上場企業に変革迫る“東証ワンフレーズ・ポリティクス”…「PBR1倍」「女性役員」の次に発動するテーマ

 日経平均3万円台が定着し、「次は4万円突破」の声も出る上げ潮ムードの株式市場。きっかけとして、Wバフェットが注目されているが、それとともにこの流れを生んだのが、東京証券取引所による低PBR企業への是正要請であることは間違いない。企業経営への影響力を高める東証だが、はたして日本企業に変革を迫る次のテーマとは。

「PBR1倍超えまで自社株を買い続ける」企業も登場‥東証要請の威力は甚大

 日経平均株価がバブル崩壊後の最高値圏にある。堅調な株式相場のきっかけをつくった表の力が米投資家ウォーレン・バフェット氏による華々しい「日本株買い」のご託宣とすれば、影の推進力は東京証券取引所から出されるメッセージだ。筆者はこれを「資本市場のワンフレーズ・ポリティクス」と呼んでいる。どういうことか。

 専門家の見方では、現在の株高の起点は東証が3月に発表した「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願い」だ。企業が自社の資本コストをきちんと反映し、投資や還元について株主と建設的な対話をしてほしいという中身だが、何ごとも単純化が好きな市場関係者は要請に含まれた「PBR(株価純資産倍率)1倍割れ対応」に注目した。

 しかも、この議論がプライム、スタンダード、グロースという東証市場再編のフォローアップの議論で出てきたこともあり、「PBR1倍割れ放置=プライム市場上場廃止」と短絡的に結びつけられてしまった。

 実際、フォローアップ会議の参加者のなかにはそうした強硬な考えの持ち主もいたようであり、懇意の兜町記者を通じて市場の世論形成をはかったフシがある。いずれにせよ、「PBR1倍割れ対応」の威力は甚大であり、アクティビストからの要請も強まり、企業は敏感に反応した。

 例えば、大日本印刷は株主になっている米エリオット・マネジメントの存在を意識し、中期経営計画で「自己資本利益率(ROE)10%、PBR1.0倍を目指す」とし、そのための方策のひとつとして「過去最大の自社株取得」を実施するとした。こうした企業の動きは、筆者が3月にみんかぶマガジンに記したとおりである。(「アクティビストが上場廃止に追い込む『PBR1倍割れ』企業…ぬるま湯経営大国の日本!」

 その後も岡三証券グループが「PBR1倍超えまで自社株買いを続ける」と踏み込むなど、企業のコミットメント合戦は過熱。6月の株主総会の季節を迎え、アクティビストから企業への要請は過熱し、企業もそれに応じるという構図のなかで、株価の上昇に拍車がかかっている。

「PBR1倍割れ」に続いて東証が発動する「女性取締役30%」要請

 株式の場外取引があまり活発でない日本において、上場企業にとっての「東証」の権威は絶大だ。特に、上場廃止の影が少しでもチラつこうものなら、企業は震え上がって決まりに従う。東証にとっては「お願い」であっても、企業にとっては必達の「命令」。そんな過剰反応は過去にも繰り返された。「PBR1倍割れ対応」はその顕著な例だ。

 東証の威光を背景にして、次に企業が達成に向けて動くと思われる「ワンフレーズ」は「女性取締役」だ。政府は東証プライム市場上場企業に対して、2025年をメドに女性役員を1人以上選任し、30年までに女性役員比率を30%以上へと促す方針を決めた。内閣府有識者会議の提言によれば、22年時点で日本のプライム企業の女性役員比率は11%にとどまり、同市場で女性役員が1人もいない企業は18%(344社)を占める。一方、海外の優良企業の女性役員比率はフランス45%、英国40%、米国31%であり、確かに日本企業の女性登用が遅れており、何とかしなければならないのは確かだ。

 女性役員の登用を推進する力としても注目されるのが、東証である。内閣府有識者会議は、女性役員の数値目標達成を促す内容を東証上場規則に盛りこんではどうかとも提言している。

 従来、こうした経営や企業統治に関連した施策は、「コーポレートガバナンス・コード」に盛りこまれるのが常だった。ガバナンス・コードは有識者会議が定期的に改定の議論をして、東証の上場関連規則の一環として制度化される。官民の絶妙の連携プレーなのだが、最近は相次ぐ改定に伴う負担増に批判が出たため、定期的に中身を見直すことはなくなった。

 かわって、必要な時に機動的に東証規則として企業に行動変容を迫るやり方が浮上してきた。「PBR1倍割れ対応」をそうしたやり方の始まりと見ることもできるし、「女性役員比率30%」は明らかにそうだろう。

 キヤノン、東レ、信越化学工業……。日本経済新聞(23年5月20日)は、これまで女性役員がいなかった企業がおっとり刀で候補者選びを始めたと報じている。ここでもまた、東証の威光は絶大だ。

東証市場改革の次のテーマは20年越しの「IFRS(国際会計基準)」導入か

 証券市場のルールメークに関わる何人かの専門家に聞いたところ、金融庁は今後、ガバナンス・コードを定期的に改定する意向は強くないという。改定のたびに新しい項目が付け加えられ、「プリンシプルベース」(原則主義)がうたい文句だったはずなのに、細かい決まりが増えた結果、あたかも企業統治の「ルールブック」(規則集)のようになってしまったとの声が強いからだ。

 にぎにぎしいコード改定ではなく、焦点を絞った東証ルール化のほうが効果的だ――。「PBR1倍割れ対応」や「女性取締役30%」といった市場版ワンフレーズ・ポリティクスの効果を見るにつけ、市場当局者がそんな考えに傾いていっても無理はない。

 では、注視すべき次のワンフレーズは何だろうか? 筆者は「IFRS(国際会計基準)導入」だと見ている。この問題は少し構図が複雑だ。歴史を含め、少し丁寧に説明していこう。

 まず、IFRSとはInternational Financial Reporting Standardsの略称だ。訳語の「国際会計基準」が示すとおり、全世界共通の会計基準のことだ。そんなことは当たり前ではないかと思われるかもしれないが、ことはそれほど簡単ではない。もともと会計基準とは資本市場が成熟した国で自然発生的に成り立った制度なので、米国や英国など一部欧州諸国くらいしかまともな会計基準はなかった。米国は今に至るまでUSGAAPと呼ばれる独自の基準を持ち、米国外の企業がニューヨーク証券取引所に上場する際にも、USGAAPを使うことを求めてきた。ソニーなど早くに米国上場した日本企業もUSGAAPで決算をしていた。

 20世紀の終わりにユーロ市場が統合され、欧州資本市場が拡大するに伴い整備されたのがIFRSである。「国際」(International)と言っても米国は含まず、むしろ、欧州諸国やそれらの旧植民地というニュアンスだった。このIFRS整備の流れに乗り、自国会計基準の近代化を図ったのが、バブル崩壊後の日本である。

 今では当たり前となった「連結決算」や「金融商品の時価開示」「減損」といった会計処理が、1990年代の日本にはほとんどなかった。損失先送りを可能とする不透明な会計制度がバブル崩壊後の低迷を長引かせたひとつの要因と考えられ、21世紀に入ってからの日本はIFRSの整備と歩調を合わせて大きく変わった。ごく最近の例では、従来はバランスシートに計上されていなかったリース取引を資産・負債として記す会計基準が挙げられる。

なぜ慣れ親しんだ「日本式会計」を変えなければいけない?‥企業の導入が進まないIFRS

 IFRSを作っている組織は英ロンドンに本拠を置くInternational Accountings Standard Board (IASB)、国際会計基準審議会で、各国の会計関係者からメンバーを募り、世界的に通用する基準を開発している。日本からも2001年のIASB発足以来、継続して理事を送り出している。

 決して日本と無縁のところでつくったものを押しつけられている訳ではないのだが、会計士や企業の財務担当者のなかでもいわゆる「国内派」は、自分たちが慣れ親しんだ日本式会計が必ずしも通用しないので、端的にいって面白くない。IFRSを全面的に使うかどうかを巡ってはほぼ20年来の議論がくり広げられ、今のところは、義務づけではなく、希望する企業がIFRSを使う「任意適用」に落ち着いている。

 大企業を中心にIFRSの任意適用は進んだが、最近は勢いが鈍っている。IFRS任意適用会社は2014年6月の27社から20年6月の213社へと一気に増えたが、その後は伸び悩み、23年5月の時点では254社にとどまっている。これがIFRS適用をテコに日本市場の地位を一段と高めたい「国際派」にとっては物足りない。

 だが、日本の会計基準も1990年代に比べれば見違えるようになったので、今さらIFRSを使わなくてもそれほど深刻ではないように思われる。この問題が久しぶりに焦点となったのは、6月2日に開催された企業会計審議会会計部会の場だった。

「国際派」と「国内派」の意見が対立‥ついに東証のワンフレーズ・ポリティクスが発動か

 議論の対象のひとつは、企業買収によって生じる「のれん」の会計処理だ。被買収企業の純資産を超えた価格で買収を実行するときに生じる無形資産で、英語ではGoodwill。実態が分かりにくいということで、日本の会計基準はこれを20年以内で定期的に償却する。逆にIFRSは償却せず、収益見通しなどから被買収企業の価値が落ちたと判断された時に、減損を計上する。

 「国際派」はコンスタントに費用計上する日本式では、例えば償却費用の発生を避けるため、企業がM&Aをためらう要因になっていると主張する。つまり、現行の会計制度が企業の成長の阻害要因になっているとの主張だ。

 一方「国内派」は、IFRSは「のれん」が累積的に積み上がり、減損を計上するタイミングが遅すぎる傾向があり、損失額も不十分であるとするtoo little, too late 問題を指摘する。あまりに専門的になるのでこれ以上は説明しないが、「のれん」の非償却は「自己創設のれん」という不健全な要素を含むともいう。

 成長促進という実利を考えればIFRS適用をもっと広げたほうがよいし、伝統的な会計理論にこだわれば日本の考え方も捨てがたいといったところか。実際、日本の会計関係者はIASBに償却方式を検討するよう働きかけたが、検討の末、見送られてしまった。もはや日本の主張が通る見込みが小さくなったことが、IFRS普及派を勢いづかせている。

 6月2日の会計部会に話を戻す。「日本の会計基準の『のれん』の会計処理をIFRSに合わせるか、さもなければIFRSの国内適用をさらに増やす必要がある」。そんな声は一定数あった。「東京証券取引所のプライム市場上場企業にはIFRS適用を促してみてはどうか」との意見も聞かれた。

 古くは斉藤惇・元東京証券取引所社長が東京市場国際化のために、IFRS導入に熱心だったとも聞く。議論の行方はまだはっきりしないが、どこかの時点で「東証」の存在感が確実に高まりそうだ。「PBR」「女性役員」の次のワンフレーズは「IFRS」かもしれない。

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この記事の著者
小平龍四郎

1964年生まれ。静岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業。日本経済新聞入社後は主に金融・証券畑を歩き、「山一証券破綻」「村上ファンド登場」などの特報にかかわる。欧州総局(ロンドン)やアジア総局(バンコク)を経験し、現在は日経新聞の編集委員。専門は証券市場、ESG/SDGs、企業統治。著書は「グローバルコーポレートガバナンス」「アジア資本主義」「ESGはやわかり」。 Twitter:@Kodaira_Nikkei

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