「菅義偉総理、復活待望論」が過熱…茨城県議選大敗、岸田政権行き詰まりに党内から「辞めろコール」
需給ギャップマイナス幅を、なぜ霞が関官僚は注目する
新年を迎えても岸田文雄首相の人気は下がり続けている。昨年末の防衛費大幅増に伴う増税プランに国民は顔を背け、打ち出される政策と言えば企業への賃上げ要請に偏っているのだから当然だろう。少額投資非課税制度(NISA)の拡充・恒久化にしても手元の資金が少ない人に恩恵は感じられない。世界経済の鈍化が予想される2023年、成長よりも分配に重きを置く岸田首相率いる日本は、ウサギのように飛び跳ねるどころか、沈むリスクすらつきまとう。こうした危機の時に起こるのは政変だ。我が国の窮状を変える “救世主” は現れるのか。
今、霞が関官僚の中で、にわかに注目されているのは、日本経済の需要と供給力の差をあらわす「需給ギャップ」だ。需要よりも供給力のほうが多い「物あまり」状態の時にマイナスになるもので、内閣府が昨年12月7日に発表した2022年7~9月期の需給ギャップはマイナス2.7%だった。年換算では15兆円の需要不足である。
なぜ需給ギャップが注目を浴びるのかと言えば、マイナス幅が拡大した時に最近は政変が起きているからだ。政権の経済政策と景気、国民の反応・投票行動が無縁ではないことを物語る。例えば、1989年4月の消費税創設や、同5月の公定歩合引き上げ後にバブル景気が崩壊し、1993年に需給ギャップがマイナスに転落すると、同年6月に宮沢喜一首相(当時)の内閣不信任案が可決、8月には日本新党を中心とする細川護熙内閣が発足した。
97年4月に消費税率が3%から5%に引き上げられた後、景気低迷からマイナスに転落した時も政変が生じている。翌98年7月の参院選で橋本龍太郎首相(当時)率いる自民党は惨敗し、橋本内閣は総辞職しているのだ。さらに2000年8月のゼロ金利政策解除後のマイナス転落時には森喜朗内閣、06年3月の量的緩和政策解除後の景気後退時には麻生太郎内閣が終了し、09年9月に民主党政権が誕生した。民主党最後の宰相となった野田佳彦内閣も需給ギャップのマイナス幅が拡大した時に終焉している。