フィリピンで月給3万円生活「潰れて当然、こんなくそ銀行」ネットで話題の元拓銀男性、銀行破綻後の壮絶すぎる人生

「どいつもこいつも馬鹿だからさ。潰れて当然なんだよ、こんなくそ銀行、悪いけど。遅いぐらいなんだ、もっと前に潰れるべきだった。ゴミだよ、この銀行は。ダイナマイト爆破かなんかしてブルドーザーで片した方がいい」
「哀しみの貴公子」というアカウント名で発信活動をしている男性がかつて放ったこのフレーズは、今や毎日のようにTwitterで見かける伝説的なインターネットミームとなった。
拓銀破綻後、同氏は中堅電気メーカーに勤めるが、パッとしないキャリアのまま20代を終えた。「国際ビジネスマンになりたい」という夢を秘めていたが「このままでは絶対に無理だ」と悟ったという。
そして30歳で単身、コネなしスキルなしの丸腰状態で、フィリピンに乗り込むことになったのだ――。
今回は同氏の「人生を変えた」フィリピン時代のお話をじっくり伺った。連載全3回の2回目。
「次の次の次のニューヨーク駐在だ!」と言われ絶望。フィリピン行きを決意
――拓銀が破綻した後、どんな企業にお勤めになっていたんでしょうか。
正直、次に勤めた会社はほんとにダメでしたね。東京の某中堅電機メーカーですが、この会社も全然お話になんない。全然ぼーっとしちゃってる会社でね。今でもあるのが不思議なぐらいですけど、ほんとダメでした。
もうほんとにみんなやる気なくて、やる気なくて、やる気ないの。子供っぽいの。はっきり言うと、50歳くらいのおじさんたちでも、ガキにしか見えなかったですよね。お話になんないっていう感じ。