参政党の台頭はリベラルの自業自得か…自らが招いた“理想の未来”に絶望している左派エリートたち

日本社会の格差が拡大し続ける中、多くの人が漠然とした経済的不安を抱えている。「ごく普通の一般人」が厳しい現代社会で勝ち抜き、資産を増やしていくにはどうすればいいのか。
作家の橘玲氏は、リベラルが追求した“公正な能力主義”こそが皮肉にも深刻な分断と新たなカーストを生んだと指摘しつつ、普通の人間が圧倒的な経済的自由を達成するための驚くほどシンプルで堅実な生存戦略を提示する。持てるものと持たざるものの格差が開き続ける根本的な原因から、凡人でも資産1億円を目指せる最強の投資戦略まで、同氏に詳しく話を伺った。短期連載全3回の第2回。
目次
リベラルエリートが陥った致命的な自己矛盾…理想社会の成れの果て
知能の高いエリートは、政治的にはリベラルな価値観を持つ傾向がある。彼らは、自分たちが作り上げたメリトクラシー社会の勝者として富と権力を手に入れ、その価値観に合わない人々、たとえばトランプを支持するようなホワイト・ワーキングクラスを「レイシスト(人種主義者)」や「ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」と罵り、見下し、排除していった。
その一方でメリトクラシーの社会では、女性や有色人種、移民、性的マイノリティなど、これまで差別・抑圧されて社会の主流になることができなかった人たちでも、能力さえあれば社会的・経済的に成功できる。
こうしてリベラルが夢見た「公正な社会」の実現が、知能によって社会を分断し、深刻な格差を生み出してしまった。これが、現代社会が直面する巨大なパラドックスだ。
この国の仕組みは“偏差値60”の人間のために作られている
この格差と分断は、もはや後戻りのできない段階にまで進んでいる。そして、それは私たちの働き方や生き方を根本から変えようとしている。
知能(IQ)の分布は、学校の成績で使われる偏差値と同じように「ベルカーブ」を描く。偏差値は50が中央値で、人口の半分はそれ以上、残りの半分はそれ以下だ。
しかし、私たちの社会のさまざまなシステムは、この現実を無視して設計されている。役所の複雑な行政手続きや税務署の難解な確定申告の書類を適切に処理したり、新聞の社説や論壇誌の記事を苦もなく理解するためには、かなりの認知能力が要求される。私は、この社会は「偏差値60」を基準にして作られている、と考えている。
エリート知識人が支配する“古き良き日本”の正体
偏差値60以上の人々は、大雑把に言えば人口の上位約3割に過ぎない。つまり、残りの7割の人々にとって、この社会はあまりにも複雑で、生きづらいものになりつつある。この人たちは社会の標準的なルールから静かに「脱落」しているのだが、社会の主流にいるのは高学歴のエリートなので、彼ら/彼女たちの苦境に気づくことができない(あるいは、気づかないふりをしている)。
マスメディアの時代には、この大多数の人たちの声は可視化されなかった。政治家や官僚、あるいは新聞や論壇誌に寄稿できる大学教授などごく一部のエリート知識人たちが「世論」を形成し、社会を動かしていた。残りの人たちが自分の意見を広く訴えるには、新聞や雑誌の読者欄に手紙を送り、それが掲載されるのを期待するしかなかった。賢い人たちが決めたことに黙って従っていればいいという、良くも悪くも安定した社会だった。
なぜエリートは自らが招いた“理想の未来”に絶望しているのか
この状況を劇的に変えたのが、インターネットとSNSだ。とりわけSNSは、これまで沈黙を強いられてきた「声なき人々」に強力な発言の場を与えた。彼らの不満や不安、怒りが、何のフィルターも通さずに直接、社会に噴出するようになった。
近年の参政党の台頭や、世界各地で見られるポピュリズム的な政治の動きは、まさにその結果だ。それは、リベラルな知識人たちが長年理想としてきた「万人の声が政治に届く」戦後民主主義のある種の完成形と言えるだろう。皮肉なことに、自分たちの理想が実現した今、リベラルはその結果に戸惑い、「SNSが民主主義を破壊している」などと嘆いているのだ。
私は、日本は世界から半周(あるいは一周)遅れており、欧米で起きたことは5年から10年のタイムラグを置いて、必ず日本でも起きると考えている。キャンセルカルチャーはその典型だが、知能格差を原因とする社会の分断も、これからさらに深刻化していくだろう。これは、もはや避けることのできない未来なのだ。
働き方の二極化で「勝ち組のなり方」は180度変わった
こうした世の中の地殻変動は、私たちの働き方、さらに言えば社会のあり方そのものを「ベルカーブ」から「ロングテール」へと変化させつつある。