年収の壁「200万円で所得制限」自民案に国民激怒「実にセコい」…やっぱり騙しだ!178万円の約束「石破&吉村が破壊する日本と日本人」

「103万円の壁」問題を巡り、自民党は「年収200万円以下は非課税枠を160万円程度に拡大」する案を国民民主党、公明党に提案した。2024年12月の3党幹事長の合意文書では「178万円を目指して、来年から引き上げる」と明記されていたがこの案にネットからは「実にセコい」などと批判が集まっている。この問題について経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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完全な騙しであり、国民の期待を根底から裏切った所業
安倍晋三元首相がせっかく取り戻した政権の座を、宮沢洋一税調会長と石破茂首相は、手放したいようだ。
せっかくトランプ大統領からもらったラッキーな外交的成果で、支持率が微増したことで気が大きくなったのだろう。国民民主と公明とで、178万円にすることで合意した年収の壁の撤廃を、非課税枠を103万円から178万円に一律に上げるのではなく、年収200万円以下で非課税枠を150万円超とする案などが提示された。
完全な騙しであり、国民の期待を根底から裏切った所業であることは間違いない。私も今、文字をうちながら、怒りに打ち震えている。
私は今年に入って、石破首相にインタビューしたが、本当に残念な思考しかできないのだなと、短いインタビュー時間で心からそう思った。
まず、聞いたのは、減税については「財源、財源、財源はどこ」というが、減税の財源には3つある。一つは、増税。一つは借金。そして、ムダ遣いの削減である。どう考えても、大半の日本国民が望んでいるのは、増税でもなく、借金でもなく、ムダ遣いの削減である。なぜ、自民党は、ムダ遣いを削減しようとしないのか、聞いたところ、石破首相は、こう答えた。
<歳出削減の話になると、例えば「議員が多いのではないか」「議員を減らすべきではないか」という意見が出る。これには賛成する声も多い。しかし、具体的に「この選挙区の議員を減らしましょう」となると、反対意見が出るのが現実だ。「地域の声を反映するための議員が減るのは困る」という反発が必ずある。一方で、自分の地域と関係ない議員を減らす話には賛成するという傾向が見られる。これは良し悪しの問題ではなく、多くの人がそう感じるという現実だ>
石破首相「本当に誰にとっても無駄なものであれば、とっくに削減されているはず」
<無駄なものというのが本当に誰にとっても無駄なものであれば、とっくに削減されているはずだ。ある人にとって無駄なものが、別の人にとっては必要なものになる場合が多い。例えば、7割や8割の国民が「これは無駄だ」と感じるものがあれば、そういったものから削減する議論が進む。しかし、すべての人にとって無駄だと言えるものは非常に限られている>(みんかぶマガジン、1月17日)
石破論法と呼ぶべきものなのか、意味のない言葉の羅列が続いている。政策の正当性や実効性を説明するのではなく、ひたすら冗長な表現を用い、聞き手に考える余地を与えない話法に終始している。具体的なデータや根拠を提示せず、あたかも議論を深めているかのように見せかけるが、その実、何も本質的な内容を語っていない。このような話し方が続く限り、国民の信頼を得ることは難しく、政策の妥当性も検証できないまま進行することになる。
石破首相は、すべての人にとって不要な支出以外は削減しない考えのようだ。しかし、そうした発想自体が本末転倒である。政策の是非を判断する基準は、主観ではなく客観的なデータやエビデンスに基づくべきであり、それが欠けている以上、無駄を省く判断も正しく行われることはない。政策の効果が証明されておらず、成果も確認できないものを継続する合理性はない。実績が示されず、期待される効果が明確でない施策を漫然と続けることこそ、税金の浪費につながる。
石破首相の恣意的に判断を避ける姿勢には大きな問題
無駄をなくすと言いながら、何が無駄であるのかを定義せず、恣意的に判断を避ける姿勢には大きな問題がある。政治の本来の役割は、限られた財源を最適に配分し、国民生活を向上させることである。明確な効果が立証されていない施策を放置し、不必要な支出を削減しないままでは、持続可能な財政運営など不可能である。言葉を弄して問題を先送りするのではなく、具体的な数字と根拠をもとに、実効性のある政策判断を行うべきである。