怒涛のバラマキ!高市早苗総理の金支配…「子どもは一括2万円」「議員はずっと5万円」キャッシュバック!減税の財源はないけどね

政府が発表した「物価高対応子育て応援手当」。0~18歳の子どもがいる全世帯を対象に、子ども1人当たり2万円を支給するというものだ。今年の夏で石破茂総裁(当時)が率いる自民党が掲げた物価高対策は「国民1人あたり2万円の給付に、子どもと住民税非課税世帯の大人には1人2万円を加算する」というものだったが、闇に葬られた。その代わり高市早苗政権が実行に移すのが子どもに2万円という政策だ。選挙では給付より減税という民意がでたはずだが、結局内容をしょぼくして実行することにした。この問題についてインフルエンサーで『図解「減税のきほん」新しい日本のスタンダード』(ブックフォース)の共著者である、オオサワ・キヌヨ氏が解説する――。
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「2万円で何が変わる?」なぜバラマキ
政府・与党が決定する総合経済対策に、0〜18歳の子ども1人あたり2万円の現金給付が盛り込まれる。対象は児童手当受給世帯、所得制限なし、給付は一度限り。必要経費は4000億円。給付は各自治体が行い、従来の児童手当と同じ口座への振込を想定している。これが物価高対策だという。だが、この発表が出た直後から、SNSでは批判の嵐が吹き荒れた。「なぜ今さら現金バラまき?」「2万円で何が変わる?」といった反応が相次ぐのも当然である。
なぜなら、すでに複数の世論調査で、現金給付を物価高対策として「効果があるとは思えない」と答える国民が圧倒的多数になっている。過去の一時金も、結局は一時的な消費にとどまり、物価高そのものの改善にはつながらなかった。国民はその経験をよく覚えている。にもかかわらず、政府はまた「単発給付」に踏み切った。その理由を国民目線で説明できる政治家はほとんどいない。
本来ならば、4000億円かけて一度きりの給付を実施するより、4700億円で「年少扶養控除」を復活させた方が、はるかに合理的だ。控除の復活なら、毎年の負担軽減が継続するうえ、給付の際に発生する事務コスト、つまり“中抜き”や“手数料”といった無駄が減る。ところが政治は、なぜか常に“手間のかかる配り方”を選ぶ。配布作業には必ず事務費が発生し、その分だけ関係部署や外部委託先に予算が流れる。これでは「わざとコストが発生する方法を選んでいるのではないか」と疑われても仕方がない。日本版“DOGE”(政府効率化局)が発足してまた結局バラマキとは聞いて呆れる。
国民が苦しむ中で自分たちの給料を先に上げる
そうした中、もうひとつのニュースが火に油を注いだ。国会議員の歳費を月額5万円増額し、総額134万4000円に引き上げるという動きだ。25日に衆院議院運営委員会で議論が進められ、与党が早期に条文をまとめると説明している。こちらは当然、1回限りではなく永続的なものだ。子供には2万円を1度きり、議員には5万円を毎月ずっと。この構図が示された瞬間、SNSでは怒号のような声が上がった。「国民への2万円は“支持率のための飴”、議員への5万円は“本当のご褒美”ではないか」という皮肉も飛び交った。
しかも、国民の家計は電気代、ガス代、食品、住居費とあらゆる分野で数万円単位の負担増が続いている。賃上げが広く行き届いたとは言えず、賃金が物価上昇に追いつかないケースが多い。そうした現状を横目に、政治家だけが着実に報酬を増やす姿は、国民から見ればあまりに鈍感で、あまりに自己中心的だ。政治家の立場がどうであれ、「国民が苦しむ中で自分たちの給与を先に上げる」構図が支持されるはずもない。
政府が予算の「配り手」として権力を握り続ける
さらに、疑念を深めたのが「財源」の話だ。政府はこれまで一貫して減税に否定的で、「財源がない」という説明を繰り返してきた。ところが今回、21兆円もの補正予算がほとんど“即決”で出てきた。21兆円とは、実は2025年の消費税収見込みである約24兆円とほぼ同じ規模だ。この事実を知った瞬間、多くの国民が「それなら消費税を1年間ゼロにできる規模ではないか」と気づき始めた。物価高対策というのであれば、2万円を1回ばらまくより、消費税を期間限定で0〜5%に下げた方が、生活の底支えとしてはるかに現実的かつ即効性がある。
では、なぜ政治は減税を選ばず、単発給付と補正予算を選び続けるのか。その答えは明白だ。減税は国民の裁量(自由)を増やし、政府の管理する財源(権力)を減らす。それに対し給付金は、政府が予算の「配り手」として権力を握り続けることができる。つまり、政治は“国民の自由より、政府の権力を優先している”。この構図こそが、今回の政策の根底にある。
しかも、こうした“国民軽視”の姿勢が露骨に表れてきた背景には、高市政権の高支持率があると指摘されている。支持率が高ければ、議員も官僚も「多少の反発はあるが乗り切れる」と判断する。
「財源がない」という説明は状況に応じてコロコロ変わる
つまり、国民が怒らなければ、政治は国民を舐め続ける。単発の給付でごまかし、永続的な報酬アップを積み重ね、減税だけは頑なに拒み続ける――その態度が政策に直結している。
今回の「こども2万円給付」と「議員歳費5万円増額」を並べてみると、政治の本音が透けて見える。国民には単発の飴をちらつかせ、自分たちには長期的な利益を確保する。その一方で、「財源がない」という説明は状況に応じてコロコロ変わる。これで政治への信頼が維持できるはずがない。
今回の怒りが尋常ではないのは、単に「議員が給料を増やしたから」ではない。高市政権が「身を切る改革」を掲げる維新と組んで政権基盤を固めたのに、その最初の大仕事が“身を肥やす改革”だったからだ。
維新の会は、国会議員歳費2割削減、議員定数削減、特権の廃止などを旗印にして国民にアピールをしてきた。その維新とわざわざ手を組み、「身を切る改革を進めます」と国民に約束したのが高市政権である。選挙のときは「政治家こそ痛みを伴う改革を」と熱く語っていた。
維新“身を切る改革”が、政権入りした瞬間“身を肥やす改革”に変貌
しかし蓋を開けると最初にやったのは何か。国民には2万円一度きり、議員には5万円永続的に増額。これでは公約破りどころか“詐欺”と言われても反論できない。身を切る改革を約束して政権を作ったのに、実際には真逆の政策を平然と行う。これが国民の強烈な不信を生んでいる。「維新と組んだのは結局、改革の看板だけ借りるためだったのか」「政権に入った瞬間、理念を真っ向から否定する維新は異常」こうした声は決して“過激”ではない。むしろ、政治側が国民を軽視した結果として自然に生まれたものだ。
この一連の政策を通じて、改めて浮かび上がった構図がある。日本は「国民に厳しく、政治家に甘い」国だという厳しい現実である。物価が上がっても、国民の可処分所得は増えない。中小企業の賃上げは追いつかず、この30年での経済成長率は先進国の中でも異常なほど低い。一方、政治家にはどうか。議員報酬は主要国でもトップクラス。調査研究広報滞在費は使った分の支給ではなく満額支給。こんな経費の使い方は民間ではありえない。
政党助成金も増え続け、政治資金パーティーの抜け道も残されたまま。そして今回、何のためらいもなく歳費を5万円増額する。
国民には「倹約」、政治家には「増額」。
この矛盾が積み重なり、日本はついに世界でも珍しい政治家だけが“インフレ耐性を強化される”国になってしまった。国民に求められるのは節約、値上げへの耐性。政治家に求められるのは、ただ政権に残ることだけ。この非対称が今回の政策で露骨に現れ、国民の怒りを最大限に刺激している。
本当に必要なのは、2万円という“一瞬の支援”ではなく、補助金やバラマキなどの削減とその分を国民に減税するといった構造改革であり、国民の負担を継続的に軽くする政策である。給付金という国に依存させる仕組みではなく、減税という国民に自由を戻す仕組みこそが、物価高と停滞する家計に本当に必要な処方箋だ。
政治は国民を舐めている――。軽々しく使うべきではない言葉だが、今回ばかりは事実がそう示している。怒るべき時に怒らなければ、政治は永遠に同じ手法を繰り返す。今回の政策は、国民にとって「その時が来た」ことをはっきりと示している。