猪木「平壌プロレス外交」30年後の大暴露! 「不人気すぎて朝鮮総連職員を強制連行」
私の面前に一人の男が座っている。在日朝鮮人の李氏(仮名)だ。李氏は1995年に、今は亡きアントニオ猪木氏が開催した北朝鮮でのプロレスイベント「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(以下、「平和の祭典」)に参加していたのだ。イベントの開催経緯についても、朝鮮総連中央本部に勤務していた頃に垣間見ていたという。猪木氏の死をきっかけに、ちょっとした話題となった、この不思議なスポーツイベント実現の舞台裏の一端を、イベントに参加した当事者の体験談とともに紹介したい。
ある日、総連本部に猪木事務所の関係者たちが通い始めた
1994年秋ごろから、アントニオ猪木事務所の関係者達が頻繁に中央本部を訪れていたことを李は目撃していた。「なぜ、アントニオ猪木事務所の方々が頻繁に中央本部国際局へ何度も訪れていたのか」。李自身も疑問に感じていた。
たまたま、アントニオ猪木事務所の関係者との協議面談を終えた総連中央国際局の担当部長・文氏と宿直勤務が一緒になった李は、夜勤中の世間話で文部長にこんな風に問いかけたという。
「アントニオ猪木事務所の方々が中央本部を最近になって頻繁に訪れていますけど、珍しいですよね ?今までこんなことはありませんでしたよね?」
すると文部長は、「そうだね 、実はアントニオ猪木さんの師匠が朝鮮でも有名な力道山なんだよ。それで、力道山の故郷である、朝鮮の平壌でプロレスの祭典をやろうか、との話が持ち上がっているんだけどね。アントニオ猪木事務所の方々と色々と協議した結果、事務所の関係者側も、『よし、これならいける』と、乗る気になって来たのよ」と答えた。
観戦ツアーが定員割れ…そんなときには総連が発動
夜中の中央本部の入り口の警備室で、文部長と 2人で勤務中に、缶ビールを何本か飲みながら交わした会話の中でのことだ。李は、文部長の話を聞いて内心、「文部長も出来っこないような、朝鮮側を巻き込んだ滅茶苦茶なビッグイベントの片棒を担がされて気の毒だな。こんなムチャな事を背負わされたら過度なストレスで体調を崩すことになるのでは。部長も気の毒に」なんて、内心、部長に同情しながら、その後は大して気にもせず、日々の業務をこなしていたそうだ。
それから半年近く経過したある日、朝鮮総連中央本部から、北朝鮮で「平和の祭典」が開催されると正式発表があり、われわれ末端にも参加するよう伝達された。
その時のことを振り返って、李は「正直、プロレスには興味が全く無く、もちろん観戦にも行きたくなかった」などとぼやいていたそうだ。