欧州脱炭素モデルが崩壊!“理想主義のツケ”が世界経済を揺らす…高市ジャパンがリードする次世代の環境資本ルール

気候変動をめぐる議論は、もはや環境問題にとどまらない。それはエネルギー安全保障、産業構造転換、金融市場の再設計を含む“経済全体の再構築”の問題へと拡大している。世界が脱炭素という共通目標を掲げながらも、理想と現実の狭間で揺れるなか、各国の政策と市場の距離が問われている。環境をコストではなく成長の資本として捉える視点、そして国家の産業政策と金融をどう接続するか。その本質と実務的含意を、日経新聞編集委員・小平龍四郎氏が分析する──。
目次
「環境より安全保障」──高市政権が映すエネルギー政策の転換点
欧州の空港で「日本の新首相は環境に関心が薄いのか」と問われた。気候・環境政策を軸に動く欧州の投資家やNGOにとって、日本の石破茂氏から高市早苗氏への首相交代は「この国は脱炭素や自然保全に本気か」という問い直しの機会になった。
高市首相がエネルギー問題に無関心なわけではない。むしろ、逆だ。24日の所信表明演説では「エネルギー安全保障」の文脈で「原子力やペロブスカイト太陽電池をはじめとする国産エネルギー」の重要さを指摘。「GX(グリーントランスフォーメーション)予算を用いながら、地域の理解や環境への配慮を前提に、脱炭素電源を最大限に活用する」と述べた。「光電融合技術」や「次世代革新炉やフュージョンエネルギーの早期の社会実装」にも触れている。 しかし、エネルギー問題が保守的な安全保障の文脈で語られているため、リベラル色の強い気候・環境問題との関係が弱まっているという面はありそうだ。
日本が「単に脱炭素へ一直線ではない」
この点で、地球環境産業技術研究機構 主席研究員、秋元圭吾氏が2025年11月3日の日本経済新聞「経済教室」に寄せた提言『温暖化対策、国際協調の瓦解を防ぐ努力を』は貴重だ。秋元氏は言う。
「日本では25年2月に地球温暖化対策計画、第7次エネルギー基本計画、グリーントランスフォーメーション(GX)2040ビジョンが閣議決定された。1.5度目標や2050のCNという目標は降ろさないものの、エネルギー安全保障や経済面のリスクを考慮して原子力や液化天然ガス(LNG)の活用を掲げ、現在の国際情勢を見据えた柔軟なものとなった。」
この一節は、日本が「単に脱炭素へ一直線ではない」ことを明確に宣言している。
「産業の実態のない欧州主導の気候変動対策は破綻」
つまり、冷戦後や資源価格低迷期には通用した「脱炭素=電力再エネ+EV化」の図式だけでは、現在の地政学・資源制約・電力安全保障を乗り越えられないという現実を捉えている。
一方で、秋元氏は続けてこうも語る。
「日本は経済と環境の好循環に向けて、これまでも暗黙的に世界をリードしてきたものの、気候変動対策・政策について欧州に見倣うべきだという論調も多く見受けられた。しかし、産業の実態を伴わない欧州主導の気候変動対策は明らかに破綻してきている。」「一方で、このような状況であるからこそ、日本は反・気候変動対策の方向には振れるべきではない。日本はこれからもCN(カーボンニュートラル)の実現、持続的な気候変動対策に向けて、揺らぐことなく進むべきである。」
この言葉は、脱炭素政策をめぐる「選択肢」で揺れる欧州とは一線を画す姿勢を示しており、日本的な“持続可能な脱炭素移行(トランジション)”を志向していることがわかる。さらに、
「環境をどうマネタイズするか」という問い
「もっとも、その移行過程や達成年の目標には、ある程度の柔軟性を持たせることも重要である。世界全体での緩やかな協調であっても、実効ある排出削減対策の実現に向け、世界をリードしていくべきである。」「技術開発・普及には時間がかかり、忍耐強く進めていく必要がある。変わり身の早い海外からは『日本は忍耐強い』とよく褒められる。その褒め言葉は『柔軟性がない』という暗黙的な批判かもしれない。硬軟を使い分けながら、世界全体の実効ある排出削減と日本のエネルギー安全保障・安定供給、経済発展を目指すことが大切である。」
この「硬軟を使い分ける」というフレーズには、日本の政策運営が直面するジレンマ ― 目標の掲げ方と実行の方法の間 ― を端的に浮かび上がらせている。
国内では“環境=善”という価値観が浸透してきたが、資本市場はより明快な問いを投げかける。「環境をどうマネタイズするか」「企業・金融がどうリスクとして量れ、どう機会として捉えられるか」。日本の政策がこの問いに対して応答を始めているのが、次のような動きだ。
10月、東京大学で「グローバル・コモンズ・フォーラム2025」が開かれた。
次世代の環境資本ルールに日本が存在感を持ち始めている
テーマは「Nature on the Balance Sheet」である。自然資本を企業の損益・貸借対照表と結びつけ、金融・資本市場の規律を環境の側に引き戻そうという試みだ。王子ホールディングス、住友林業、味の素、MS&ADインシュアランスホールディングスといった大手企業が自然資本関連の情報開示基準づくりに名を連ね、“産業実態を伴った”環境情報開示の波が日本にも到来している。
さらに、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の採用社数で日本は世界最多の159社に上る。これは、欧州を中心に普及してきた気候関連財務情報開示(TCFD)を超え、次世代の環境資本ルールに日本が存在感を持ち始めていることを示している(※2025年5月時点で世界571社がTNFD採用を宣言)。
この文脈で、金融・保険・銀行業界のリアクションも興味深い。損保大手が自然資本会計に参画し、地方銀行が預貸型の地場金融モデルを「資本+自然資本支援モデル」へと変え始める中、環境と金融の融合が地域というミクロ領域からグローバル市場へと波及している。
地域自然資本の修復・活用を金融商品モデルに組み込む試み
例えば、九州フィナンシャルグループ(FG)は、熊本県の肥後銀行を中心に「お客様や地域の皆様とともに、お客様の資産や事業、地域の産業や自然・文化を育て、守り、引き継ぐことで、地域の未来を創造していく」とする中期経営計画を掲げた。自然・文化という言葉を用い、金融機関が地域の生態系を担保資本と捉えるという発想が明快だ。
同社は統合報告書でTNFDに基づく情報開示を行い、自らが水資源に深く依存している分析(ENCORE分析)を提示。加えて、2025年3月には「熊本ウォーターポジティブ・アクション」を県立大学・サントリーホールディングス・MS&ADと連携して立ち上げた。これは、地下水の保全を目的に雨水を地中へ浸透させる“雨庭”整備という地域自然資本の修復・活用を金融商品モデルに組み込む試みだ。
滋賀銀行は琵琶湖をめぐる「びわ湖ブルー預金」という商品を創出し、定期預金の一部を水・環境・生態系研究に寄付する枠組みを設けている。これにより、地域の水環境保全と銀行ビジネスがリンクし、預金者・地域・銀行の三者にインセンティブを設計するモデルとなっている。
欧州が主導してきた環境スタンダードが現実的な限界に直面
こうした「地銀モデル」は、かつての“リレーションシップ・バンキング(リレバン)”の再来としても読み取れる。だが、今は従来の預貸だけでなく「環境資本を媒介にした価値創造=インパクト金融」という文脈が加わっている。東洋大学の野崎浩成教授も、「これにエクイティファイナンスを混ぜていくと、本当に地域のサステナビリティに資する取り組みになる」と指摘している。
日本がこうした環境×経済×金融の新たなモデルに舵を切る背景には、欧州が主導してきた環境スタンダードが現実的な限界に直面していることがある。冒頭で述べた欧州企業の規制負担、さらには再エネ主導電源の限界に対する反省がある。秋元氏は「欧州主導の気候変動対策は明らかに破綻してきている」と言い切りながらも、「日本はこれからもCNの実現、持続的な気候変動対策に向けて、揺らぐことなく進むべきである」と語っている。
この日本的アプローチには、「アジアの視座」を盛り込む余地がある。例えば、2025年秋に開催された第30回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP30)が森林・土壌・海洋といった自然資本の保全をテーマに据えているなか、日本は「企業・金融を巻き込む」脱炭素・自然資本対策のモデルを提示できる。日米首脳会談などでも、クリーンエネルギー技術、気候資金、官民協働といった方向が共有されており、企業と金融を巻き込んだグローバルな地球環境イニシアチブの構想も提示されている。
環境対策=“成長機会”と捉え直す視点
これまで“環境対策=コスト”と捉えられがちだったが、いまや“環境対策=成長機会”と捉え直す視点が重要だ。世界的に、例えば人工たんぱく質、グリーンアンモニア、衛星観測といった環境技術が新たな投資テーマとなっている。日本もこれらに対して「技術開発」だけでなく、「普及・金融化・市場化」の軸を強めてきた。秋元氏の指摘の通り「技術開発・普及には時間がかかる」「忍耐強く進めていく必要がある」。つまり、短期の爆発ではなく、長期の安定的なトランジションこそが日本の戦略である。
その意味で、「資産運用立国」を掲げる高市政権の戦略とこの環境×金融軸は整合する。貯蓄から投資へと移行する日本経済にとって、環境技術・自然資本を媒介にした金融商品の育成は、新たな成長ドライバーとなりうる。地域経済を再活性化し、地銀が自然資本の担い手となる構図は、中央集権的な資源配分モデルから「地域+自然+金融」の分散型成長モデルへの転換でもある。
自然を資本とする新しい成長物語──COP30を前に問われる日本の答え
「Nature on the Balance Sheet」という言葉が示すのは、自然を“貸借対照表”の項目として扱おうという挑戦である。森林・土壌・海洋という資源が、会計上「負債」や「資産」として認識されれば、企業や金融機関はその変化をリスク・機会として捉え始める。例えば、土壌崩壊・地下水枯渇・海洋汚染が財務上のリスクとなれば、保険料率、貸出金利、株価評価も影響を受ける。このような変化を捉えた日本のモデルが、アジア・グローバルに向けた発信力を持ち始めている。
柔軟性を持たせる移行プロセスと揺るぎないカーボンニュートラルの目標は両立可能である。日本の脱炭素戦略は、欧米型の“硬直した脱炭素祭り”とも、“放置された脱炭素リスク”とも異なる。「技術革新+経済安全保障+地域価値」三つ巴のモデルを成長軸に据えるという構図だ。
地球環境が危機的な段階にある今、政策・産業・金融の三者をつなぐインフラとしての「環境×金融」の構図は、日本にとって喫緊の課題でもある。欧州主導の環境ルールづくりに対して、日本やアジアの知見を盛り込もうという挑戦には、単なる追随ではなく「ルールメイキングに主体的に参画する」姿勢が求められている。
「環境問題に取り組む意思があるかどうか」ではなく、「環境問題をどう制度・市場・技術として捉え、金融・産業・地域に定着させるか」こそが鍵である。秋元氏の警句──「忍耐強く進めていく必要がある」──を胸に、日本は自然を資本とする新たな成長物語を描けるだろうか。COP30を前にして、その問いに我々も応答を迫られている。