売春に命を懸ける東南アジアのトンデモ日本人「ホテルの入り口で…」思わずあ然の呆れた手口

1990年代から四半世紀にわたり激動の東南アジアでアンダーグラウンドの世界に身を置き、その破天荒な実態を発信してきた作家、クーロン黒沢氏。かつての「楽園」が日本をしのぐ物価高の国へと変貌した今、氏は何を思うのか。90年代東南アジアの光と闇から、祭りが終わった後の儚い現実にいたるまで、存分に語ってもらった。短期連載全4回の第3回。(取材日:5月28日)
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薄汚れた40代が100人以上…ディープすぎるゲストハウス
――黒沢さんもカオサン通りが合わなかったわけですか。
そうですね。
――今行くとサソリを売っていたり、クラブ音楽を流していたり、大麻を売っていたりするようなカオサン通りですけど、当時のカオサン通りも似たような感じなんですか。
今大麻は合法だからアンダーグラウンドじゃないと思うんですけど、当時はそこまで、そういうものはなかったですね。普通に露店が並んでいて、ゲストハウスがいっぱいあって、という。集まってくる人たちも若者が多くて、大学生とか、あんまり悪いものに染まっていない人たちが多い印象でした。
――そんなところにいたらつまらない、という人たちがいるわけですね。
そうですね。でも僕もそのぐらいの歳だったんですけど、なんかノリが合わなくて。中華街のほうは、年齢層がたぶん20歳ぐらい上がるんですよ。だから40歳ぐらいの人たちがコアな層なんですけれども、みんな薄汚れた感じで。それも、今だと信じられないぐらい、100人以上とか集まっていました。
節約“過激派”の衝撃手口に呆然「〇〇は買ったことがない」
――そうやって集まっている人たちって、かなり節約をしていたりするのかなと思うのですが、「そこまでするか」みたいな節約もやっぱりあったりしましたか。
「そこまでするか」的なエクストリームな節約は、僕はどっちかっていうと、カンボジアに行ってから見聞きしてきたもののほうがインパクトが大きいですね。
印象的だった例をひとつ挙げると、ベトナムとカンボジアを行ったり来たりしている有名な方がいて、その方は水はとりあえず買わない。いつも空っぽのボトルを持ち歩いて、水が欲しくなると、銀行とかに行って、隅っこのほうに置いてある警備員が飲む用のウォーターサーバーでジャーって汲んだりするんです。あとパン工場に行くと、廃棄になった割れたパンとかが捨ててあるんですけど、そういうのを取ったりとか。