「消費税を守る」自民・森山裕幹事長の発言が波紋「完全なる老害」「自民党終わっている」…減税しても国は崩壊しない3つの理由

日本社会が直面する少子高齢化、経済停滞、そして未来への不安。その根底には、肥大化する政府と、国民から搾取される税金という構図があるのかもしれない。「減税すると国が崩壊する」という増税論者の主張は本当なのか? そんな中で、自民党森山幹事長が鹿児島市内の講演で「消費税を守ることが国民を守ることにつながる。政治生命をかけて維持していく」と発言したことが話題を呼んだ。ネットには「完全なる!老害!」「自民党って終わっている」といった意見がみられた。一方で、減税インフルエンサーのキヌヨ氏がその「財源論」がいかに虚構に満ちているか指摘している。減税がもたらす「崩壊しない未来」とは。増税によって国は守られるのか、それとも減税こそが真の希望となるのかーー。
目次
「財源論」はただの詭弁だ!減税とは「政府と国民の線引き」
人は誰しも他人をコントロールしたがる性質を持つ。税や法を通じて他人を支配できる権力を持った者が、常に自制的に行動すると考えるのはあまりに楽観的だ。政治家や官僚もまた例外ではなく、権限を得た途端にそれを拡大しようとする。
減税とは、単なる経済政策ではない。政府と国民の境界線を引き直し、国家の肥大化に歯止めをかける行為であり、本質的に自由の回復運動である。統治する側とされる側の線引きを明確にし、「ここから先は手を出すな」と政府に伝えるシンプルな手段こそが減税なのだ。
減税を議論すると決まって出てくるのが「財源を示せ」という批判だ。しかし今の日本の歳出構造を見れば、教育支援、医療、年金、防衛費、さらには各種補助金やイベント費用に至るまで、「本当に必要な支出」と「そうでない支出」の線引きがあいまいである。財政支出の内訳に対して納税者が「なぜこの支出が必要なのか?」と問うのは当然であり、納得がいかない国民に「お前が財源を示せ」と要求するのは本末転倒である。
現在の政府は、過去最高の税収を得ているにもかかわらず借金を増やし続けている。これはつまり、いくら税収が増えても支出がそれ以上に増え続ける構造にあるということだ。予算の総額を制限しない限り、政府は無限に金を使いたがる。その構造を変える唯一の手段が「先に入り(税)を絞る」ことであり、それが減税である。
一部の論者は減税を「ポピュリズム」として批判するが、むしろ実態はその逆である。
減税はポピュリズムではない、バラマキこそがポピュリズムだ
現実の政治を見れば、「財政健全化」と称して消費税を引き上げる一方で、給付金、公共事業、選挙前のバラマキといった人気取り政策がやめられない。この矛盾こそが真のポピュリズムである。
政府は「増税しないと国が崩壊する」と脅しながら、選挙対策の支出はやめない。つまり国民からカネを取る論理には厳格でも、支出する側には何の節度もない。減税が無責任だというのであれば、「何にいくら使っているか」「それは正当化できるか」を問うのは当然である。
また先日6月14日に自民党森山幹事長が鹿児島市内の講演で「消費税を守ることが国民を守ることにつながる。政治生命をかけて維持していく」と発言したが、これは本末転倒も甚だしい。消費税は恋愛や結婚など本来消費欲旺盛な現役世代ほど重くのしかかる税制である。しかも、その税収の多くが「社会保障」と称しながらも、実際には高齢者優遇型の年金維持・医療維持に偏って使われ、現役世代や将来世代への支援にはつながっておらず、消費税は決して国民を守る事には役立っていない。
森山幹事長「消費税を守ることが国民を守ること」
自民党は、高齢者の投票率が高いことを熟知しており、年金削減などの本格的な社会保障改革に手をつけようとしない。それは「国民を守る」のではなく、自らの「議席を守る」ための政治的打算に過ぎない。その結果として、消費税増税や国債発行で財源を確保し、歪だとわかっていながらも制度の延命を図っている。ツケはすべて現役世代と将来世代に押し付けられる。
その結果、可処分所得が削られ、恋愛や結婚、出産を諦める若者が増える。未婚化・少子化が進み、将来を支える人間が刻々といなくなる──これこそが社会の崩壊ではないか。自民党が目を背けているのはこの現実であり、「国民を守る」という言葉の裏には、今を生きる若い世代を見殺しにする冷酷な政治姿勢がある。政治生命をかけるべきは、歪な制度の維持ではなく、次世代が希望を持てる社会の構築である。
平成以降の政治家は、「消費税」という安定財源を手に入れたことで、本来あるべき「限られた財源をいかに分配するか」という職責を放棄した。なぜなら、消費税は不況でも一定の税収が見込め、インフレ時には増収にもなるため、常に財源が確保できる“担保”として機能してしまうからだ。
森山幹事長はこんな税制が経済に健全影響もたらすと信じているのか
この消費税があることで、政治家や官僚は赤字国債を拡大できる与信力を持ち、財政規律を保つインセンティブを失った。つまり「消費税があるからまだまだ赤字国債を発行できる」「赤字国債があるからまだまだ歳出削減を避けられる」という負の構造が生まれている。
消費税は、逆進性が強く、特に低所得者層に打撃を与える。可処分所得の減少が消費の冷え込みを招き、結果として企業の雇用や投資意欲も削がれる。仕入税額控除や区分記載の煩雑さは小規模事業者を直撃し、労力や資金が本来の事業拡大ではなく税対応に吸い取られている。森山幹事長含め、今の政治家たちはこのような税制が経済全体に健全な影響をもたらすと本気で信じているのだろうか。
減税で国家は崩壊しない!3つの理由
では、減税を行えば本当に国家は崩壊するのか? 答えはノーである。
第一に、今の政府の支出の中には明らかに不要不急なものが多数存在する。例えばプロジェクションマッピング、自治体による婚活事業、意味不明な海外視察、予算消化のための年度末事業。歳入に制限がかかれば、こうした支出から真っ先に削られることになる。これはむしろ歓迎すべき構造改革だ。
第二に、「減税はインフレを加速させる」という意見もあるが、現在の日本の物価上昇は主に輸入物価や原材料コストによるもので、内需の過熱とは関係が薄い。むしろ減税によって実質所得を回復させ、健全な需要の回復を促す方が良い。
第三に、「社会保障が削られる」との懸念があるが、負担している現役世代や将来世代が疲弊してしまったらそもそも社会が崩壊するし、現に異次元の未婚化・少子化へと日本社会は崩壊しつつある。こんな状況下でも持続可能な制度への改革が進まない最大の理由は、「借金という逃げ道があること」である。ならばその逃げ道を減らすしかない。減税によって入り口を絞れば、必然的に支出構造の改革を迫ることができ、結果的に負担側も考慮した持続可能なレベルに変える事ができる。
政治家が支出を見直さない最大の原因は、「減税がないから」なのだ。すなわち、政府の財布を握っているのは国民であり、その財布の紐を緩めるか締めるかは国民側にかかっている。
「その支出は必要なのか?」「なぜ削減の努力をしないのか?」
「減税は無責任」「財源を示せ」という言葉の裏には、「政府の支出は常に正しい」「国民はそれに従うべきだ」という前提が隠れている。しかし本来問われるべきは、「その支出は必要なのか?」「なぜ削減の努力をしないのか?」という問いだ。
減税とは、国民が政府に向かって「もう取りすぎだ」と伝える手段であり、その行為を通じて自由と責任を取り戻す道である。もはや政府に自制を期待する段階は過ぎた。統治者の暴走を抑えるには、国民が財布を締めるしかない。減税とは「ここから先は手を出すな」というメッセージだ。
▼地方自治法第2条14項
「地方公共団体は、その事務を処理するに当たっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最小の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。」
これは地方に限らず、すべての政治の基本原則であるべきだ。政治家に頼るのではなく、政治家をコントロールするという気概を持った国民こそが、この国を健全に保つ力を持っている。だからこそ、減税を主張し続けよう。これは単なる税率の問題ではない。国民の尊厳と自由の問題なのだ。