普通の中高生が軽い気持ちで暴走族に…沖縄“不良青少年”のリアルとは 少年院を経験した元当事者が語る沖縄アンダーグラウンドの現実

沖縄といえば、青い海と空が広がる南国リゾート。しかし、その華やかなイメージの裏側には、本土とは異なる独自の生態系を持つアンダーグラウンドな世界が広がっているという。かつて暴走族に身を置き、少年院も経験した作家の神里純平氏が、その実態を赤裸々に語る。短期連載全3回の第1回。(取材日:7月4日)
目次
暴走族から少年院へ 沖縄アンダーグラウンドを生き抜いた男の「座右の銘」
――神里さんのプロフィールを拝見して、最初に気になったのが座右の銘です。「人生一生雑巾がけ」とありますが、これはどのような意味が込められているのでしょうか?
これは、常に驕ることなく、いつまでも初心や謙虚な気持ちを忘れずに生きていこう、という意味合いですね。常に自分は一番下の立場だという「下っ端の気持ち」で物事に取り組んでいく、という自戒を込めています。
――そのようなお考えは、昔からずっとお持ちだったのですか?
そうですね、昔からです。
――何か、そのように考えるに至った特別なきっかけがあったのでしょうか。
やはり一番大きかったのは、少年院での経験です。私は若い頃、暴走族の活動などが原因で少年院に入ったことがあるのですが、そこでは年下相手でも全員に敬語を使わなければならないというルールがありました。
――年齢に関係なく、ですか。
はい。最初はルールだからという意識でしたが、それがだんだんと染みついて癖になったんです。その経験を通じて、年齢や肩書といった表面的なもので人を判断するのではなく、その人自身が持つもの、つまり「すごい人は、年齢に関係なくすごい」ということを心の底から理解できるようになりました。その時からですね、常に謙虚な姿勢でいようと心に決めたのは。
深刻さゼロ 沖縄の“明るすぎる不良文化”の正体
――神里さんの過去にも繋がるお話ですが、沖縄には、いわゆる「不良」と呼ばれる若者が多いというイメージが一般的にあります。テレビなどで特集が組まれることも多いですが、実際のところ、そのイメージは合っているのでしょうか?
そうですね、客観的に見れば多いと思います。テレビが視聴率のために煽って、ことさらに多く見せているというわけではなく、実際に本土に比べても人口比率で言えば多いと感じます。
――なぜ沖縄では、そこまで不良文化が根付いているのでしょうか。
一つ大きな特徴として、本人たちに「グレている」という深刻な意識があまりない、という点が挙げられます。彼らにとっては、それが日常の延長線上にある「楽しみ」なんです。南国特有のカラッとした明るさで、悪事を働いているというよりは「仲間と楽しく遊んでいる」という感覚のほうが近いかもしれません。
本土の犯罪組織がリクルートに苦戦する、沖縄独自の“やんちゃな価値観”
――なるほど。本土、例えば東京の若者が手を染める闇バイトのような、陰湿で金銭目的の犯罪とは少し性質が違うということでしょうか。
全く違うと思います。もちろん、中には本土の犯罪組織にリクルートされて、そういった道に進んでしまう人もいましたが、沖縄のローカルな不良文化の主流ではありません。本土の不良と沖縄の「やんちゃ」な若者の決定的な違いは、良くも悪くも「カネ、カネしていない」という点です。
――お金儲けが第一の目的ではない、と。
ええ。本土だと、例えば銅線を盗むといった、換金することが目的の犯罪から入るケースが多いと聞きます。もちろん沖縄の若者も、年頃になれば「カネを持っているほうが格好いい」という価値観を持つようになりますが、行動原理の根本にあるのは「金儲け」よりも「仲間と楽しく過ごす」こと。お金のために何かをするというより、「楽しく遊ぼうぜ」というノリがすべての根底にあるんです。
仲間と遊ぶうちにいつの間にか暴走族に…沖縄のリアル
――神里さんご自身も、かつて暴走族に所属されていたわけですが、どのようなきっかけでその世界に入られたのですか?
私の場合は、地元の仲間たちとバイクで遊んでいるうちに、ごく自然にそうなっていった、という感じです。何かのチームに入ることを目指していたとか、強い意志を持って「暴走族になろう」と決めたわけではありません。
――いわば、地元の普通の若者が高校を卒業したら、なんとなく大学に進学するような感覚に近いのでしょうか。
まさに、そんな感じです。ごく自然な流れでした。
――暴走族には何歳くらいから参加する方が多いのですか?
早い子だと14歳や15歳、つまり中学生の終わり頃から関わり始める人もいますが、主流はやはり16歳くらいからですね。
無免許上等、儀式は不要。沖縄暴走族の“ゆるすぎる”実態
――バイクの免許は16歳から取得可能ですが、皆さんきちんと法律を守って免許を持っていたのでしょうか。
いや、正直に言って、守ってはいないですね(笑)。無免許で乗っている人が多かったです。もちろん、中にはきちんと免許を取得してから乗る人もいたとは思いますけど。
――暴走族に入団する際に、何か特別な儀式のようなものはあるのでしょうか? 都内のチームではそういった話も聞きますが。
私たちの世代の沖縄では、そういった儀式は特にありませんでした。本当に、仲間内で「一緒にバイクで走って遊ぼうぜ」という感じで集まって、いつの間にかチームになっている、という感覚でしたね。私自身も、もともとバイクが好きで早くから乗っていたので、地元の先輩から「お前も一緒に乗らないか」と声をかけられたのが始まりです。
元当事者が明かす、沖縄暴走族の意外すぎる地域格差
――沖縄と一括りに言っても広いですが、暴走族の文化にも地域差のようなものはあるのでしょうか?
ありますね。大きく分けて、南部、中部、北部の3つのエリアでカラーが違います。那覇市などを中心とする南部は、本当に「悪い」連中が多いエリア。私が育った宜野湾市などの中部も、それに次いで悪い。そして、名護市や本部町といった北部に行くと、少し牧歌的というか、我々から見ると「可愛い感じ」の不良がいる、という違いがありました。
――南部の那覇から見ると、北部の不良は「いきがっているだけ」というような見え方になるのでしょうか。
まあ、言葉を選ばずに言えば、そう見えてしまうかもしれませんね。「そこまで本気で悪さをしているわけじゃないよね」という感じです。那覇はやはり、みんな根は明るいのですが、やることはそれなりに悪い、という印象です。
沖縄で大規模な暴走族抗争が起きなかった最大の理由
――異なるエリアの暴走族同士で、抗争のようなものは頻繁に起きていたのでしょうか? 例えば、神里さんが所属していた中部と、南部の那覇との間で争いがあったり。