退職後はラーメン屋でアルバイト…200万円を2億円にした投資家が語る「エントリーの仕方」「失敗からの学び」

デイトレーダーとして華々しい成功を収めた後、複数の事業を展開し、多方面で活躍する山下拓馬さん(通称:ヤーマン)。彼の投資人生のスタートは、大学時代に芽生えた「証券ディーラー」という職業への興味から始まった。全3回にわたるインタビューの第1回は山下さんの投資人生を聞いた。
目次
「証券ディーラー」に憧れ就職活動
ーーまずは投資家になる前にどんな仕事をされていたのか教えてください。
大学時代に「証券ディーラー」という職業に興味を持ちました。株自体は当時あまり触れていなかったのですが、9時から15時までの取引時間が終わると、比較的ゆったりとした勤務スタイルで働けると知り、魅力を感じました。
しかし、新卒からディーラーになれるのは非常に珍しいことです。必死になって証券ディーラーとして働ける会社を探し、岡三証券や豊証券など、いくつかの会社を候補に挙げました。結論から申し上げますと、晴れて証券会社に入社できる運びに。大阪の地場証券に新卒採用されました。
入社したのは2008年。証券ディーリング部門へ配属されました。仕組みは、会社の資金を使って売買を行い、利益に応じてボーナスが反映されるというものです。ディーラー業務は2010年まで続けましたが、その年に会社が合併。合併後、証券ディーリング部門の規模が縮小され、私は営業職に異動となりました。
営業職として約2年間勤務し、2012年半ばに退職。その間も株取引への興味が続いており、個人としてトレードをしたいという思いが強くなったため、退職を決意しました。
退職し個人投資家へ…ラーメン屋でアルバイトした過去も
ーーディーラーの経験からトレードなどで稼げるという自信があったのですか?
そうですね。当初は資金が十分ではなく、貯金もほとんどありませんでした。そのため、まずは200万円を貯め、デイトレードに挑戦する計画を立てました。当時の信用取引制度には運用の柔軟性に制約があり、回転売買を自由に行うことはできませんでした。
ところが、2011年末に新聞で「信用取引の規制緩和が始まる」という見出しを目にしました。従来の制度では、100万円の資金で300万円分の信用取引を行うと、その日の取引はそれで終了してしまう仕組みでしたが、規制緩和によって売買を完了すれば再び300万円分の取引が可能になることを知り、これを大きな転機と捉えました。このニュースを受け、「これだ」と確信し、デイトレードを本格的に始める準備を進めることにしました。
そして2012年夏、新聞で「2013年から規制緩和を開始する」という記事を目にし、退職を決断。2012年秋からデイトレードをスタートしました。ただし、貯金は200万円しかなかったため、生活費を補うためにラーメン屋でアルバイトをしていました。
1万円しか利益が出ない月もあった
ーー当時はどのようなスケジュールで生活されていたんですか?