「何でも無償化」の先は“地獄”が待っている…「医療費無償化で起きた子どもへの投薬過剰問題」それでも政府は減税を否定する

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 医療サービスの無償化は理想的に語られることが多いが、その現実は高額な税負担を伴い、かえって様々な弊害を生む可能性がある。北欧諸国の事例に見られる高消費税率や長期の待機期間、そして日本国内での子供の医療費助成拡充が軽症の不要な受診を誘発し、医療費を押し上げている実態が明らかになっている。過去の高齢者医療費無償化が財政破綻を招いた教訓は、現在進行する各種無償化政策にも警鐘を鳴らしている。限りある医療資源の最適配分と持続可能な制度設計の重要性について、経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が、その問題点を深く掘り下げる――。

※本稿は小倉健一、土井健太郎、キヌヨ共著『図解 「減税のきほん」新しい日本のスタンダード』(ブックフォース)からの抜粋(一部編集)です。

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目次

無償化は税負担でしかない

 医療サービスの無償化は、誰もが経済的負担なく医療を受けられる理想の社会として語られることがある。無償化政策の現実は理想と大きく異なる場合が多い。無償化と銘打たれた政策は、サービス利用者が直接費用を支払わず、税金ですべてを賄う仕組みである。政府が一部の人々に利益を提供するためには、必ず他の誰かから財源を確保しなければならない。無償化は行政に多大なコストを払いながら、単に資源の移転を行っているに過ぎない。貨幣を増刷して財源を確保し手取りが増えるという考え方も根本的な誤解を含んでいる。貨幣を過剰に供給すれば物価が上昇し、結果として貨幣の実質的な価値が下がる。インフレ税と呼ばれる現象は、国民全体が負担を負うことになる。短期的に名目上の収入が増えたように見えても、実質的な購買力は低下する。

 北欧の医療制度を理想のモデルとして日本に導入すべきだという議論がある。北欧の事例を日本にそのまま当てはめるのは適切性を欠く。北欧諸国の医療は一見無償化されているように思われがちだ。実態は高額な税負担によって支えられている。スウェーデンやデンマークの標準的な消費税率は25%に達する。公的医療制度が提供するサービスには限りがある。日本では自由に選べる専門医の診察も、北欧ではまず家庭医の診断を経る必要がある。緊急性が高くないと判断された手術の待機期間は長期化する傾向にある。

無償化競争は、結果として各自治体の財政を圧迫

 スウェーデンでは緊急ではない手術の待機期間が平均で113日に及ぶとの報告が存在する。迅速な医療アクセスを望む人々は、公的制度とは別に個人で民間の医療保険に加入して備えている。北欧の医療は完全な無償でもなければ、無制限に利用できるわけでもない。

 日本国内では、子育て支援策の一環として子供の医療費助成を拡充する地方自治体が急増している。厚生労働省の統計データは、高校生まで通院費を助成対象とする自治体の数が2013年度の155自治体から2021年度には817自治体へと、8年間で5.3倍に増加した事実を示している。経済的な事情で医療を受けられない人々を救うという重要な側面を持つ。こうした動きは同時に、健康な子供による不要な受診を誘発している可能性が指摘される。兵庫県明石市などが打ち出した手厚い子育て支援策は、人口獲得を狙った自治体間のバラマキ合戦を広げている。住民を呼び込むための無償化競争は、結果として各自治体の財政を圧迫し、長期的な行政サービスの質を損なう危険性をはらむ。

 医療費の自己負担を軽減、あるいは無料化することが、受療行動にどのような影響を及ぼすか。東京大学大学院経済学研究科の重岡仁教授らの研究グループが、レセプトデータを用いて定量的な分析を行った。研究によると、ある自治体で子供の医療費が完全に無料化された場合、軽症であっても医療機関を受診するケースが急増した。1人あたりの年間医療費は2万円以上増加した。

通院1回あたり200円の自己負担を無料にしただけで、医療費が約10%増加

 別の研究では、通院1回あたり200円の自己負担を無料にしただけで、医療費が約10%増加することが判明している。無料化によって、ウイルス性の風邪などには効果がない抗生物質といった不適切な医薬品の処方も大幅に増えたという。不必要な抗生物質の多用は、世界的な公衆衛生上の脅威である薬剤耐性菌の問題を深刻化させる。過剰な受診は医療費の無駄遣いを助長する。医療現場の業務を逼迫させ、本当に医療を必要とする重症患者の治療を遅らせるリスクを高める。

適度な自己負担は、不要な受診を抑制するブレーキとして機能する。兵庫県三田市の事例が有効性を実証している。三田市はかつて中学生までの通院費を無料としていた。2018年度から、1日あたり400円の自己負担を導入する制度見直しを実施した。制度変更後、医療費助成の申請件数は前年度と比較して10%減少した。市民からは、不要不急の受診が減ったと評価する声が寄せられた。

医療費無償化政策がもたらした大きな失敗の歴史

 この結果は、無償化が必ずしも子育て支援の最善策ではないことを示している。少額の自己負担であっても、保護者が受診の必要性を冷静に判断する一つのきっかけとなり得る。

 日本には過去、医療費無償化政策がもたらした大きな失敗の歴史がある。1960年代から1970年代にかけて導入された高齢者医療費無償化制度がその教訓である。この制度により、70歳以上の高齢者の医療費窓口負担が無料化された。制度導入後、高齢者の受診回数は爆発的に増加した。医学的な治療の必要性が低いにもかかわらず、介護や生活の場として長期入院する社会的入院が全国の病院で蔓延した。結果として国民医療費は急激に膨張し、1973年度の約4兆円からわずか10年で3倍以上に膨らみ、医療保険財政は破綻の危機に瀕した。

 この深刻な事態を受け、1983年に老人保健法が施行され、高齢者にも一部自己負担を求める制度へと回帰した。現在進行している給食費や教育費の無償化も、同じ轍を踏む可能性を内包している。無償化とは、財源を他人に肩代わりさせる制度であり、受益と負担の原則を無視した設計は、長期的に制度を破綻させる危険性をはらんでいる。

医療は無限に供給できるサービスではない

 医療は無限に供給できるサービスではない。医師、看護師、病床、医薬品といった医療資源は有限である。過剰受診は、限られた医療資源の配分を歪める。特に医師不足が深刻化している地域では、不要不急の受診が集中することで、緊急性の高い患者や重篤な疾患を持つ人々の治療機会が奪われる可能性がある。医療提供体制の持続可能性を確保するためには、全てを無償化するという画一的なアプローチを避ける必要がある。

 政策の優先順位に応じたメリハリのある制度設計が求められる。例えば、感染症の蔓延を防ぐ予防接種や、早期発見が治療成績を大きく左右するがん検診など、社会全体への便益が大きい特定の医療サービスは公的支援を手厚くし、無料化を推進する意義は大きい。風邪などの軽微な症状に対する通常の診療には、受診の必要性を個人が判断する動機付けとして、適切な自己負担を残すという考え方が重要になる。国民皆保険という貴重な社会基盤を未来の世代に引き継ぐためには、受益と負担のバランスを常に考慮した、現実的で持続可能な政策が不可欠なのである。

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