東南アジアで売春ざんまいの末に現地女性と結婚も…「日本脱出」を果たした中年男性の悲しい末路

1990年代から四半世紀にわたり激動の東南アジアでアンダーグラウンドの世界に身を置き、その破天荒な実態を発信してきた作家、クーロン黒沢氏。かつての「楽園」が日本をしのぐ物価高の国へと変貌した今、氏は何を思うのか。90年代東南アジアの光と闇から、祭りが終わった後の儚い現実にいたるまで、存分に語ってもらった。短期連載全4回の第4回。(取材日:5月28日)
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東南アジアに流れ着いた破天荒日本人の悲しい末路「親に…」
――日本円で400万円ってことですか?
日本円で。トランプで負けちゃって。それで大変な話になって、結局いろいろあったんですけど、結局親父はそこでゲストハウスをやるのをやめて、プノンペンに戻ってきたんです。
それからその数年後に、僕が1人でシアヌークビルに遊びに行ったときに、道で声をかけられたんですよ。見たらベトナム人で、どっかで見た顔だなと思ったら、そのときの奥さんで。それで、「実はうちのあの人が置いていった本があるんだけど、日本語の本だから、もらってくれないか」って言われて。「いや、本なんかいらないよ別に」って言ったんだけど、「いいからいいから」って言って、読み古しの変な小説をくれたんです。こんなのもらってもなと思いつつ、ページを開いてみたら、パラっと紙が落ちたので、広げたら、親に金をせびる手紙の下書きでした(笑)。
――下書き(笑)。一応考えているわけですね。
こう、消した跡があったりして。
売春宿で値切り倒した帰り道にまさかの悲劇 因果応報?
――その人は今どうしているんですかね。
その人の消息を最後に聞いたのは、5年ぐらい前ですね。その人は、もうとにかく値切るんですよ、何でも。しかも喧嘩腰で。それでシアヌークビルの売春宿で値切り倒した帰り道に襲われて、めったうちにされて、傷だらけでゲストハウスに逃げ帰ったらしいんです。
そこのゲストハウスには日本人が何人かいて、彼の知り合いもいたんですけど、とにかく普段から酒癖も悪いし、人に絡むしで素行がめっちゃ悪い人なんで、誰も助けてくれなくて。結局カンボジア人のゲストハウスのオーナーが、病院代を立て替えてくれたっていう話です。
――それ以降の消息は分からない。
それ以降は知らないです。
起きるのは15時 現地日本人のゆるすぎるタイムスケジュール
――キャピトルゲストハウスやジュライホテルで節約生活をしている人たちって、どんな1日を過ごしていたんでしょう? ルーティンが気になります。そういう人たちは何時ぐらいに起きるものなのでしょうか。