「『一橋大院卒』の肩書には相当な価値があった」大学夜間コース出身の女性がIT企業の人事部長になるために用いた「大学院進学」という一発逆転ルート

教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は、和歌山大学経済学部夜間主コースから滋賀大学経済学部に編入学後、卒業。スタンレー電気株式会社、横浜市役所、ジブラルタ生命保険株式会社を経て、一橋大学大学院経営管理研究科に進学。修了後はIT業界に人事部長として転職、現在は株式会社NTTデータに勤務中の田中麻衣子さんにお話を伺いました。全2回の第2回。
目次
衰退分野に配属され、結婚→出産の道を選ぶ
大手電子機器メーカーに進んだ田中さん。しかし、配属時、配属後の男性と女性の扱いが全然違うことに気づいたそうです。
「学生のときまでは学力や偏差値で測られてきましたが、男女の差は感じることはありませんでした。しかし、配属されてから昇給や昇格に大きな差があることをことあるごとに感じました。婚姻、子供の有無で可能性が決まってしまうこと、事業部で進度が異なることなど、経営学のケーススタディで知ってはいたものの、実感することはなかったことが目の前に立ちはだかりました」
「何とかできると思っていた壁は、予想以上に高く厚いものでした」と語る田中さん。変数は自己コントロールできるものではなく、上司や先輩、それぞれの思惑や感情、様々な要素から、頑張っても報われない日々に耐えかねた彼女は、この組織で自身のキャリアを諦める選択をしました。
ライフイベントも重なり、組織ではどうすることもできないことを解決できるのは男女平等の評価や制度が整った環境だと考えた田中さん。そこで、就職活動の時点では「企業」しか見ていなかったものの、初めて公務員試験を受ける決意をしました。
国家公務員試験Ⅱ種と岐阜県庁、横浜市役所を受験した田中さんは、唯一横浜市役所の一次試験を突破し、面接も突破して2008年に27歳で入庁することになりました。
公務員から外資系金融機関に転職したことが、大学院進学のきっかけに
「ちょうどリーマンショック前かつ、団塊の世代が辞める時期と被ったこともあってラッキーでした。職場環境も悪くなく、『仕事に対してしっかり取り組めば良し』という感じでした。職場には民間勤務経験がある私を可愛がってくれる人もいました。入庁当時の市長は中田宏さんで、その後林文子さんと変わりますが、『脱公務員』というように、市民に寄り添うことを推進された市長の考えもあり、民間勤務経験のある私でも働きやすくなっていたのかもしれません」
理解のある環境で仕事ができたこともあり、横浜市役所には10年間勤務した田中さん。しかし、子育て中の職員への配慮がしっかりあるために、希望する異動がかなわないことが続きました。
田中さんは周囲に「もう少し経てば変わるよ」と慰留されることもありましたが、この状況を考慮して、転職を試みます。
「地方公務員としての10年間の勤務は転職市場において価値がなく、苦戦しました。多くの企業は説明会にも参加できず、書類選考でお見送りでした。そんな中、面接に進んだのに落ちたことが悔しくて、その話を方々でしていたら、弁護士の知人が、その業界に詳しい人を紹介してくれたんです。私はその方にも会社に落ちて悔しい話を小一時間しました。すると、聞いていたその人は落ちた会社のOBで、しかもそれなりに偉い方だったのです。そうしたご縁もあって、そのジブラルタ生命保険株式会社には翌年2度目の挑戦をして応募者7000人超の中から採用内定となりました。あとから2年連続で受験した人は私しかいなかったと後で教えてもらいました」
実はこの転職が、のちに彼女が大学院に進学するきっかけに繋がったのです。
40歳で一橋の大学院入試に挑む
38歳でジブラルタ生命保険株式会社に入った田中さんは、与えられた業務に必死に取り組みました。
仕事を始めて2年が経過し、40歳を迎えようとするころ、彼女は大学院への進学を考え始めるようになったと言います。
「自身のキャリアについて『このままでいいのかな』と考えていたら、当時の上司がグロービス経営大学院を修了したことを知ったんです。その上司は高校卒業だったのですが、一気に大学院修了の経歴になり、すごい一発逆転だなと感じました。この身近なキャリア事例に衝撃を受けたこと、3年次編入試験の指導をしてくれた和歌山大学の小田章教授に『(君はいずれ)大学院に戻ってきたくなる』と言われたこと、編入した滋賀大学のゼミナールの指導教官だった太田肇教授も就労経験を一定積んでから大学院へ進学し、大学教員に転身したことなどの要素がつながって、『大学院修了は将来の選択肢も広がるな』と考えて、大学院入試を受けようと考えるようになったんです」