自維連立に「公明ざまぁ」の声も…「自分には激甘」斉藤代表の収支不記載…公明党の二枚舌に「自分たちの政治とカネ問題を解決して」

2025年10月10日、複数の全国メディアが公明党の自民党との連立離脱方針を報じた。その主な理由は「政治とカネ」の対立であるとされ、斉藤鉄夫代表が高市早苗総裁との会談で離脱の意向を伝えたと報じた。自民党はその後、日本維新の会と交渉を進め、連立する方向でまとまった。公明党の斎藤鉄夫代表は、野党との選挙協力も「あり得る」と発言している。一方で疑問に残るのは公明党が連立離脱をした理由だ。自民党の「政治とカネ」問題が解決にむかっていないことなどを上げているが、政治に詳しいコラムニストの村上ゆかり氏は「公明党が他党と比べて特段クリーンだと思ったことはない、具体的にどこがクリーンなのか」と批判する。それはネット民も同様で、維新と自民の連立が決まると「ざまぁみろ」といった声もあがった。村上氏が詳しく解説する――。
目次
公明党の発言は信念か戦略か
公明党公式サイトでは、「献金受け皿を政党本部と都道府県組織に限定する規制強化案」に自民党が強い難色を示したとの説明が載る。「政治とカネに清潔であることは、公明党として譲れない一線である」との文言も掲げられた。政界にも国民にも、「公明党の発言は信念か戦略か」「連立解消は本当に政治倫理に基づくものか」といった観点で注目が集中した。
公明党は長年、「政治とカネに清潔である」を強く訴えてきた。その主張には、献金制度改革や透明性向上をめざす方向性として「献金受け皿を政党本部と都道府県組織に限定する規制強化案」を掲げている。これにより、企業・団体が多数の支部に分散して献金する構図を変え、資金流通を絞り込みたい狙いである。
一方で公明党は、自民党との連立離脱に伴い、立憲民主党を中心とした野党間協議への参加を打診したとも報じられている。規制強化を超党派で進めたい意向を示している。
背景には、日本政治における企業・団体献金の歴史的構造がある。
1948年に政治資金規正法が成立し、「政治とカネ」の公開と公正をめざす枠組みが整えられた。その後、「政治とカネ」は田中角栄氏の「金脈問題」などを契機に世論が高まり、1975年に企業・団体献金に上限が入り、収支の公開義務も強まる改正が行われた。1994年には政治改革四法が成立し、小選挙区比例並立制、政党助成金が導入され、資金の受け手を政党や政治資金団体に寄せる方向が示され、この流れを受けて1999年に政治家個人あての企業・団体献金を禁止する法改正がなされた。
公明党のニ枚舌「批判しながら企業・団体から寄付もらう」
この法改正により、資金管理団体への企業・団体献金が禁止となったため、資金の受け皿は政党本部や政党支部に集中した。この政党本部や政党支部に企業・団体献金が流れる仕組みや、政治資金パーティー収入が長く「抜け道」と批判されている。この制度上の抜け穴を正すべきとの主張が、公明党の改革志向の根底にある。政党支部や小選挙区支部では受け取らず、受け皿を政党本部と都道府県本部に集約する方針である。オンライン提出とネット公開、検索できるデータベース整備、パーティー券は「1回5万円超」で氏名公表、支払いは原則口座振込とする流れである。
現状、公開されている政治資金収支報告書には、公明党の小選挙区支部が企業・団体からの寄附を受けている記載が複数存在する。東京都の支部、および大阪の支部など、調べると公開されている公明党の各支部の政治資金収支報告書でその実態が確認できる。支部の代表者は国会議員名であるものも確認できる。がこれは、公明党が主張する「受け皿限定」の理念と、実際の運用とが一致していないことを示す。
前述したとおり、支部で企業献金を受けることは、現行法上では合法だ。しかし、公約で企業献金を制限せよと訴えているのであれば、まず自らの本部・支部の企業・団体献金を政策通り制限すべきとの指摘は妥当だろう。
禁止よりも透明性・開示・監査能力の強化
制度改革を呼びかける一方で従来運用を維持する構造には、説明責任を問われる余地がある。また、公明党は、野党側の協議への参加打診や個別案件での連携に含みを持たせたと報じられているが、立憲民主党も企業・団体献金を受ける体制を持っている。「自民党の政治資金の歪みに対抗する」という論理をとるなら、立憲民主党との協力についてはどう整合されるのか、客観的に見て矛盾を感じる点である。これらについて公明党は説明責任を果たすべきではないか。
そもそも、企業・団体献金を制限すれば政治とカネの問題は一掃されるのだろうか。政治資金制度改革の国際的ガイドラインでは、「禁止よりも透明性・開示・監査能力の強化」が重要と説いている。
制限にはリスクもある。制限をかけると企業・団体が別ルートで資金を提供する可能性が高まる。例えば、関連するNPO、政治団体、第三者機関、事業委託・広告費契約などを通じた「迂回献金」が出現する恐れがある。こうした手法は制限規定をかいくぐるために使われやすい。
規制したら今度は違う方法を考えるだけのこと
1999年改正(2000年施行)で、企業・団体から政治家の資金管理団体への献金は禁止となった。一方で政党本部・政党支部への献金は続き、支部が実質的な受け皿として機能したとの指摘が続いている。政党内部の資金移転は上限規制の枠外になりやすく、実際の紐付きを追いにくいという構造的課題が残った。
政党支部での企業献金を止めると、資金は党本部に集まる。そこで本部や都道府県単位で集まった資金の再配分の公開を求めると、今度は政治資金パーティーに重心が移るかもしれない。パーティーの実名公開を強めると、広告契約やコンサル委託へ流れるかもしれない。委託の内訳公開を広げると、関連会社や団体に名義を分散させるかもしれない。第三者団体を含めて定義を広げれば、境界線の争いが増える。穴をふさぐほど形を変えて流れる。これが、規制が増え続ける理由である。
一本ごとの規制は効くが、重ねるほど追加の効果は小さくなる。条文と例外が増え、現場の運用は複雑になる。書類や監査の手間が膨らみ、小さな勢力ほど動きにくくなる。事務コスト等の無駄も増える。透明化のつもりが、かえって見えにくさを育てることがある。経路を順に狭めるほど、別の形になって資金が移りやすい。一本ごとの規制は効くが、重ねるほど追加効果は逓減し、運用は複雑化しやすい。
公明党・斎藤代表の不記載は何だったんだ
自民党では、派閥の資金を政治資金収支報告書に記載せず、いわゆる「裏金」として扱っていた問題がこれまで国民の強い批判を浴びてきた。この一部の「裏金議員」を高市早苗新総裁は再び起用する考えを示したと報じられ、報道各社は「裏金議員起用に批判」との見出しとともに、政治倫理の欠如を指摘している。
しかし、公明党の斉藤鉄夫代表も過去に政治資金の不記載として、政治資金収支報告書への寄附金の記載漏れ、資産報告書への信託財産や株式の記載漏れなどが指摘されている。金額の規模や経緯に違いはあっても、いずれも「資金の一部が記録に残っていなかった」という点では共通している。
政治家や政党のみならず、メディアまで、こうした問題を語るとき「裏金」と「不記載」という言葉を巧みに使い分けている。
「不記載はあったが裏金ではない」
裏金と呼べば意図的な隠蔽、不記載と呼べば単なる事務ミスや記憶違いという印象を与えるが、政治資金規正法上は、いずれも「報告すべき資金を報告していない」という点で同じ行為である。不記載も虚偽記載も刑事罰の対象となる。呼び名が違っても、構造は変わらない。金の流れが帳簿や報告書に残っていない以上、どちらも国民から見れば「見えない金」であり、同じ不透明さを抱えている。
公明党の斉藤代表は「不記載はあったが裏金ではない」と説明した。だが、報告書に載らず、外部の監査にも触れない金銭は、実質的に裏金ともいえる。言葉の言い換えで責任の重さを変えることは、政治不信をさらに深めるだけである。
そもそも、政治家が「裏金」と「不記載」を使い分ける行為自体が不信の温床であり、記録に載らない資金の存在が信用を損なう本質である。「裏金」と言われても、「不記載」と言われても実態は同じだ。資金の流れを明らかにし、公約に「企業献金の禁止」を掲げたのであれば、党内の規定で同一の禁止規定を盛り込めば、公明党の国民からの信頼度は今より高まるだろう。国民が「政治とカネ」問題に求めているのは、小手先の禁止や言い換えではなく、実態に基づいた説明と誠実な行動である。
公明党の連立離脱で最も影響を受けるのは自民党、高市総裁
公明党の連立離脱で最も影響を受けるのは自民党、高市総裁だろう。高市総裁に向けられた期待は「政治とカネ」の是正にとどまらない。最優先されるべきは選挙で約束し、国民から期待されている政策の実行である。高市総裁が国民の期待にこたえられるかは現段階で不透明である。国会で予算と主要法案を通し、政権運営を安定させるための連立は当然に重要である。しかし、連立を組むために政策を妥協することは高市総裁に強く期待していた国民からの信頼を大きく損なうだろう。信頼を損ねれば次の国政選挙で議席をさらに減らす可能性が高い。目先の局面だけを見れば妥協案は成立し得るが、長期的に見れば国民の信頼に誠実に応え続ける姿勢こそが肝要であると筆者は考える。「政治とカネ」のみならず、国民は政治家の誠実さをその言動から読み取り判断している。約束と結果を積み上げる政治家や政党が求められている。高市総裁の今後の動向に注目していきたい。