平然と嘘をつくChatGPTとわれわれは共生できるのか。人類の敵となるのか
国際政治学者の三浦瑠麗氏がChatGPTの登場に何を思うのか。三浦氏は「人間こそが恐れるべき存在なのであり、AIの悪は、ほぼ人間の悪に等しい」と語る。プレミアム特集「1億貯める! ChatGPT 投資・仕事術革命」第2回では、我々に待ち受ける3つの “怖い” 未来を解説する――。
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会話型のAIとして、こちらが教育するのが快感になる
ChatGPTには、使い始めたらやめられない面白さがある。会話型のAIとして、こちらが教育するのが快感になるレベルにまで達しているからだ。発展能力がすさまじく高く、Google検索などもはや不要なレベルだ。英訳も和訳も一瞬で出来るうえ、洗練された英語表現でメールを書きたければ、すぐに直してくれる。
複雑なタスクの順序、物事の整理の仕方なども教えてくれる。例えば、家計簿をつけるときの相談もそうだし、会社でのタスクやワークフローの整理にも役立つ。ほぼ人間に等しいような会話を通じて、更問いができるのが、ネットや本によくある手引きとは違うところだ。
惜しむらくは、質問力を鍛える教育が欠けている
ChatGPTを使ってみると、質問や対話という作業が、人間にとってどれほど重要なものなのかに、あらためて気がつかされる。どのような質問をするかで、引き出せるものの質は変わる。ソクラテスの時代に遡るまでもなく、対話は教育の基礎にある。教師が正解を与えてもそれを理解せずに書き写すだけで終わるが、質問が浮かび、対話を通じてそれが深まる経験をすることで、生徒たちは飛躍的に成長する。
一部では、日本の学校教育ではChatGPTを使わせるべきでない、という意見があるようで、論争になっている。しかし、いま子どもたちがやっている、いわゆる「調べ学習」のほとんどは、もともと既存の情報の切り貼りである。現代の子どもにとって、豊富なデータが瞬時に手に入るというのは当然の前提で、だから彼らはプレゼンテーションのスキルの差で競い合う。ただ惜しむらくは、質問力を鍛える教育が欠けているのではないか。
ChatGPTのような技術は、質問力や疑問力、一見、それぞれ別分野にあるように思えるものをつなげる柔軟な発想、それらを敷衍(ふえん)する能力の違いによってアウトプットに圧倒的な個人差を生むので、人々の能力格差を拡大する傾向にあるのだ。
優等生なChatGPTを面白くする方法
ChatGPTに、AI後の人間観について質問をしてみよう。まず、AI導入後の世界における人間のあり方について問うと、一般論が出てくる。世界中でインプットしている問いだから、極めて優等生的な回答が出てくる。AIとしての自らの矩(のり)を踰(こ)えないよう配慮も欠かさない。たいていの人は、ここで満足するだろう。だが、それほど面白くはない。