「はい、ここ泣くところね」パリ五輪のスポーツ報道に強烈違和感のワケ…「余計な解説」「煽り」「ビジネス臭」にうんざりの国民
パリ五輪は柔道やレスリング、フェンシングなどで日本選手が活躍し、メダルラッシュに沸いた。日本での経済効果は2500億円にものぼるとの試算も出ている。完璧といえるまでに鍛え抜かれた身体や技は魅力し、人々に感動と勇気を与えるものだ。しかし、テレビ中継やネット配信で「伝わってくるモノ」が五輪報道で消えてしまうのはなぜなのか。経済アナリストの佐藤健太氏は「速報性や記録性の優位性が失われた今、感傷的な記事で煽るスポーツメディアはもう限界なのではないか」と指摘するーー。
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メディアによる昭和の価値観の押しつけが続いている
「経営はどこも厳しくなっている。記者の数は減り、どこに貴重な『資源』を集中させるか選択せざるを得ない。働き方改革もあって朝から晩まで取材させることもできず、かつてのようにはいかない」。あるスポーツ紙デスクはこう苦笑する。
かつてラジオや白黒テレビの前に人だかりができていた時代、スポーツメディアは「記録性」とともに一定の「速報性」も兼ね揃えていた。だが、今はテレビで眺めるまでもなく、スマホ1台あれば多くのスポーツをリアルタイムで見ることができる。売り物だったはずの「記録性」もネット検索すれば一発で結果を知ることができる時代だ。そこにスポーツメディアの優位性はほとんどない。
その結果、五輪報道でも顕著なのが「お涙頂戴」モノの感傷的な記事だ。「苦節○年」「兄妹の絆」「リベンジ」など時代が移り変わっても、昭和の価値観の押しつけが続いているように映る。もちろん、それらはアスリートたちが悪いわけではない。スポーツメディアの報じ方に問題があるのだろう。
なぜ人々はスポーツメディアを嫌うようになったのか
簡単に観戦に行くことができず、情報量も少ない米大リーグの大谷翔平選手に関する報道は、いまだ需要がある。実際、スポーツメディアは「大谷シフト」で多くの資源を割いている。ただ、それでも余計な解説モノは嫌われ、純粋にホームランシーンなどを動画で視聴する人がほとんどだ。
なぜ人々はスポーツメディアを嫌うようになったのか。結論を先に言えば、それは「リアル」を追求するようになったからだろう。先に触れたように、かつては「リアル」を簡単に知ることができなかった。だが、令和時代の今は違う。「お上」から指令が出されるように“押しつけ型”で報じるメディアのやり方は、リアル追求時代に通用しなくなったのだ。
五輪報道を見ていて覚える違和感の正体
一般社団法人「日本新聞協会」の調査データ(2023年10月時点)によれば、主要スポーツ紙の部数減は著しい。2000年には約631万部あったものの、2008年に500万部を下回り、2023年には191万6357部まで減っている。2022年からの1年だけで約24万部、10%超も減少しているのだ。