トランプ関税、なぜ中国に負けた「トランプは家に火をつけ、それからバケツ一杯の水を持ってきた」習近平が見つけた「アメリカの急所」

ドナルド・トランプ大統領が打ち出した「相互関税」によって世界経済は混乱に陥った。しかし発表直後、日経平均は3万1000円を割ったが、その後日経平均はトランプ関税前の水準まで回復した。ドル円レートも一時140円台を割り込んだが、150円が視野に入る円安となった。一体何が起きているのだろうか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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トランプ政権の関税政策が当初の威勢とは裏腹に、大きな壁に突き当たった
2025年4月初旬、世界経済はドナルド・トランプ米大統領が打ち出した「相互関税」という名の保護主義的政策によって激震に見舞われた。日本やEUを含む約60カ国に対し最大49%もの追加関税、全ての輸入品への一律10%関税という内容は、瞬く間に金融市場をパニックに陥れ、世界的な貿易戦争と景気後退への懸念を現実のものとした。しかし、その強硬策発動からわずか1週間余り、トランプ政権は中国を除く多くの国々に対する高率関税の導入を90日間一時停止するという劇的な方針転換を発表した。同時に、中国に対しては報復関税への対抗として、関税率を最大125%にまで引き上げるという強硬姿勢をエスカレートさせた。この一連の動きは、トランプ政権の関税政策が当初の威勢とは裏腹に、大きな壁に突き当たったことを示唆する。特に、なぜトランプ政権は中国以外の国々に対しては事実上「後退」し、中国との対決姿勢を先鋭化させたのか。そこには「トランプ関税、なぜ中国に負けた(あるいは、中国以外の国に強硬策を維持できなかった)」という問いに対する答えのヒントが隠されている。
トランプ大統領が4月2日(米東部時間)に「解放の日」と銘打って発表した関税政策は、文字通り世界を震撼させた。日本には合計24%、EUには20%、ベトナムには46%といった高率の「相互関税」が4月9日から発効するとされ、さらに4月5日からは全ての輸入品に一律10%の関税が課されるという内容だった。この発表直後から、世界の株式市場は連日暴落し、安全資産とされる米国債まで売られる異常事態が発生した。企業経営者からは悲鳴が上がり、共和党内部からも懸念の声が公然と表明され始めた。ジェイミー・ダイモンJPモルガン・チェースCEOやラリー・フィンク ブラックロックCEOといった金融界の重鎮も、景気後退リスクへの強い警告を発した。世論調査でも関税反対が半数を超え、トランプ政権への風当たりは急速に強まっていった。
経済的・政治的圧力の大きさ
ウォール・ストリート・ジャーナルは2025年4月9日付の記事「Why Trump Blinked on Tariffs Just Hours After They Went Into Effect」で、「株式市場と債券市場の急落、そして経営者、議員、ロビイスト、外国首脳による持続的なキャンペーンが1週間続いた結果、トランプ氏に広範な関税計画の主要部分を90日間撤回させた」と報じている。トランプ大統領自身も、市場の混乱を見て「人々が少し気分を悪くしていた」と認める発言をしており、経済的・政治的圧力の大きさをうかがわせた。
こうした状況下で、2025年5月12日、米国と中国はスイス・ジュネーブで週末に協議を行い、互いに課していた高関税を90日間一時的に大幅に引き下げることで合意した。ニューヨーク・タイムズ紙は2025年5月12日付の記事「U.S. and China Agree to Temporarily Slash Tariffs in Bid to Defuse Trade War」で、「トランプ大統領が中国からの譲歩なしに関税を引き下げることはないと繰り返し宣言した後での米国の動きは、中国との全面的な貿易戦争のコストを認識したことを示した。ホワイトハウスの強がりにもかかわらず、トランプ政権は、企業や消費者が経済的困難の兆候を見せ始めた後、当面は最も厳しい関税から後退し、北京とのより正式な協議を行うことに同意した」と報じている。
広がった「トランプが屈した」との見方
この合意により、米国は中国製品への関税を最大145%から30%に、中国は米国製品への関税を最大125%から10%にそれぞれ引き下げた。これとほぼ同時に、トランプ大統領は中国以外の多くの国々に対する高率の「相互関税」の発動も90日間一時停止すると発表した。ただし、全ての輸入品に対する10%の基本関税は維持された。この一連の動きは、当初の広範な貿易戦争構想からの大幅な軌道修正であり、「トランプが屈した」との見方も広がった。
では、なぜトランプ政権は中国に対してこのような「ディール」に応じ、他の国々への高関税も一時停止せざるを得なかったのか。その背景には、中国の断固たる報復姿勢と、それが米国経済に与える深刻な打撃への懸念があったと考えられる。
中国は自国の貿易報復が明らかに結果をもたらしたことを見ている
CNBCのニュースレター「The China Connection」(2025年5月14日付)は、「事実上の米中貿易禁輸は長くは続かなかったが、企業は今や関税の不確実性を軽減する必要性を認識しており、一方で中国は自国の貿易報復が明らかに結果をもたらしたことを見ている。米国から『相互』関税を課された180の国と地域の中で、報復したのは中国だけだった」と指摘している。中国は、トランプ政権による関税に対し、即座に同等規模の報復関税を発動し、さらにレアアースなどの輸出規制も示唆するなど、一切妥協しない姿勢を貫いた。
この中国の強硬な対応が、トランプ政権に「このままでは自国経済も持たない」と判断させた大きな要因の一つであろう。ウォール・ストリート・ジャーナルは2025年5月13日付の記事「China Exults in Trump’s Tariff Pullback」で、「習近平氏はトランプの関税に対し妥協しない対応を指示し、経済的な対抗措置を幅広く発動し、北京がアメリカのいじめと非難するものに対する国家主義的な熱狂を煽った。彼の認識された成功は、トランプの関税からの追加的な行動圧力がなくても、多くが中国経済を浮揚させるために必要だと見ている政策見直しを追求する北京の意思を弱めるかもしれない、と一部のエコノミストは言う」と報じ、中国側がこの関税一時停止を自国の強硬策の勝利と捉えている状況を伝えている。
「アメリカ人が耐える意思のある痛みには限界がある」
トランプ政権が中国との間で一定の「手打ち」をせざるを得なかったもう一つの理由は、中国への過度な依存から脱却することの難しさ、すなわちデカップリングの痛みである。ニューヨーク・タイムズ紙は先の記事で、「ベッセント財務長官は、関税が事実上の禁輸措置を生み出しており、それはどちらの側も望んでいなかったと述べた」と伝えている。中国からの輸入品が途絶えれば、米国の消費者物価は急騰し、企業のサプライチェーンは寸断され、経済活動は麻痺しかねない。
ウォール・ストリート・ジャーナルの別の記事「Trump’s China Deal Makes Sense. How He Got Here Doesn’t.」(2025年5月13日)は、「中国への依存は長い間、関税が正当化されうる潜在的な国家安全保障上の脆弱性として指摘されてきた。しかし、その同じ依存こそが、いかに穏やかなものであれ、デカップリングを痛みを伴うものにしている。トランプ氏の関税からの後退は、アメリカ人が耐える意思のある痛みには限界があることを示している」と分析している。
「中国なしでは米国経済は成り立たない」
結局のところ、トランプ大統領は、中国という巨大な経済大国を相手に、全面的な貿易戦争を継続することの経済的・政治的コストに耐えきれなかった、と言えるだろう。中国の報復、国内市場の混乱、経済界や共和党内からの圧力、そして何よりも「中国なしでは米国経済は成り立たない」という現実が、トランプ氏に軌道修正を強いた。これが「トランプ関税、なぜ中国に負けた」という問いに対する一つの答えである。
この「一時停止」は、問題の先延ばしに過ぎない。90日後に再び関税が引き上げられる可能性は残っており、米中間の根本的な対立構造も変わっていない。企業は依然としてサプライチェーンの再編を迫られ、世界経済は不確実性の高い状況に置かれたままだ。
CNNは2025年5月13日付の分析記事「Trump’s biggest win isn’t a trade deal — it’s his distortion of reality」で、「トランプは家に火をつけ、それからバケツ一杯の水を持ってきた。それは始まりかもしれない。しかし、損害の一部は元に戻らないし、彼はまだマッチで遊んでいる」と、この状況を痛烈に皮肉っている。トランプ政権の関税政策は、壮大な目標を掲げながらも、現実の壁と相手国のしたたかな対応の前に、大きな修正を余儀なくされた。これは、一国の指導者の強硬な意志だけでは、複雑に絡み合ったグローバル経済の力学を容易には変えられないことを示す教訓と言えるだろう。そして、その過程で最も大きな影響を受けるのは、常に一般の消費者と企業なのである。自由で公正なルールに基づく貿易体制の重要性が、改めて浮き彫りになった。