カンボジアの訳あり日本人、生活費はどうやって捻出? 東南アジア歴20年以上のライターが激白「まともな日本人は…」

1990年代から四半世紀にわたり激動の東南アジアでアンダーグラウンドの世界に身を置き、その破天荒な実態を発信してきた作家、クーロン黒沢氏。かつての「楽園」が日本をしのぐ物価高の国へと変貌した今、氏は何を思うのか。90年代東南アジアの光と闇から、祭りが終わった後の儚い現実にいたるまで、存分に語ってもらった。短期連載全4回の第1回。(取材日:5月28日)
目次
激動のカンボジアで気づけば四半世紀…沈没生活の顛末
――本日はよろしくお願いします。まずは黒沢さんの自己紹介をお願いできますでしょうか。
21歳ぐらいのとき、1992年ぐらいに最初の本を出してから、わけあって2、30年ずっとタイ・カンボジアで暮らしながら、文章を書いたりしていました。
――今も『シックスサマナ』の編集長をずっとやられてますけど、あれはもう何年ぐらいですか?
12年ぐらいですね。
――最初は、季刊っていうことでしたけど。
最初は月に2冊やってたんですよ。もう今は2、3年に1冊みたいな感じで。
――カンボジアに住まれていたということですけども、住んでいたのっていつぐらいになるんですか?
最初に行ったのは1995年で、住み始めたのが翌年からです。2018年に親が亡くなったのでその関係で日本に戻ってこなくちゃいけなくなって、今は住みっぱなしではないんですけれど。住んでいたのは2018年ぐらいまでになります。
クーデターの銃声が響く90年代カンボジアでの日常
――累計20年ぐらいをカンボジアで過ごされているわけですね。
そうですね。年に2回ぐらいこっちに戻ってきてはいたんですけども、この間はほぼ、1年のうち10カ月はカンボジアで暮らしてました。
――当時のカンボジアは、情勢などヤバくはなかったのですか?
僕が住み始めた頃は、ポル・ポト派が首都を放棄して、その後暫定政権みたいな感じで、ラナリット首相とフン・セン首相という首相が2人いる時代がしばらく続いていたんです。僕が住み始めた翌年に、フン・セン首相がクーデターを起こして、ラナリットさんを追放したんですけれども、そのときに1回、戦争みたいになりました。
衝撃ボロアパートの日々 きっかけは軽いノリだった?
――当時はどんな生活だったんでしょう。どんなところに住んでいたんですか?
キャピトルゲストハウスという安宿で有名な場所があって、当時はみんなそこを目指していて。1階がカフェになっていて、1日中そこにいたんですけど、そのカフェでコーヒーを飲んでいると、ちょうど見えるところに汚いアパートがあったんです。1950年代とかに建てられたアパートで、九龍城みたいな感じでぐちゃぐちゃなんですけど、あそこに住んだら面白いなと思って、最初そこに住み始めました。
――当時のカンボジアって、不動産の契約とか、ちゃんとしているものなんですか? 仲介業者がちゃんといたりするんでしょうか。
もう全然。「ここ誰の?」って聞いて、直接行って、「いくら?」って言うだけでした。
お風呂にボウフラ&昼はほぼ停電 カンボジア生活の実情
――そんなので住めちゃうものなんですね。