「コメ高騰対策、やってるふり」農水省が「バラマキ計画」発表…経済誌元編集長「農業の名を借りたただの税金泥棒」

コメが高い。2025年4月15日、日本経済新聞はある衝撃的な見出しを掲げた――「『1食』のコメ価格、パンの2倍」。同紙が伝えたのは、東京都区部における価格統計をもとに、ごはん1膳(精米65g=炊飯後150g)のコストが57円に達し、食パン1枚(6枚切り、約60g)の32円を大きく上回ったという事実である。およそ1.78倍という数値に「2倍」と見出しをつけた判断は報道的に議論の余地はあるものの、重要なのはこの価格差が突発的な変化ではなく、長年の政策の結果として現れている点にある。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
目次
農水省発表「農業構造転換集中対策」の方便
米価高騰問題は単なる市場の一時的な変動ではない。農林水産省の内部に長年積み重なった構造的な腐敗と、歴史的に歪められた農政の延長線上にある。農水省は自らの組織温存を最優先し、国民負担を軽視し続けてきた。今回は、まず農水省と全国農業協同組合連合会(JA)および農林族議員との癒着の実態を明らかにし、国際貿易交渉の産物であるミニマム・アクセス(MA)米が、国内米市場にいかなる歪みをもたらしたかを検証する。
2025年4月25日に農水省が発表した「農業構造転換集中対策」は、表向きは改革を謳いながらも、実態は特定利権層を温存するための方便に過ぎない。本稿を通じ、現在の農政がいかにして国民に犠牲を強いながら、既得権益層の利益だけを守ろうとしているかを浮き彫りにする。農政の歪みは単なる偶然ではなく、長年にわたる癒着と制度疲労の必然的な帰結なのである。
雑誌「選択」2025年4月号に掲載された『《 日本のサンクチュアリ》 農水省農産局「令和の米騒動」諸悪の根源』は、現在の米価高騰問題の根源を、単なる市場の変動や短期的な要因ではなく、農林水産省内部の構造と歴史的経緯から深く掘り下げた、極めて示唆に富む分析である。特に、省内に「漸進派」(旧食糧庁系、政府調整重視)と「急進派」(経営局系、市場重視)が存在し、その対立と妥協が政策の迷走を招いてきたという指摘は、これまで漠然と感じられていた農政の一貫性のなさに、明確な輪郭を与えるものである。この分析は、問題の本質を理解する上で貴重な視点を提供しており、高く評価したい。
年間数千億円規模「MA米関連財政赤字」の意味
この記事が明らかにしているように、旧食糧庁を源流とする勢力(漸進派)は、省庁再編や政権交代といった荒波を乗り越え、驚くべき生命力でその権限と影響力を維持してきた。食糧庁廃止後も、政策統括官ポストや現在の農産局という形で「ミニ食糧庁」とも言うべき組織が再編・維持され、米麦の生産から流通、貿易、特別会計に至るまで、包括的な権限を握り続けている。彼らが命脈を保つ理由は、JA(農業協同組合)や食品流通業界、そしてその背後に控える自民党の農林族議員との強固な結びつきにある。
さらに、この記事が示唆する、MA(ミニマムアクセス)米の運用における米国との「持ちつ持たれつ」の(そして密約すら疑われる)関係性は、国内の農業保護という建前の裏で、いかに組織防衛と外交的実利が優先されてきたかを物語る。年間数千億円規模のMA米関連財政赤字は、まさにこの歪んだ構造を維持するためのコスト、旧食糧庁系既得権益の維持費に他ならない。
日本の農政を支配する者たちの姿
そして、この記事が歴史的な教訓として挙げる1918年(大正7年)の米騒動との類似性は、現在の状況を理解する上で極めて重要である。シベリア出兵前の米価高騰に端を発し、当初「悪徳商人投機説」が流布され、政府が備蓄米放出などの対策を打ち出すも効果がなく、最終的に騒動の激化と内閣総辞職を招いた。現在の「令和の米騒動」においても、価格高騰の原因として「転売ヤー」や「流通の目詰まり」が政府によって声高に叫ばれ、政府が効果の薄い備蓄米放出に追い込まれている経緯は、まさに100年前の失敗をなぞっているかのようである。歴史から何も学ばず、同じ過ちを繰り返す。これが、日本の農政を支配する者たちの姿なのである。
このように、農水省内部の構造的問題と歴史的な教訓を無視したまま、現在進行している米価高騰への対応、そして未来に向けた「改革」と称する動きは、果たして信頼に値するものだろうか。否、断じて信頼には値しないのである。
農林水産省が「農業構造転換集中対策」(4月25日発表)と銘打ち、今後5年間で過去最大級の予算を投じるとぶち上げた計画こそ、これまでの失敗を糊塗し、さらなる税金の浪費と利権の温存を図るための、壮大な欺瞞に他ならない。
農水省の無茶苦茶すぎる制度設計
確かに、計画に掲げられた目標、例えば農地の大区画化によるコスト削減(目標9,500円/60kg)、スマート農業導入による効率化、輸出拡大(米35万トン目標)といった方向性自体は、表面的には妥当に見えるかもしれない。
問題は、それを実行する主体である農水省自身の、信頼性の欠如と構造的欠陥である。これまで見てきたように、この組織は制度設計の段階から曖昧さを残し(制度設計型怠慢)、現場での執行管理はずさん極まりなく(執行管理型怠慢)、政策の効果を検証する仕組みすら持たない(事後検証型怠慢)。厳格な成果指標(KPI)は不在で、何をもって成功とするのかすら誰もチェックしない(KPI不在)。本省、農政局、地方自治体の責任分担は不明確で、問題が起きても誰も責任を取らない(分断統治)。そして、補助金の配分は政策的合理性ではなく、業界団体や政治家への「配慮」によって歪められる(政治配慮型支出)。これは、過去3年間の会計検査院報告書が繰り返し証明してきた動かぬ事実である。
このような腐敗しきった組織構造を微塵も改革することなく、ただ「集中対策」と称して巨額の予算を積み増す。これが一体何を意味するのか。答えは火を見るより明らかだ。増額された予算は、これまでと同様、非効率な公共事業、現場で使われもしないスマート農業機械の購入、効果不明な施設再編補助、そしてJAをはじめとする関連団体へのバラマキに消えていくだけである。
中身のない「やってるふり」農政の典型
会計検査院が指摘した「稼働しない施設」「就農しない若者への補助」「目的外使用される漁船」といった事例が、今後5年間、さらに大規模に繰り返されることになるだろう。「スマート農業技術の実装加速化」に令和5年(2023年)補正の10倍、100億円もの予算を計上するというが、その効果を誰が、どのように測るというのか。過去の失敗から何も学ばず、ただ予算規模を膨らませることだけが目的化している。
これこそ、自民党農林族のドンである森山裕氏や、国民不在の発言を繰り返す江藤拓大臣一流の、中身のない「やってるふり」農政の典型ではないか。
自民党は農水省と結託して「KPI不在」をこれまで意図的に作り出してきた。成果を測らないようにしておけば、失敗が露呈することもない。失敗が露呈しなければ、誰も責任を取らなくて済む。予算を確保し、関係団体に配分し、選挙で票を得る。そのサイクルを回すことだけが彼らの関心事なのだ。国民の税金がどう使われようと、日本の農業がどうなろうと、知ったことではない。まさに国賊的行為と言わざるを得ない。
「集中対策」という名の税金泥棒計画
この「集中対策」は、農業の構造転換などではなく、農水省と自民党農林族、そして関連業界が一体となった「利権維持集中対策」である。国民の目を欺き、批判をかわしながら、旧態依然としたシステムを延命させるための、最後の悪あがきなのである。大区画化された農地に、使われないスマート農機が並び、再編されたはずの共同利用施設が赤字を垂れ流し、輸出目標は達成されず、そして国民は依然として高い米を買い続ける。これが、彼らが描く「農業の未来」の姿だ。
ふざけるなと言いたい。
国民はこの欺瞞に満ちた計画を断じて許してはならない。農業改革とは、自民党農政と農水省自身の解体的出直しから始まるべきだ。補助金行政の透明化、事後チェックと計画未達について責任の所在を明らかにした厳格なKPI設定と第三者評価の導入、天下りの根絶、そしてJAをはじめとする既得権益構造の打破。それなくして、いくら予算を積み増しても、日本の農業に未来はない。この「集中対策」という名の税金泥棒計画を阻止し、国民と農家のためになる農政を実現させること。それこそが、我々に課せられた責務である。農水省と自民党の無反省と怠慢を、これ以上許してはならない。