在留外国人急増「呼ぼうとしている政治が悪い」自民・小野田氏…日本はどう変わる?「クルド人難民報告書の衝撃」元経済誌編集長が指摘

今、日本に住む外国人が増えている。出入国在留管理庁によると日本に在留する外国人の数は去年12月末の時点で376万9000人と、前年の同期比で35万8000人増えて過去最多となった。在留資格別では「技能実習」が前年より5万2000人多い45万7000人、「留学」が6万1000人多い40万2000人となっている。そんな中で自民党の小野田紀美参院議員は参院決算委員会で「爆発的に、いっぱい外国人観光客や労働者を呼ぼうとしている政治が悪いが、それをこの人数で管理しろというのは『できるのかな』と思っている」と述べ、話題を呼んだ。日本社会や生活は今後、どのように変わっていくのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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移民政策の運用に重大な課題
日本に住む外国人の数は年々増えており、社会や経済のあり方にも影響を与えている。在留外国人数は、昨年末には約376万人を超え、過去最高を更新した。東京、大阪、愛知、神奈川、埼玉など都市部に集中している。国籍では中国、ベトナム、フィリピンなどが上位を占める。外国人の社会的存在感が急速に高まっていることは否定できない。
一方で、不法残留者も7万人以上存在しており、トルコ国籍者は前年より増加した。2023年には川口市でクルド人同士の殺人未遂事件が発生し、病院に100人以上が集まって騒動となり、救急搬送が止まる事態も起きた。この事件は、移民政策の運用に重大な課題があることを明らかにした。
その後、トルコ政府は在日クルド人に対し、PKKとの関係を理由に資産を凍結した。政治的な対立が日本国内に波及し、地域住民と外国人コミュニティの間に不信感が生じた。SNSではヘイトスピーチも拡散し、社会の分断が進んだ。
仮放免制度も課題である。難民認定を受けられなかった外国人が仮放免のまま長期間滞在し、働けず、移動も制限されることで生活困窮に陥る。不安定な状態が制度によって放置されている。2024年には浜田聡参院議員が、法務省の「トルコ出張調査報告書(地方視察編)」を公開し、川口市に定住するクルド人の多くが出稼ぎ目的で来日していたことが判明した。報告書には、「なぜ日本に行ったのか」との質問に対して、「お金を稼ぐため」と答える事例が記載されており、「難民」としての申請が実態に合っていない可能性が示されている。
実際には法の空白を生む構造になっている
このような事例は、難民制度の信頼性を揺るがす要因となる。仮放免という制度が「人道的配慮」とされながら、実際には法の空白を生む構造になっている。
制度が適切に機能すれば、外国人をめぐる問題は一定程度抑え込むことができる。だが現実には、制度が曖昧なまま運用され、行政の監視も行き届かず、地域社会に混乱が生じている。たとえば仮放免制度は、人道的措置として設けられたものだが、制度の中で生活する人々が働けず、移動も制限される状況は、健全とは言えない。制度を設ける側が、その制度を機能させる努力を怠れば、住民の不信感や排斥感情が増幅するのは当然である。
仮放免の制度が不透明な状態で続けば、外国人の存在が制度の外側にあるように見えてしまう。不法就労、不法居住、制度の抜け穴といった問題が表面化するたびに、社会の側も警戒を強める。誠実に制度を守っている外国人までもが疑いの目を向けられるのは、公平性を欠く結果である。だからこそ、制度の透明性と説明責任が必要になる。行政が「見える化」を徹底することで、誰がどこで何をしているのかがわかるようになれば、不安も緩和される。
制度が乱用されれば、制度そのものへの信頼が崩れる
浜田聡議員が公開した法務省の報告書は、現地の村人が日本語を話しながら「出稼ぎだった」「日本は稼げる」と答えていた実態を記録していた。この証言は、「難民=迫害されて逃れてきた人」という一般的なイメージと大きく食い違う。こうした現場の声を正面から捉えることは、制度設計を見直すうえで重要である。政策は理想で動かすのではなく、実態に基づいて調整すべきである。
仮に難民制度を人道的視点だけで語るならば、保護されるべき人々の審査にすら影が差す。制度が乱用されれば、支援の対象がぼやけ、制度そのものへの信頼が崩れる。制度を厳格に運用することは冷たい態度ではなく、正しい受け入れの前提である。正しく守られるルールがあってこそ、国民も安心し、外国人も自らの立場に誇りを持つことができる。
制度による公平な選別が行われなければ、「善意の外国人」と「制度を悪用する外国人」の区別は困難になる。ルールが曖昧であれば、行政の対応も恣意的となり、市民の信頼も損なわれる。結果として、不信や誤解が深まり、社会の分断が進む。国籍や宗教を理由に排除するのではなく、行動と制度順守を軸に線引きを行うべきである。
問題は制度。外国人ではない
外国人の存在を問題視するのではなく、制度が対応しきれていないことこそが問題である。見えないままの制度、説明されないままの運用、不整合が放置されたままの仕組みこそが、社会の安心と信頼を壊している。地域社会の平穏と公平な行政運営を維持するには、ルールの明確化、情報の公開、そして責任の所在の明示が不可欠である。
受け入れ政策において最も大切なのは、「誰を、どのような理由で、どのような条件で受け入れるのか」を社会全体で共有することにある。その共通理解がなければ、制度は感情によって揺らぎ、都合よく使われ、結果としてどちらの側にとっても損失を生む。外国人との共生は、曖昧な寛容では成り立たない。制度の精緻さと運用の透明さが担保されて初めて、安心して暮らせる社会が築かれるのだ。
OECD諸国を対象とした経済研究『OECD諸国における移民経済学入門』(2020年)は、移民の受け入れがもたらす経済的影響は一律ではなく、各国の制度設計や運用によって大きく左右されることを指摘している。影響は労働市場、税と財政、社会文化、地域の統合といったあらゆる分野に及び、その帰結は単純ではない。
移民流入によって現地労働者の賃金圧迫の懸念
重要なのは、「誰を」「どのように」受け入れるかという制度的選別の仕組みであり、それが不十分なまま移民が急増すれば、想定外の負担や混乱が社会の各所で表面化する可能性がある。各国の事例を数字で丁寧に検証し、日本における今後の移民政策のあり方を再考する必要がある。
労働市場では、移民の流入によって現地労働者の賃金が圧迫されるという懸念は根強く存在してきた。確かに一部の国では、全体平均としての影響は限定的とする報告もあるが、より精緻に層別化すると、低学歴・低技能層ほど負の影響を受けやすいことが実証されている。アメリカでは、低技能移民の増加により、同程度の技能を持つアメリカ人労働者の賃金が有意に低下したとされる。デンマークでも同様の傾向が確認されており、柔軟な労働市場を持つ国ですら、調整がうまく進まない層が発生している。フランスやカナダでは、高学歴の移民の受け入れが賃金格差の縮小に貢献したという例もあるが、それは「移民全体」ではなく、「選別された移民」に限定された現象である。
税と社会保障への影響は、属性・出身国などで分かれる
税と社会保障への影響についても、移民の属性や出身国、就労状況により大きく分かれる。英国では、EU出身の移民については1995年から2011年の期間において財政面での貢献が見られたが、非EU圏出身の移民は、同期間において財政収支が明確にマイナスとなっていた。米国では、移民第1世代が人口の17.6%を占める一方で、財政赤字の22.4%を担っていたという分析も存在する。フランスでは2006年時点で移民の財政効果はGDP比で+0.2%とされているが、その数字は極めて限定的であり、過度な期待を抱くべきではないという評価も出ている。納税者という側面だけでなく、福祉・教育・医療サービスの受益者としての側面も考慮しなければならない。
文化や社会への影響についても、移民が新しい価値や活力をもたらすという理想論とは裏腹に、実際には生活習慣や宗教、言語の違いによって地域での摩擦や孤立が生じやすい状況が各国で報告されている。カナダでは移民が10%増加すると、輸出が1%、輸入が3%増加するという好例があるが、その一方でフランスやオーストリアでは移民の集中と右派政党の得票率上昇が明確に相関しており、社会的分断の兆候、移民が住民の不安を増大させることをを浮き彫りにしている。価値観の違いが深刻な分断を生むリスクが、都市部よりも地方で顕著であることも示唆されており、「多様性」の持つ正負両面を直視する必要がある。
政治の領域では、移民政策が社会の安定性や統合度を左右する要因となる。移民に対する国民の評価は、単なる経済指標では捉えきれず、宗教観や歴史的記憶、治安への不安など、情緒的かつ文化的な要素に深く結びついている。合理的な経済計算だけでは移民政策の受容は進まず、逆に制度への不信が高まれば、移民排斥を訴える急進的な勢力が支持を集める温床となる。事実、欧州各地で移民の流入と極右政党の支持拡大が連動しており、制度の設計ミスが政治の極端化を招くリスクも現実化している。そうした事態を避けるためには、制度の透明性と、受け入れ能力を超えた無制限な流入に対する明確な制御が必要である。