終了のお知らせ…トランプ「ESGは詐欺」地球環境と金融は結局両立しなかった

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「ESG」という言葉は、かつて金融の世界に大きな期待を背負っていた。資金を動かすことで地球環境を守り、社会の課題を解決し、同時に企業統治も改善される──そんな理想が描かれていた。しかし現実は、理想ほど美しくはなかった。政治の思惑に翻弄され、数値は取り繕われ、理念は形だけと化していった。残ったのは、資本と社会をどうつなぐべきかという「空白」である。いま、その空白を埋めようとするβアクティビズムやインパクト投資といった新しい動きが、少しずつ姿を見せはじめている。日経新聞の編集委員である小平龍四郎氏が、「次の金融のかたち」を探るーー。

目次

「善意の投資」が幻想と化した日──ESG信仰の崩壊

 前回のコラムで筆者は、ポストESG投資として「βアクティビズム」という考え方を紹介した。本稿はその続編の位置づけだ。市場全体の底上げを図る「β」からさらに一歩進み、企業活動が社会に良い影響をもたらすよう促す「インパクト」への進化だ。行き着く先はまだはっきりとは見えないが、世界の投資家たちはその方向に粛々と歩みを進める。日本の証券会社にこの地殻変動が見えているか。

 かつて投資家たちは、夢を見ていた。資本を流せば、地球が救われる。ポートフォリオに善意を忍ばせれば、社会が変わる。「ESG」とは、その夢に貼られた美しいラベルだった。

 環境(E)、社会(S)、企業統治(G)──三つの理想が同時に実現されるという、甘やかな構図。それは信仰に近かった。数字ではなく物語を信じ、ロジックではなく正しさの余韻に酔う。だからこそ、それが政治に足をすくわれたとき、幻想はひどく醜く砕けた。

夢の終わりに立ち尽くす投資家たち

 金融に倫理を持ち込むこと自体が、そもそも矛盾だったのかもしれない。ESGは、金融の冷たい論理に温もりを与える夢だった。企業も投資家も、証券マンも官僚も、皆がその火に手をかざした。

 ある者は「サステナブルファンド」と名乗り、ある者は「ESGストラテジスト」の肩書で講演を重ね、ある者は新聞に、ある者は統合報告書に、三文字を散りばめた。

 けれど、それらの多くは「語りの技巧」に過ぎなかった。数字が正義を語ったのではない。正義が数字の衣をまとっただけだった。

 そして2020年代半ば、夢から覚める者がひとり、またひとりと増えていった。

数字が示す退潮──日経紙面から消えていく「ESG」の三文字

 ドナルド・トランプは、ESGを敵視した。統計局長を更迭し、中央銀行人事を私物化し、ESGを「詐欺」呼ばわりした。だが、彼が壊したのは理念ではなかった。暴いたのは、その理念のもろさと、信じる側の脆さだった。

 ESGという言葉にすがりながら、その内実に無関心だった者たち。数字を飾り立てながら、本質には沈黙した市場。トランプはむしろ、その偽りの写し鏡だったのではないか。

 筆者はある指標に注目している。日本経済新聞の紙面に「ESG」という語が何回登場するか。それは、金融界の無意識を可視化するデータだ。

 2015年、28本。

 2022年、837本。

 そして2024年、258本──夢の余熱すら感じさせない数字。

「もう売れない」。証券会社はそう判断したのだろう。顧客は「正しさ」より「儲け」に戻り、営業マンは静かに肩書きを外した。

 祈りの言葉は、囁かれなくなった。

死んだとは言わない、だが“そのままでは使えない”

 2025年の夏、筆者はニューヨークにいた。投資家たちが集う国際カンファレンス、そこに「サステナビリティ」という言葉はまだ残っていたが、その響きは、かつての神々しさではなく、専門家たちの再構築の議論に変わっていた。

「ESGは死んだ」とは、誰も言わない。だが、「そのままでは使えない」と、誰もが認めていた。

 議題は、もはや倫理ではなかった。構造だった。「取締役会の構成は市場にどう影響するか」「気候変動は資産価格にどんな連関を持つか」「社会的不平等は、ポートフォリオにどんなノイズを生むのか」かつては“良心”として語られていたテーマが、このとき初めて、“リスク”として語られはじめていた。

 ESGの理論的な限界を最初に突いたのは、学者たちだった。

『ESG投資の成り立ち、実践と未来』の著者たちは、はっきりと断じている。

「E、S、Gは、まったく異なる領域の課題であり、統一的に語れるものではない」

 E=環境=公共財、S=社会制度=規範、G=企業=ガバナンス。それらは互いに干渉し、時に矛盾し、共通の分析軸を拒んでいる。ESGとは、理念というより、「広報の便宜」だったのだ。

正義と利益は両立するのか、避けられない問い

 では、ESGの代替はあるのか?ひとつの手がかりが、「βアクティビズム」だ。それらは、特定の銘柄ではなく、「市場全体」に影響する。

 巨大な年金基金にとっては、アルファではなく、ベータ(市場全体のリターン)のほうが重要なのだ。だからこそ、「市場全体の安定性」を求めて、経営に影響を与え、政策に働きかける。それはもう、「投資行動」ではなく、「制度参加」に近い。ESGが甘やかだったぶん、βアクティビズムは重い。だが、そこには逃げ道のないリアリズムがある。

 もうひとつの流れが、インパクト投資だ。

『意図をもつ金融』は語る。リターンだけではなく、影響も測る。

 リスク、リターン、インパクト──この三点セットこそが、これからの金融の新しい正義であると。

 だが、問いはここで終わらない。

「リターンとインパクトは、本当に両立するのか?」

 善意が利益を生むとは限らない。利益が正義を育てるとは限らない。その相克に向き合うことが、未来の金融の成熟なのだろう。

 トランプの罵声は今も消えない。ESGの喧騒は、いまはない。だが、その余韻の中に、私たちはようやく静かな問いを拾い上げる。

 投資とは、なにか?資本とは、社会にとってどうあるべきものなのか?

 数字と物語のあいだに、答えはない。だが、問い続けることだけは、まだ可能だ。資本の声がうるさかった時代は、終わった。

 いま必要なのは、沈黙のなかにある正しさを、探し出す眼差しなのかもしれない。

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この記事の著者
小平龍四郎

1964年生まれ。静岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業。日本経済新聞入社後は主に金融・証券畑を歩き、「山一証券破綻」「村上ファンド登場」などの特報にかかわる。欧州総局(ロンドン)やアジア総局(バンコク)を経験し、現在は日経新聞の編集委員。専門は証券市場、ESG/SDGs、企業統治。著書は「グローバルコーポレートガバナンス」「アジア資本主義」「ESGはやわかり」。 Twitter:@Kodaira_Nikkei

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