「報道しない自由」を連打した後ろめたさを「ジャニタレ」にぶつける新聞の信頼のなさ…同罪なのに第三者委員会を設置しないズルさ
元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏は「新聞各社は報道しない自由を行使してきた後ろめたさを、今さらになってジャニーズタレントにぶつけている」と指摘するーー。
ジャニーズ騒動における藤島ジュリー景子前社長の道義的責任
法治国家の日本で「法を超えた措置を」と求めるのは、いかがなものなのだろう。ジャニーズ事務所を閉じることを決めた藤島ジュリー景子前社長の「お手紙」の内容について考えてみたい。
これまでの前提は、藤島氏が経営を握るか、資本を抑えるには、どうすれば世間は納得できるものなのかということだった。そもそも、藤島氏は性加害を知っていた可能性をメディアから指摘されているが本人は否定しており、死んでしまったジャニー喜多川氏とはまったくの別人格である。親子ですらない。令和を生きる私たちには江戸時代の一族郎党で罪を背負うという時代背景もなく、あるのは、ジャニー喜多川氏が創業した事務所を引き継いでいるという道義的な責任であった。
藤島氏「補償とタレントの心のケアのため会社に残りたい」
しかし、ビジネスを自身の手で継続していきたい、となれば別の話であった。スポンサーが引き上げ、世界中からバッシングを受ける状態を回避するためには、資本と経営を分離し、道義的な責任も含めて時効をすぎた被害者をも含め救済する必要があった。しかし、藤島氏は手紙の中で、ジャニーズ事務所をたたむ決意をし、また、道義的責任を感じて、「法を超えた補償」をすることを明らかにした。