日本の企業ガバナンス、2つの課題…「居座るダメ経営者、どうやったら退出させられる?」求められる制度改革

日本で企業統治を巡る改革が進んでいる。その背景にはアクティビスト投資家の存在感の高まりがある。日本の株主は権利が強すぎるともいわれ、それを「過剰な圧力」と感じる経営者もいる。ただ、本当にそうなのだろうか。日経新聞の編集委員である小平龍四郎氏が解説していく──。
目次
アクティビスト投資家の存在感の高まり
企業と株主の関係は、いつの時代も変化してきた。しかし、近年の日本ではその変化が一層急速だ。企業統治(コーポレートガバナンス)改革が本格化してからおよそ10年が経ち、いま再び「株主の力とは何か」をめぐる議論が熱を帯びている。
企業の経営に対して、株主がどう関わるべきなのか。提案や発言を通じて変化を求める権利はどこまで保障されるべきなのか。そして、その声は、果たして本当に経営の中枢に届いているのか。制度のあり方を見直そうとする動きと、それに対する反発──その対立の奥には、現代の資本主義が抱える葛藤と、未来の経済社会のかたちが映し出されている。
2024年に入り、株主提案権のあり方について見直しを求める声が経済界から相次いでいる。経済産業省が主導する研究会では、会社法の改正を視野に入れた報告書がまとめられ、関西経済連合会からも意見書が出された。さらに、経団連の幹部も「株主提案のルールを見直すべきではないか」といった発言を公にしている。
背景にあるのは、アクティビスト投資家の存在感の高まりだ。とくに海外のファンドを中心に、企業の経営に積極的に意見し、場合によっては役員人事や資本政策にまで踏み込む提案を行うケースが増えてきた。それが市場の健全性を保つための「健全な緊張感」であるという見方がある一方で、「過剰な圧力」と感じる経営者も少なくない。
制度の目的と実態との間にズレ
株主が定款変更を通じて、企業の経営判断に直接影響を及ぼせる日本の制度は、たしかに国際的に見ても開かれている。だが、それは本当に「行きすぎ」なのだろうか。それとも、企業が変わることを恐れているだけなのか。
現在、日本の株主は1%以上の株式を半年以上保有すれば、株主総会で提案を行うことができる。また、300個の議決権があれば、一定の提案権を行使できる仕組みもある。
この「300個ルール」は、もともと個人投資家の発言機会を広げるためのものであり、小口株主でも声を上げやすくするという理念があった。しかし現在は、株式売買単位が100株に引き下げられ、株式分割によって取得単価も下がってきた。結果として、わずかな金額で議決権を得て提案を行うことが現実的になり、制度の目的と実態との間にズレが生じている。
さらに東京証券取引所は上場企業に個人株主づくりを奨励しており、いっそうの大幅な株式分割を促している。300個株主がさらに増えることはほぼ確実だ。
「個人投資家の役割」に対する過小評価
このような状況に対して、「ルールの見直しが必要だ」と考えるのは当然かもしれない。しかし、だからといって声を小さくすることが正解とは限らない。市場という場は、そもそも多様な考えや意見が交錯する場所であるべきだ。そして、誰がどのように声を届けるかが、多様性そのものなのだ。
株主提案をめぐる議論のなかには、「個人投資家の役割」を過小評価しているのではないかと感じるものもある。東京大学の研究者たちは、特に中小型株において、機関投資家の関心が薄い企業に対して、個人株主の存在がむしろ「健全な揺さぶり」になっていると指摘する。
日本では、中堅企業や地方企業に対して、大手機関投資家が積極的にエンゲージメントを行わないという構造的な問題がある。その“空白”を埋めているのが、声を上げる個人投資家であり、「300個ルール」はその基盤となっているというわけだ。
実際、企業が自らの方針を見直すきっかけとして、個人株主からの提案が引き金になることも少なくない。過去には、社外取締役の導入を求める提案がきっかけとなって、経営の透明性向上に繋がった事例もある。声の大きさよりも、内容の中身が問われる時代になってきたのだ。
本当に日本の株主は「強すぎる」のか?
本当に日本の株主は「強すぎる」のか?
あるベテラン投資家がこう語っていた。「日本の株主は、表面的には権利が強いように見える。でも、経営者にプレッシャーを与える実効性は、米国に比べてはるかに弱い」。米国では、業績が悪化すれば、株主の動きを待たずにCEOが辞任することも珍しくない。アクティビストが動かなくても、取締役会がその声を感じ取って経営の舵を切る。
一方、日本ではそうした「市場の声」を受け止めるメカニズムがまだ十分とは言えない。理由のひとつは、株式の持ち合いがいまだに存在し、経営と株主の利害が明確に分離していないこと。さらに、取締役会における社外取締役の比率も国際的に見ると低く、経営者が“社内の空気”で守られてしまう構図がある。
たとえば、野村資本市場研究所によると、上場企業の持ち合い比率は2023年度で7.2%。少しずつ減ってはいるが、その歩みは鈍い。また、社外取締役の比率は日本では37%程度。アメリカでは85%、イギリスでも60%以上と比べると、大きな差がある。
株主の権利は「強く見えても、通らない」
このようなガバナンス構造がある限り、どれだけ株主に権利が与えられていても、それが実際に経営に届くことは難しい。つまり、日本の株主の権利は「強く見えても、通らない」という、奇妙な状態にあるのだ。
ではどうするべきか。単純に「株主の権利が強すぎるから抑える」という方向に進めば、かえって企業と市場の距離が開いてしまう可能性がある。それよりも必要なのは、株主と企業がきちんと向き合える「対話のしくみ」を整えることではないだろうか。
たとえば、社外取締役の選任を義務化するだけではなく、その知見や独立性をどう高めていくか。あるいは、資産運用会社が議決権行使だけでなく、日常的なエンゲージメントにもっと力を入れるようになること。さらに、個人投資家が提案を出すときに、質の高い議論を行えるようにする支援策──教育や情報提供──を制度化することも考えられる。
企業統治における本質的な課題は、「株主の声を、いかに経営者に届かせるか」、そして「業績や株価のパフォーマンスを上げられない経営者をどう退出させるか」という点につきる。声の数や提案の数に目を奪われるのではなく、そのプロセスの質と透明性、そして対話の効果をどう高めるかが問われている。
制度改革は必要だ。ただしそれは、声を閉ざすためのものではなく、声を届かせるためのものでなければならない。株主と企業、双方が成長しあえるような「関係の再設計」が求められている。