「国葬に法的根拠はない」と声高に叫んでいる人ほど、その発言に根拠がない理由
安倍元首相の国葬儀には誰もが納得できる意味が必要だ
安倍晋三元首相の国葬儀がいよいよ9月27日に行われる。世論調査の結果で、国葬儀に反対する人が多数だったこともあり、メディアでは現在「果たして安倍元首相が国葬儀に値する人物か」とか「そもそも国葬儀をやるべきなのか」といった、国葬儀に否定的な意見が優勢のようだ。
しかし筆者が見聞した限りでは、旧統一教会と政治との癒着に拘泥し、国葬儀の是非という点について正鵠を射ていない主張も多いようだ。
そこで本記事では、144年前の最初の例(準国葬)や、51年前の吉田茂の例(戦後唯一の皇族以外の国葬)を振り返って「国葬の意味」を考え、その上で「令和に行われる安倍元首相の国葬儀」に国民の誰もが納得できる意味が見出せないか検討してみたい。
最初の国葬は、暗殺された大久保利通を哀悼するために行われた
まず最初の国葬は、どういう理由で始められたのかを調べてみよう。このことを知ればニッポン人と国葬の関係性が見えてきて、現在のボヤーっとした議論も整理できそうである。
国葬の研究者・宮間純一氏によると、ニッポンの国葬の始まりは、紀尾井坂の変で暗殺された当時の内務卿(現在の総理大臣に相当する)、大久保利通の葬儀であった。1878年に行われたこの葬儀は、突然暗殺されてしまった国家のリーダーを弔うため、前例や根拠法規もなく急きょ行われた。そのため、正式な国葬ではないとされている(宮間純一氏は準国葬としている)のだが、その後に10人の「維新の元勲」が同じように国葬とされており、この大久保利通の葬儀は国葬の原点と言っていいだろう。
ちなみに大久保は、ホテルニューオータニと千代田区立清水谷公園の間を通る道路上で暗殺され、公園には大久保を哀悼する大きな石碑がある。筆者は学生時代、公園の前を通るたびに「でかい石碑があるな」と思っていたが、まさか維新政府のリーダーの暗殺現場とは思ってもみなかった。
この大久保の国葬からは「選挙中、非業の死を遂げた」人物を哀悼するという今回の国葬儀の理由が正当であることがよく分かる。暗殺されたリーダーに対する哀悼の意は、ニッポンの国葬の原点だったのだ。おそらく大久保利通の死に直面した明治政府の指導者も、安倍元首相の死に直面した岸田首相も、同じように偉大なるリーダーの突然の暗殺にショックを受け、国で弔うべきだと考えたのだろう。しかし、この大久保の国葬は、当時の元勲らが「リーダー格の大久保を哀悼する」だけでは終わらなかった。
まず、この国葬は「明治天皇の国創り」に殉じた内務卿に対して「天皇の思し召しで、特別に弔ってあげた」という形になり、こうした考え方がこの後の政治家・軍人の国葬に引き継がれていく。
さらに、この国葬は、大久保らが進めた政策に対して天皇がお墨付きを与え、大久保らの政敵(下野したかつての仲間や不平士族)に対しては、反逆者のレッテルを張ることになった。この点は、現代の国葬儀も同じような効果、すなわち「国葬を否定する野党やその支持者に反逆者のレッテルを張る」効果が生じるものと考えられる。
「天皇の治世に貢献した人物を天皇が顕彰する」「為政者にとって脅威となる政敵を排除する」という点で、まさに大久保の国葬はその後の国葬の原点となったのである。
戦前の勅令「国葬令」も「あいまい」だった
先ほど「非業の死を遂げた人物を国葬することがある」と書いたが、原敬、犬養毅など、暗殺されても国葬されなかった総理大臣もいる。したがって令和4年9月27日の国葬の意味をはっきりさせるためには、なぜ大久保利通が国葬され、なぜ原敬や犬養毅は国葬されないのか、理由を明確にする必要がある。