「やったお米政策ぜんぶ失敗」経済誌元編集長が指摘… 自民党の失政が招いた悲劇「止められない日本人のコメ離れ」

かつては安くておいしい“国民の主食”だった米が、今やパンやパスタよりも割高な食材となり、消費者の生活を直撃している。背景にあるのは、単なる価格変動や食の多様化ではない。半世紀以上にわたって日本の農政を支配してきた自民党と農水省の「愚策」と「怠慢」による、構造的な崩壊である。経済誌『プレジデント』の元編集長で作家の小倉健一氏が、日本の“米騒動”の本質をあらためて問う。歴史と統計、そして現場の声をもとに、日本の農政が抱える致命的な構造問題を炙り出すーー。
目次
食生活の多様化では説明できない「コメ離れ」の真因
日本人の主食、米。その消費量が長期的に減少し続けている事実は、農林水産省自身の統計が示す揺るぎない現実である。1962年度に1人当たり年間118.3kgあった消費量は、2020年度には50.8kgと半分以下にまで激減した(農林水産省「食料需給表」)。食生活の多様化が理由とされる。しかし、この深刻な「コメ離れ」は、単なる文化の変化などという生易しいものではない。これは、長年にわたり日本の農政を支配してきた自由民主党と農林水産省による、国民と生産者を愚弄する愚策、怠慢、そして責任転嫁が生み出した、必然的な国家的衰退の象徴なのである。
自民党は「日本の米食文化を守る」「食料自給率の向上」と空虚なスローガンを唱え続ける。その実態は、文化を守るどころか破壊し、自給率向上どころか主食の基盤すら危うくしている。半世紀にも及んだ悪名高き「減反政策」は、農家から作る自由と経営努力への意欲を奪い、補助金漬けにして思考停止させ、日本の米生産の供給力と競争力を徹底的に破壊した。国際的な多数の学術研究が、所得補償的な補助金は農業の技術効率を低下させると明確に結論付けている。自民党と農水省は、この科学的根拠を無視し、非効率化政策を推進し、農業の衰退を主導してきたのである。
近年、生産・流通コストは異常なほど高騰し、米価は前年比7割超という狂乱的な値上がりを見せている。スーパーでの平均価格は5kgで4000円を超え、多くの家庭が悲鳴を上げている。
“安価な国民食”の終焉──パンより高いコメの衝撃
三菱総合研究所の稲垣公雄氏が2025年4月3日付の同社コラム「食と農のミライ」で分析したように、2025年2月時点で、ごはん1膳(約57円)は6枚切り食パン1枚(約32円)よりも明らかに割高となった。かつて安価な国民食であったはずの米が、パンやパスタより高価になる。これが、自民党と農水省による長年の失政がもたらした惨状である。
テレビの街頭インタビューで「おコメが高いからパンに替えた」という声が聞かれるのも当然である。稲垣氏が指摘するように、それは価格比較に基づいた「むしろ事実」なのだ。この状況が続けば、消費者の「コメ離れ」がさらに加速することは避けられない。全国農業協同組合中央会(JA全中)の山野徹会長ですら、2025年4月10日の記者会見で「高止まりすると消費離れが発生する」と懸念を表明せざるを得ない(時事通信報道)。自民党と農水省は、日本の食文化の根幹である米食を、自らの手で破壊しているのである。
「転売ヤーが主犯」は本当か 責任転嫁に終始する農政
この危機的状況に対し、自民党と農水省の対応は、相変わらず責任転嫁と場当たり的な弥縫策に終始している。彼らは価格高騰の原因を「転売ヤー」や「流通の目詰まり」といった末節になすりつけ、自らの政策失敗から国民の目を逸らそうと必死である。農水省は「在庫が分散している」などと、本質を外した調査結果を公表し、姑息な言い訳を続けている。
野村證券投資情報部の山口正章氏は2025年3月25日付のレポートで、今回の米価高騰の背景に「2022年以降、円安やロシアによるウクライナ侵攻の影響で輸入小麦価格が高騰し、割安になっていたコメに消費者の需要シフトが起きていた」点を指摘している。政府が無視する構造的な需給変化やコスト要因こそが本質であるにも関わらず、安易な犯人探しに終始する姿勢は断じて許されない。
山口氏はレポートでさらに、短期的な見通しとして「転売業者による買い占めが米価高騰の主因であれば、むしろ彼らが投げ売りに動いた時に米価が急落する可能性もある」とも分析しており、政府が煽る「転売ヤー主犯説」の単純さを暗に示している。現場からは「供給力不足」「コスト高騰」という悲鳴が上がっているにも関わらず、それを無視し続ける。
中途半端な備蓄放出に意味はない。必要なのは“戦略”と“覚悟”
挙句の果てには、国家の食料安全保障の最後の砦である備蓄米を、小出しに放出し続けるという愚行に及んでいる。3月に効果がなかったにも関わらず、4月にも10万トン、さらに7月まで毎月放出するという。これは愚策の上塗りであり、国民を完全に愚弄している。
もし放出するのであれば、中途半端な小出しではなく、全量を一気に放出する覚悟を見せるべきだ。そして、それによって生じる備蓄の不足分は、外交交渉によって、例えばトランプ政権下のアメリカから、関税引き下げや枠拡大と引き換えに、米国産米を戦略的に大量購入し、国家備蓄として積み増せばよい。そもそも政府備蓄米は、数年経てば入れ替えられ、市場価格に影響を与えないよう飼料用などに処分されるのが常である。万が一、国家的な食料危機が訪れた際には、積み増した米国産米を食べればよい。それこそが、国内生産だけに固執しない、現実的で強靭な食料安全保障体制ではないのか。
自民党と農水省には、日本の農業と食の未来を構想する戦略的思考が決定的に欠落している。ただ、目の前の批判をかわし、要望に応えることだけが「仕事」だと勘違いしている、無能な集団と断じざるを得ない。
「国益かどうかは国民が考えて」政策判断を放棄する政治家たち
極めつけは、トランプ政権からのコメ輸入拡大要求に対する江藤拓農林水産大臣の反応である。2025年4月22日の閣議後記者会見で、この大臣は信じがたい発言を連発した。「カリフォルニアのコメは美味しいらしいと、安いんだったらぜひ日本に輸入して、店頭に並べてほしいという声があることは、その気持ちはよくわかります」と、まずは国民感情に理解を示すふりをする。
しかし、その直後に本性を現す。「もし大量に主食である自給可能なコメを海外に頼ると、日本のコメの国内生産が大幅に減少してしまうということが国益なのかということは、私は国民全体として考えていただきたい」。これである。国民が求めているのは、高すぎる国産米の代替となる安価な選択肢である。
それを「安いから海外から」という国民の当然の欲求を捉えながら、最終的には「国益」「国内生産の維持」という大義名分を持ち出して輸入拡大を牽制する。国民生活の安定よりも、国内の非効率な生産体制とそれに連なる利権を守ることこそが「国益」だと、この大臣は本気で考えているらしい。
安定供給の責任を“民間”に押しつける農政トップの詭弁
財政制度等審議会のミニマムアクセス米主食用枠拡大案に対しても、「国産の需給に影響を与えないよう対応することがはっきり決まっている」と木で鼻をくくったような反論で一蹴した(4月18日会見)。国民のために供給を安定させるという発想が全くない。あるのは、既存のルールと利権構造の死守だけである。
全国知事会が「これまでの輸入ルールを堅持」するよう要望したことに対しても、「十分参考にさせていただきたい」などと、おためごかしの返答をするのみである(4月22日会見)。一方で、コメ価格の高止まりについては、「備蓄米を出しても店頭価格が下がらないことに責任を重く感じている。申し訳ない」(4月22日会見)と、口先だけの謝罪を繰り返す。卸・小売業者を集めた意見交換会では「消費者の皆さま方に安定供給を一日も早く取り戻したい」「皆さま方にもより一層、協力してもらいたい」(4月14日)などと、責任の一端を民間業者に押し付けるかのような発言までしている。
一連の江藤大臣の発言は、自己保身、責任転嫁、現状維持、そして国民不在という、現在の自民党・農水省農政の本質を余すところなく体現している。彼らは、自らが作り出した問題を憂いてみせる「マッチポンプ」を演じ、国民の批判をかわそうとしているだけである。国際的な批判や市場原理から目を背け、国内の利権構造に安住し続ける。まさに、前述の山口氏が同レポートで警鐘を鳴らすように、「農業政策を根本から変えることができなければ、自然災害が予期せず起きるものである以上、今後もこうした『米騒動』が起きることを我々は覚悟していく必要があるでしょう」。この山口氏の指摘を、政府・与党は真摯に受け止めるべきである。
自民党が居座り続ける限りコメは食卓に戻ってこない
「日本人のコメ離れ」なる現象は、愚劣を極めた自民党と農水省による長年の無策、妄信、制度疲労の集積として生じた当然の帰結である。減反政策という亡国の愚策を半世紀以上も垂れ流し、補助金漬けで農業の自立性を腐敗させた挙句、国際競争力を根こそぎ破壊した。自民党と農水省は農家の誇りを食い潰し、耕地を放棄させ、国民の食文化を愚弄し続けた。保身と利権の温床に浸った者たちの怠慢と虚飾がもたらしたのは、他国に食を委ねる属国化の現実である。
いまなお自民党が政権の座に居座り続ける限り、日本の食卓から米は消え去ることが常態となりうる。その事態を看過することは、歴史に対する裏切りであり、子孫に対する犯罪である。国民は怒りを解き放ち、怠惰と腐敗にまみれた自民党の族議員を断罪し、農政の根幹を一掃する改革を迫らねばならない。さもなくば、自民党と農水省の名は、日本の食を殺した元凶として、万世に語り継がれる呪詛の言葉となる。