ガソリン減税の代わりに「新税検討」報道に国民激怒&絶望…なぜ政府は消費税にここまでこだわるのか「問題の本質は全てここに」

減税か給付かーー。参院選は減税を掲げた新興野党の急進と、給付を掲げた与党の大敗で終わった。そしてガソリン減税に向けて、進むはずだった。が、朝日新聞が報じた記事によると「老朽化が進む道路や上下水道などの維持・補修に充てる財源を確保するため、政府は新税の創設に向けた検討に入る」という。これでは、せっかく減税を選挙で勝ち取ったはずなのに何の意味もないではないのではないか。SNSでは「減税詐欺」「国民をバカにしている」という声があがる。
こうした「死んでも減税してたまるか」という政府の動きの背景には、日本の財政の悪化がある。なぜここまで悪化したのか。その理由の一つに、政治家が決して手放そうとしない「安定財源」の存在がある。それが消費税である。1989年の導入から35年以上、消費税は「景気変動に強い」「高齢者からも取れるから若者に有利」「生涯所得で見れば逆進性は緩和される」といった肯定論で正当化されてきた。だが、実態は異なる。
消費税は「公平な負担を広く求める税」などではなく、消費者を人質にして借金を膨張させ、政治を堕落させる制度である。その本質を直視しなければ、財政再建も社会保障改革も進まない。本稿では、財政と制度の仕組みをもとに、消費税が背負う「三つの大罪」を減税インフルエンサーのキヌヨ氏が詳しく検証する。
目次
第一の大罪──財政規律を壊し、借金を拡大させた罪
消費税はしばしば「財政健全化の切り札」として語られてきた。確かに、所得税や法人税に比べれば景気変動に左右されにくく、安定的に税収が確保できる。だからこそ財務官僚は「消費税こそが国の土台」と強調し続けてきたのだ。
しかし、この安定性が実は最大の害悪だった。財政法第4条で赤字国債の発行を原則禁止している。戦後の財政規律を守る「最後の砦」だった。ところが、現実には毎年「特例公債法」を成立させ、赤字国債を常態化させている。その裏で、国債市場の投資家が日本国債を安心して購入できる理由がまさに消費税なのである。
不況時であっても必ず入る税収。法人税のように赤字企業から取れないものではなく、売上に対して確実に課される。これを市場は「返済の抵当」とみなし、「巨大な内需を持つ日本の政府はまだ借金しても返せる」と判断してきた。
つまり、国民の消費が政府の借金の抵当に差し出されてきたのである。消費者は財政規律の守護者ではなく、借金を正当化するための人質にされてきたと言える。
借金まで増やす二重の害悪を持つ消費税
その結果、1989年度に6兆円程度だった新規国債発行額は、バブル崩壊後も右肩上がりに膨らみ、2020年代には50兆円を超える年も珍しくなくなった。国債残高はGDP比で260%を超え、主要国で最悪の水準に陥っている。
ここで見逃してはならないのは、他の税と違って、消費税は税負担そのものだけでなく、借金まで増やす二重の害悪を持つことである。所得税や法人税は景気変動に応じて税収も減り、自然と歳出にブレーキがかかる。しかし消費税は安定的に取れるがゆえに、政府に「まだ借金できる」という錯覚を与え、歳出の暴走を許した。
消費税が本来果たすべき「財政健全化」ではなく、財政規律を壊す構造的要因として機能してきたのである。これが第一の大罪である。
第二の大罪──現役世代の市場と雇用を奪った罪
消費税は「高齢者からも取れるから現役世代に有利」という説明が繰り返されてきた。一見もっともらしく聞こえるが、経済全体の構造を無視した議論である。
消費税は消費行動そのものに課税するため、国内需要を恒常的に抑制する。特に所得の低い層は消費性向が高く、わずかな税負担の増加でも支出を削らざるを得ない。これが波及して企業の売上が落ち込み、投資を先送りし、雇用を減らす。現役世代は縮小した市場で働かざるを得ず、賃金上昇やキャリアアップの機会を奪われるのである。
また、中小企業にとって消費税は資金繰りに直撃する重荷である。売上に課税されるため、赤字企業であっても納付義務は免れない。資金繰りが厳しい局面では税納付のために借金を重ねる中小企業も多く存在する。さらに2023年から本格導入されたインボイス制度は、事務負担を増大させた。
さらに、地方においては消費税増税が特に深刻な打撃を与える。地方の商店街やサービス業は高齢者の購買力によって支えられており、その消費が萎むと地域経済そのものが縮小する。そうなれば現役世代の雇用の場が失われ、若者は地元に働き口を見つけられず都市部へ流出せざるを得ない。これは地方の衰退と人口減少に拍車をかける悪循環である。
「高齢者からも取れるから若者に有利」どころか、消費税は現役世代と将来世代の成長機会を奪う制度である。そして、国民の消費を担保に政府の借金を増やす仕組みによって、次世代の未来まで抵当に入れてしまっているのだ。これが第二の大罪である。
第三の大罪──政治家を甘やかした罪
本来、政治家の責務は「限られた財源をいかに分配するか」を決断することにある。どの政策に優先順位をつけ、どの利権に切り込むか、その政治判断こそが民主主義の根幹だった。
しかし、平成以降の政治は消費税という安定財源を手にしたことで、本来の責務を放棄した。確実に入ってくる税収があるため、政治家も官僚も「改革」という痛みを伴う決断から逃げることが可能になったのである。
社会保障制度の持続性が危機に瀕しても、給付削減や自己負担引き上げといった不人気な改革は先送りされた。公共事業や補助金の見直し、業界団体や既得権益へのメス入れといった歳出削減も回避された。なぜなら、消費税という“安定収入”があったからだ。
本来なら「国民負担をどう配分するか」という議論を尽くさなければならなかったのに、実際には「消費税と国債で穴埋めすればいい」という惰性が政治を支配した。結果、政治は「痛みなき延命策」に依存し、国民の将来負担を際限なく膨らませてきたのである。
消費税は、政治家に責任を取らせるどころか、無責任を温存させる装置に転化した。財政規律を守るどころか緩め、政治家を徹底的に甘やかした。これが第三の大罪である。
赤字国債を奪わない限り政治家は社会保障削減に着手しない
「財政健全化の切り札」「若者に有利な税」「公平な負担」──これまで繰り返されてきた消費税肯定論は、いずれも現実を覆い隠す欺瞞にすぎない。
消費税の実態は、
- 税負担だけでなく借金まで増やし、財政規律を壊した罪
- 現役世代の市場と雇用を奪った罪
- 政治家を甘やかし、改革を放棄させた罪
──この「三つの大罪」に集約される。
今のままでは政治家は歳出削減や自己負担増などやらない。選挙で落ちたくないからだ。だから赤字国債に逃げて問題を先送りにしてきた。結局、赤字国債を奪わない限り政治家は社会保障削減に着手しない。では、どうやったら赤字国債という手段を奪えるのか。
社会保険料だけを下げても、政治家は選挙が怖くて社会保障費削減から逃げるので、赤字国債が増えるだけで根本解決にはならない。頼りの赤字国債の担保は消費税なのである。だからこそ、まず消費税を減税して政治家の逃げ道を断たなければ改革は進まない。政治改革の本丸は消費税なのだ。
消費税という担保がある限り、政治家は借金を正当化する
ちなみち減税を頑なに否定し続ける立憲民主党の米山隆一議員は「コロナ禍で何百兆と国債を出せたのは消費増税していたから」と自身のYouTubeチャンネル番組で発言していた。これはまさに「消費税こそが日本政治の癌である」という証明でもある。
消費税という担保がある限り、政治家は借金を正当化し、社会保障の持続性という最大の課題から逃げ続ける。逆に言えば、この担保を奪うことでしか、本当の改革は始まらない。消費税の減税や廃止は単なる経済政策ではなく、政治に責任を取り戻させるための構造改革の一丁目一番地なのだ。ここに切り込めるかどうかが、日本の将来を決める分水嶺である。
そして、その扉を開けるのは政治家自身ではなく、私たち国民の声である。消費税の三つの大罪を直視し、「人質にされること」を拒む世論を高めなければ、政治は決して変わらない。将来世代のために、今の世代が声を上げなければ、日本は確実に沈んでいく。私たちが行動しなければ、子どもたちの未来を守ることはできない。
消費税論争は「目先の税率の話」ではなく、日本社会を次の世代につなぐための歴史的な選択の話なのである。