま及び佳子さまも、学習院で初等教育・中等教育を終えています。しかし、悠仁さまの学歴に学習院の名前は一切なく、秋篠宮夫妻を中心とした関係者が、時代背景をふまえ学習院をあえて避けた可能性は相当程度あります。
では、その時代背景とは何でしょうか。いろいろ挙げられるのは当然ですが、やはり一番大きいのは、少子化を背景とした学習院大学の入試偏差値の下落であろうと考えます。女子学生を中心に実学志向がますます高まる中、文系中心で古風な華やかさのイメージが強い学習院は苦戦しており、その結果、眞子さん及び佳子さまが選択した国際基督教大学(ICU)や悠仁さまが入学予定の筑波大学に勝る教育力・ブランド力を維持できず、それらが進学先決定に大きな影響を与えた可能性が高いと思われます。
とはいえ、戦前の学習院には特権的な地位が与えられていましたが、戦後の学習院はあくまで私立の一学校法人にすぎず、国費を優先的に割り当てられているお茶の水女子や筑波といった国立系学校と比較等することは、ご無体、今風に言えば「ムリゲー」であるかもしれません。
ーー皇族教育、華族教育の中心であった学習院の特権的な地位を認めていない現行憲法の天皇制について教えてください。
(野澤隆弁護士)
現行憲法で一番有名な条文は戦争放棄・戦力不保持を定めた9条ですが、その前の1条から8条がすべて天皇制に関する規定であることは一般に意外に知られておらず、規定の基本思想は天皇の権限の制限、つまりは西洋型の民主主義です。
皇族が自分の学力などをふまえ進学先を選ぶ意味
そして、「法の下の平等」を規定した14条が「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と念を押し、89条が「公の支配に属しない」宗教団体や教育事業等に対し公金支出を制限するなど財政面でも縛りがかけられ、加えて、戦前の旧制高校・陸海軍系の士官学校などが廃止された結果、東京大学(東大)入試を頂点とする学力選抜重視の戦後の国公立大学優位の教育システムが確立され、これが日本のメインストリームとして現在も維持されています。