ディストピアが見えてきた!いま注目のエコノミスト「人間は退化を始めている」

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 ITの進化に伴い、現代に生きる私たちの生活は格段に便利になった。一方で、エコノミストの河野龍太郎氏は「コンピューターの登場によって経済成長のペースが高まったとは言えない」と指摘する。AI新時代がもたらす、ネガティブな側面について河野氏が言及する。全3回中の1回目。

※本稿は『日本経済の死角——収奪的システムを解き明かす』(ちくま新書)から抜粋・再構成したものです。

第2回:エコノミスト「イノベーションは負担や苦痛の源泉になる」日本はイノベーションが欠如しているわけではない

第3回:エコノミスト「IT革命は実質賃金の上昇をもたらさない」高所得者にのみ富が集中する“収奪的”システム

目次

「イノベーションで豊かになれる」は事実ではない

 「経済成長には、イノベーションが不可欠である」。この意見に多くの人が賛同するでしょう。筆者も基本的には同意します。ただ、イノベーションは経済成長の必要条件ではありますが、十分条件とは言えないのではないでしょうか。

 現に1990年代後半以降、ITデジタル革命が続き、イノベーションは群発してはいますが、その経済的な果実は一部の人に集中したままです。もちろん、世の中が便利になったのは確かです。電車の改札はスマホをかざすだけで済みますし、映画館の座席予約も事前のスマホ決済で終わります。 レストランの予約も支払いもスマホ一本で、財布がなくてもすべて事足ります。

 外出が嫌いな人も、ネット配信のお陰で、自宅で最新の映画が鑑賞できますし、食事もスマホでケータリング可能です。 しかし、経済全体の成長ペースが継続的に高まったという事実は、イノベーションの中心である米国ですら観測されていません。

 筆者が大学を卒業した1987年に、経済成長論の始祖で、1987年にノーベル経済学賞に選ばれたロバート・ソローは、「コンピューターの時代はあらゆる所で目にできる。 ただ、生産性の統計を除けばの話だが」と愚痴をこぼしました。

  ソローは、コンピューターの導入で、あらゆるところで生産性が上がったと皆言うけれど、経済統計を見る限り、そうした事実はない、とぼやいていたわけです。 戦間期以降、米国では高い成長が続きましたが、1970年代以降、成長は足踏みしていました。

 その後、1990年代後半にはITデジタル革命が始まり30年近くが経過しました。 このITデジタル革命のお陰で、2000年前後に米国の生産性上昇率は高まり、一時はソローの願いが叶うかと思われましたが、一過性のものに終わりました。

 2000年前後のドットコムバブルで、金融市場は「新時代」の到来を期待しましたが、結局、ソローの40年前の観察から事態は大きく変わってはいません。

AIの登場でも、結局賃金は上がらない

 しかし、2020年代以降、AI新時代の到来によって、今度こそはバラ色の未来が訪れるのでしょうか。上昇傾向の続く米国の株式市場は大きく期待しているように見えます。

  筆者自身は、AI新時代が到来しても、今の方向性のイノベーションのままでは、広範囲に自動化(オートメーション)が進展するだけであって、労働需要は盛り上がらず、結局、多くの人の実質賃金が抑制されるのではないかと、懸念しています。

 中国では、AIによる高度な監視技術が発展していますが、それは他人事ではなく、民主主義国家にある私たちの職場でも、労働監視が進み、一段の労働強化が図られるのではないでしょうか。

 以前はPCの前に座って、仕事をするフリで息抜きする人もいたでしょうが、今では、従業員の一挙手一投足を把握することが技術的には可能であり、既にジョージ・オーウェルの『1984』的な監視社会がすぐそこまで訪れているとも言えます。 

 また、イノベーションの経済的な果実も、過去30年間と同様、一部のテック起業家に集中し、このままでは、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で論じたように、デジタル寡頭支配が進行するのではないかと筆者は危惧しています。

人間は退化を始めている

 ハラリが描いたのは、近未来において、生物工学やAIの発展によって、私たちの生体情報がすべてクラウドに蓄積される未来でした。自分の生命情報を提供する人などいない、と10年前は皆考えていたでしょうが、現在、健康を望む人は、筆者もそうですが、アップルウォッチなどのウェアラブルデバイスを使って、喜んでデータをプラットフォーマーに提供しています。 

 いずれ身体だけでなく、頭脳や精神状況もモニターするようになり、自分以上に自分のことを知るネットワークシステムが誕生して、私たちは気づかないうちに、その支配下に組み入れられます。そう言えば、2024年秋に米国で脳波を日常的に測定するイヤホン型のウェアラブルデバイスが一般向けに発売されました。 

 人間至上主義の下、人間のためのデータだったはずが、主客が逆転して、データ至上主義の時代が訪れ、同時に、サイボーグ工学の発展で、富裕層は身体や頭脳のアップグレードを繰り返し、神に近い新たな支配階級『ホモ・デウス』が誕生するというのが、ハラリが警鐘を鳴らしたディストピアでした。 

 ここでハラリの論考に一つ付け加えるとするなら、私たちの創造性の源泉となる限られた「時間」や「関心」が、スマホやタブレット、PCなどのスクリーンにすっかり奪われ、多くの人間が進化ならぬ退化を始めている可能性があることです。

 既に便利になったカーナビのお陰で、筆者は、地図を見る能力や空間把握能力が失われているのを日々実感していますが、今にスマホ画面の地図アプリなしには、徒歩での目的地への移動も困難になるのでしょうか。6~7万年前の二度目の出アフリカの後、南極を除くすべての大陸に移動したサピエンスの子孫とは思えない末路です。

 拙著『グローバルインフレーションの深層』でもお話ししましたが、食べるのに精一杯だった人類は、限られた時間を使って、創意工夫を行い、そのお陰でより長く考える時間を捻出して、さらなる創意工夫を行って進歩してきました。ところがより深刻な問題は、スマホ画面にすっかり「時間」や「関心」を奪われ、考える時間や議論をする時間を失い、進歩が滞ることなのです。 スマホは私たちを確実に退化させています。

 ハリウッド映画『マトリックス』のように、視覚や聴覚だけでなく、他のすべての感覚も現実と区別できない仮想現実の時代となれば、多くの人々はその中に快楽を見出し、気づかぬうちに現代の神たるプラットフォーマーたちに支配されてしまうのではないでしょうか。 

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この記事の著者
河野龍太郎

1964年生まれ。87年、横浜国立大学経済学部卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。89年、大和投資顧問(現三井住友DSアセットマネジメント)へ移籍。97年、第一生命経済研究所へ移籍、上席主任研究員。2000年、BNPパリバ証券株式会社経済調査本部長・チーフエコノミスト、2023年より東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員を兼務。日経ヴェリタス『債券・為替アナリストエコノミスト人気調査』で、2024年までに11回の首位に。日本経済研究センターのESPフォーキャスト調査で2023年までに7回、総合成績優秀フォーキャスター(予測的中率の高かった5名)に選出される。著書に『成長の臨界』、『グローバルインフレーションの深層』(共に慶應義塾大学出版会)、共著に『金融緩和の罠』(集英社)、共訳にアラン・ブラインダー『金融政策の理論と実践』(東洋経済新報社)等。

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