「日本は生産性が低い」と批判する人が見えていない、“生産性”の本質とは

「日本はほかの先進国に比べ、生産性が低い」――。こんな言説を見聞きしたことがある人は多いだろう。サイエンスライターの鈴木祐氏によると、実はこの“生産性神話”を覆す研究結果が次々と現れているという。“生産性”の本質と、本当に日本の生産性は低いのかについて、鈴木氏が語る。全3回中の2回目。
※本稿は鈴木祐著「社会は、静かにあなたを「呪う」: 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体」(小学館クリエイティブ)から抜粋、再構成したものです。
第1回:「私だけは他人の意見に流されない」と考える人ほど実は影響を受けやすい……学歴や収入が高い人ほど要注意?!
第3回:日本人の格差は開いていない!“格差の実態”が見えていない本当の理由
目次
「日本の生産性は低い」は本当か
日本の“生産性”を批判する識者は多い。
「日本では無駄な作業が多いので、他の国と比べて効率が悪い」
「(日本は)頭の弱い人達がそれなりの地位にいるので、若者達も“効果のない無駄な行為”を止める事が出来ない」
「高度経済成長期から引きずっている時代錯誤な産業政策、非効率なシステム、科学的ではない考え方などが日本の生産性を著しく低下させている」
これらの発言を支持するデータもいくつか存在し、たとえば日本生産性本部は、日本の時間あたり労働生産性を56.8ドルと推計している。労働生産性は、1人の働き手が1時間で生み出した製品やサービスの量を数値化したもので、世界で比較すると日本のランキングはOECD(経済協力開発機構)38ヵ国のなかで29位。先進7ヵ国のなかでは、最も低い数字だ。
さらにOECDの調査では、日本人は年間約1600時間働いているのに対し、ドイツは1350時間、フランスは1400時間ほどだったという。要するに、日本人は職場にいる時間が長いわりに、それに見合った成果が出せていないわけだ。これでは、自分の働き方に自信をなくす人が増えるのも当たり前だろう。
が、絶望する必要はない。というのも、これらのデータには、すでに何人もの経済学者から異議が出ている。その代表例が、ブルッキングス研究所のマーティン・ニール・ベイリーの発言だ。
「労働生産性は、直感的でわかりやすいが、生産性を研究する経済学者が支持するような、生産性の指標ではない」
同じように、元日銀副総裁の岩田規久男も、こんな指摘をしている。
「労働生産性を国際比較することには限界あるいは問題があり、とくに日本の労働生産性の国際比較にはほとんど意味がない」
「生産性」には「質」が反映されていない
生産性の専門家ほど、実は労働生産性に厳しい目を向けているというのだから穏やかではない。そのポイントはいくつも存在するが、なかでも重要なのは次の二つだ。
1、労働生産性は、生産量だけを比べて“質”を評価していない
2、労働生産性は、各国の“景気”を反映しているにすぎない
順に説明しよう。まず最も多い批判は、生産性を比べる基準が「生み出した価値の質」を評価していないというものだ。
生産性の比較というと、「世界の人が同じ作業をやった場合の、スピードの差を競わせたもの」だと思うかもしれない。しかし、実際にはそのような試験が行われているわけではなく、国が生んだ“付加価値”の額を時間で割ったものを「労働生産性」と呼んでいるだけだ。つまり、労働の“質”は、数字に反映されていない。
そのため、労働生産性だけを使って働き方を判断すると、実態を大きく見誤ることになる。たとえば、商品の味にこだわったパン屋を、ただ売り上げの金額を働いた時間で割った数で判断したらどうなるだろう。この基準では、時間をかけて質の高いパンを作る店ほど“仕事ができない”と評価され、短時間で粗悪なパンを大量に作る店舗のほうが“生産性が高い”と見なされてしまう。とうてい首肯できない結論だ。
「おもてなし」の言葉にも象徴されるとおり、日本のサービスは世界的に質が高いことで知られる。少し考えただけでも、「分単位で運行される鉄道」「再配達の時間を守る宅配」「日用品から公共料金の支払いまで対応するコンビニ」など、他国にはないサービスの例をいくつか思いつくはずだ。
この点はデータにも現れており、ユーロ圏統計局の報告を見ると、日本の大手スーパーやチェーン店は、他国よりも1店舗あたりの売場面積が小さいわりに、そこで働くスタッフの数は多い。480人の日本人と412人のアメリカ人を対象にした調査でも、鉄道、ホテル、カフェ、ネット回線、コンビニといった28のサービスのうち、実に27のジャンルで日本のほうが品質が高かったと結論づけている。
単純な比較には注意が必要だが、全体として日本人は、「たとえ客単価が下がったとしても、人員を増やして多様なサービスを提供しようとする」傾向が強いことは疑いようがない。
このような独特の精神性は、日本の労働生産性を下げる方向に働く。細かいサービスを提供すれば消費者は得をするが、それだけ時間あたりの売り上げは犠牲になるからだ。
GDPは景気に大きく左右される
それでは、サービスの質も考慮したうえで、生産性を計算し直したらどうなるだろう。一橋大学などの試算によれば、消費者アンケートをもとにサービスの質を数値化し、これを生産性に織り込んだところ、運輸や小売、飲食、宿泊といった主要サービスの大半において、日米間の差は大きく縮まった。それでもアメリカを完全に上回ったとは言えないが、〝質〟を考えれば、決して日本の生産性は低くない。
さらにクリティカルなのは、「労働生産性は国の“景気”を反映しているだけ」との指摘だ。労働生産性は経済の善し悪しに大きな影響を受けるため、私たちの“働きぶり”を判断する役には立たない。
簡単におさらいすると、労働生産性は「GDP(実質)働いた時間(または働き手の数)」で求める数字だった。8時間で1万円の粗利を出すパン屋であれば、1時間あたりの生産性は1250円。8時間で粗利が2万円なら、生産性は2500円だ。
しかし、ここで問題なのは、数式の分子であるGDPが、景気によって激しく変わってしまうところだ。景気が悪いときはモノが売れないため、サービスを作る側は従業員や設備の使用を控え、これによって売り上げの低下や生産量の減少が起こる。結果としてGDPも下がり、労働者のスキルや技術は変わらなくても労働生産性が低下する。
たとえば、8時間で10万円の粗利を稼ぐパン屋があったが、近隣に競合店がオープンしたせいで客足が鈍りはじめたとしよう。客が減ったのに同じ量のパンを作っても意味がないため、当然店長は全体の生産量を減らそうとするはずだ。ここでもし店長が8時間で1万円まで生産量を落としたとしたら、この時点で店の労働生産性は1時間あたり1万2500円から1250円に下がったことになる。
根本的な原因は「景気」にある
この話で大事なのは、店の生産性が“本当に下がったわけではない”ところだ。あくまで変わったのは客の数であり、店員の技術が落ちたわけでも、設備の質が低くなったわけでもない。それなのに、数字だけ見ると、あたかも急にパン屋の働き方が悪くなったように感じられてしまう。
国の労働生産性も、これと同じだ。日本は長らくのデフレで需要が伸び悩んだため、企業はサービスの量を減らさざるを得ない。となれば最終的なGDPは下がり、それにともなって労働生産性も低くなる。生産性が低いから景気が悪いのではなく、景気が悪いから生産性が低いように見えるわけだ。
「生産性が高いのに景気が悪くなる」ことなどあるのかと思うかもしれないが、世界的な不況に巻き込まれたり、金融政策の失敗で市場の通貨量が増えなかったりと、生産性と景気が比例しないケースはいくらでもある。労働生産性をもとに「技術力が低い」や「働き方が悪い」などと結論づけると、“景気”という根本的な原因が目に入らなくなってしまう。
もちろん、これらの批判だけで「労働生産性は使えない指標だ」とは言えないし、日本の生産性に問題がないと主張するつもりもない。日本の景気が低迷を続けているのは事実だし、私たちの働き方にも見直すべき点はあるだろう。
が、一方で、労働生産性を使って「日本のランキングが上がった下がった」と騒ぐことに意味がないのも確実だ。景気のせいで数字が下がったのに「日本人は働き方が悪い」などと批難するのは、天気が悪くて稲が育たないのを農家のせいにするようなものだろう。