「日本のビジネスなんてくそ食らえ!」「総会はイカサマだ!」撤退を迫られた米国アクティビストたちの捨て台詞

 日本で初めての「株主アクティビズム」は1989年にさかのぼる。米国アクティビストのブーン・ピケンズ氏が、小糸製作所の株式を買い占め、激しい攻防戦を繰り広げたのち否決されて撤退したのだ。日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏がその詳細を解説する。

目次

日本企業と資本市場との関係を決定づけた1989年の出来事

 アクティビスト(物言う株主)が活発に動いている。昨年までとの違いは、アクティビストに対する社会の雰囲気だ。今でも彼・彼女らへの警戒心は残るものの、一般株主の立場からは「言っていることはごもっとも」「理屈は通っている」などと、好意的な見方も少なくない。企業と株主との関係は劇的に変わりつつある。

 ここに至るまでには長い歳月を要した。産業史をふり返れば、日本企業と資本市場との関係を決定づけたできごとがいくつかある。米投資家ブーン・ピケンズ氏と小糸製作所の攻防は間違いなくその1つだ。時は1989年3月末。株式市場のバブルが増殖し、企業はファイナンスと財テクに走り、証券会社はシナリオ営業にまい進していた時代である。企業どうしの堅固な持ち合いが形作られていった経緯はすでに述べた。

「日本企業は米国に利益を求めて投資している。日本での我々の投資活動も同等に扱ってほしい」。トヨタ自動車系の部品会社、小糸製作所の株式の20%を取得して筆頭株主になったピケンズ氏は米国の新聞紙面などでこう主張し、要求を繰り出してきた。

ピケンズ氏は「日本的企業統治」を暗に批判

 主なものを整理してみる。

  1. 自分はグリーンメーラー(買い占めた株式を高値で会社に買い取らせる威嚇的な株主)ではない。
  2. 自分は長期の安定株主として小糸の経営を支援したい。自分と同じく約20%の株式を持つトヨタは3名の役員を送り込んでいるのだから、我々からも3名の取締役を送り込みたい。
  3. 中間配当を増額してほしい。
  4. 日本の自動車会社は系列取引を改めるべきである。これは日本の消費者や株主にとってもマイナスであり、日米貿易摩擦の原因にもなっている。
  5. 小糸の詳しい財務・会計資料を入手したい。

 今の世であれば、日本国内でも一定の支持を得られたのではないかと思わせる内容だ。日米貿易摩擦を持ち出し、株式の持ち合いによって守られたケイレツ(系列)取引を批判する政治的なロジックは、それまでの日本企業が遭遇したことのないものだった。

 ピケンズ氏は直接言及しなかったものの、彼が提起した問題は、国際的な視点に立った日本的企業統治(コーポーレトガバナンス)への批判にほかならなかった。

小糸側は水面下の株式買い取り要求を封殺

 小糸の株式関連業務を取り仕切る主幹事証券は日興と山一だったが、これら2社では荷が重いと判断した同社経営陣は野村証券系列のコンサルティング会社、野村企業情報に助言を仰ぐことにした。野村と米有力投資銀行ワッサスタイン・ペレラ社との提携から生まれた、当時の日本では珍しかったM&A(合併・買収)に関する専門助言会社だ。

 やや脱線するが、野村企業情報は日本の資本市場に人材を輩出した企業としても知られる。SBIホールディングス総帥の北尾吉孝氏や日本取引所グループ最高経営責任者の山道裕己氏などがよく知られる。ピケンズ氏と小糸の攻防を野村企業情報社長として取り仕切った後藤光男氏は、日本に近代的なM&Aを定着させた立役者だ。

 野村企業情報や企業法務に強い西村真田法律事務所(当時)を交えて分析した結果、小糸側はピケンズの真意は「グリーンメール」にあると判断した。

 その上でピケンズ氏とのやりとりで徹底的にトヨタを切り離し、ケイレツ批判や貿易摩擦を争点にしないように試みた。さらに「試乗で買ったものは市場で売ってもらう」というスタンスを明確に伝え、水面下の株式買い取り要求を封じた。

「総会はいかさまだ」ピケンズ氏は怒りで途中退出

 ピケンズ氏は1989年6月の小糸の株主総会に出席。動議で取締役の選任を求めたが却下された。さらに翌90年の株主総会にも仲間とおぼしき外国人株主を連れて出席。総会の途中で特殊株主と見られる出席者から罵声を浴びたため、「総会はいかさまだ」との捨てゼリフを残して退出してしまった。

 メディアに追われたピケンズ氏は総会会場の東京・品川プリンスホテル玄関前で取り囲まれ、改めて怒りをぶちまけた。その様子を映像は克明に捉えており、テレビのドキュメンタリー番組にもなった。

 こうした行動は米国向けのパフォーマンスだったという見方が、今では定説になっている。ピケンズ氏の日本でのスポークスマン役を務め、小糸の総会にも同席した弁護士の石角完爾氏は後になって筆者の取材に対し「ピケンズの狙いは日本的なケイレツを批判し、米国での存在感を高めることにあったと、今更ながらに思う」と語っている。

「日本のビジネスなんてくそ食らえ」ワシントン・ポスト紙を飾った扇情的な文字

 1991年4月28日、ピケンズ氏はワシントン・ポスト紙に投稿し、小糸株投資からの撤退を宣言する。「日本のビジネスなんてくそ食らえ」(THE HECK WITH JAPANESE  BUSINESS)。クオリティーペーパーの投稿にしては扇情的なタイトルだ。

「オーケー、トヨタ。オーケー、コイト。私は諦める。2年以上も小糸製作所の最大の株主だったが、取締役会に私たちの代表者を迎えてほしいという要望はかなえられないということが明らかになった。影響力を持てない会社の株式を26%も持っていることに興味が持てなくなった」

「この取引で利益は出ないが、私は貴重な教訓を得た。それは次のようなことだ。一定の良さはあるのだろうが、日本の産業は必ずしも私たちよりも賢明で、敏感に変化に対応でき、効率的というわけではない。日本の産業は、米国が約100年前に禁止したかトラスト、独占、カルテルといった誤ったビジネス慣行に立脚しているだけだ。それらが全く機能しないというつもりはない。問題はそれらが、誰のために、いかなるコストを要して動いているのかということだ」

「私が日本を去れば、再びケイレツが勝利したと言う方もいるだろう。しかし、トヨタやコイトとの経験を通じて日本のカルテルがいかに機能しているかについての米国の関心をさらに高めることができるとすれば、幸いである。私は最近、米競争当局に証言を提出した。当局は日本がケイレツシステムを米国に輸出することにより、米国の反トラスト法に違反していないかどうか調査している。また、私が率いるブーン社は日本政府に対して、少数株主への増配やその他株主権の強化を実現するよう、日本企業に要請してほしいと求めている」

ピケンズ氏を追い返した体験がアクティビストを排除するきっかけになった

 事後的にはっきりしたことだが、ピケンズの保有株は小糸株を買い占めていた麻布建物から融資を受けて譲り受けたものだった。野村企業情報の専門家たちは「ピケンズ氏が自分のお金を出して、小糸の株価が上下するリスクを一身に背負った真の株主ではない」との結論を早い段階で得ていた。90年の総会後、小糸株は麻布側に戻り、さらに麻布の主力行だった旧三井信託銀行が代物弁済のかたちで保有。その後、売り出しによって市場に放出された。

 株式買い占めの後始末に乗り出したピケンズ氏がグリーンメーラーとしての己の影響力を過信し、日本の株式市場に拒絶された格好だった。ワシントンポスト紙の撤退宣言は負けを認めないアメリカ人らしいトーンに貫かれている。建前といえば建前であり、当時の日本の産業界や市場関係者の間では「してやったり」感が強かった。

 しかし、撤退宣言に記されていた市場・産業の閉鎖性、さらには少数株主の地位の低さなどは、その後の日本経済が直面し、解決を迫られるものばかりだ。西村真田法律事務所の弁護士として小糸防衛に力を尽くした草野耕一氏は筆者にこう語ったことがある。

「小糸を守る判断は正しかったが、日本では敵対的に株を買い占めることへの悪い印象だけが残ってしまった。米国は株主の敵対的な行動が、企業社会のダイナミズムにもつながっている。日本は株主の敵対的な行動が少なく、その標的になるのを避けるために経営改善に努めるという土器に乏しい」

 ピケンズ氏は動機不純なグリーンメーラーだったかもしれないが、表面上は言っていることも理屈が通っていた。ピケンズ氏を鮮やかに追い返してしまったことがゆがんだ成功体験となり、その後、株主の立場から経営改善を求める投資家を排除する風潮が広がった面は否めないのではないか。

「村上ファンド」もピケンズ氏と同じように“撃退すべき存在”として扱われた

 草野氏はピケンズ問題にもふれた著書「会社法の正義」(商事法務)で述べている。

「企業社会が健全な発展を遂げるためには敵対的買収が成立する余地を残しておくことがどうしても必要」である。なぜならば「敵対的買収を回避するためには経営の効率性を高めることが最善の道であるから、結果として効率的な経営が進む。この効果を実際に買収を実現して達成される経営改善効果と区別して『規律効果(disciplinary effect)』という」

 日本は黒船撃退の成功体験に酔い、市場規律を失った。ピケンズ氏の撤退宣言は1991年4月。誰の目にも株式市場の変調が明らかになり、社会全体にイヤな雰囲気も漂い始めたころだ。

 それでも日本の企業社会はピケンズ撃退の余韻から逃れられず、それは長らく続いた。2000年初めに村上世彰氏らが率いる村上ファンドが登場した際、発言の中身そのものより攻撃的な姿勢ばかりが注目された。多くの市場関係者はそこに「ピケンズ」のイメージを重ね、撃退すべきグリーンメーラーとして扱おうとした。

 もちろん村上氏らのふるまいは褒められたものばかりではなかったが、実態として買い占めの肩代わりだったピケンズ氏とは質的に違う存在だった。村上氏は検察の捜査で一時的に社会の表舞台から降り、そのことで胸をなで下ろした企業人も少なくなかったと見られる。結果として、日本経済はそこからさらに10年以上を空費することになった。

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この記事の著者
小平龍四郎

1964年生まれ。静岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業。日本経済新聞入社後は主に金融・証券畑を歩き、「山一証券破綻」「村上ファンド登場」などの特報にかかわる。欧州総局(ロンドン)やアジア総局(バンコク)を経験し、現在は日経新聞の編集委員。専門は証券市場、ESG/SDGs、企業統治。著書は「グローバルコーポレートガバナンス」「アジア資本主義」「ESGはやわかり」。 Twitter:@Kodaira_Nikkei

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