フライング早苗の二枚舌…高市氏が総理になれなさそうな理由「にじむ財務省への配慮」経済誌元編集長が指摘する「足りないもの」

先の参議院選挙で大敗した自民党政権。昨年の衆議院選挙、今年の都議会議員選挙に続き3回目の負けに党内外から石破茂総裁に辞任を求める声が挙がる。石破総裁本人は継続する意向を表明しているが、ポスト石破に世間の注目はすでに集まっている。そんな中で自民党の次期総裁候補として名前が挙がる高市早苗氏だ。高市氏は参院選投開票日の2日前に「私なりに腹をくくった。もう1回、党の背骨を入れ直す。そのために戦う」と発言し物議を醸した。選挙結果が出る前に「自公で過半数獲得」が無理だと見越し、「ポスト石破」への意欲を露にした。しかしこの意思表示にはちょっと早すぎたということで“フライング早苗”などとで呼ぶ人も永田町では出てきたという。
そんな高市氏だが、国民的な人気が伸び悩む背景には、政策の不透明さがある。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏によると、高市氏は消費税の軽減税率の一時的ゼロ化を訴える一方で、将来的な増税に言及するなど、減税と増税の間で揺れ動く姿勢が目立つ。これは、減税を求める世論と党内の増税派に配慮する「二枚舌」と映りかねず、政策の一貫性や誠実さへの疑念を生んでいるという。小倉氏が、高市氏の掲げる政策の矛盾点を指摘し、真に求められる指導者の条件を論じる。
目次
高市氏が減税したいのか増税したいのか
高市早苗氏が次の首相候補として名前が挙がりながらも、国民的人気や世論の強い支持を得るに至っていない理由は複合的である。保守層の一部からは支持を受けているが、より広範な有権者層の共感を獲得するには至っていない。主な要因は、政策の一貫性、財政姿勢への疑念、中国対応の曖昧さにある。
まず、減税政策を掲げる姿勢には一定の評価がある。消費税の逆進性はかねてから問題視されており、実際に過去の消費税増税局面では家計消費が落ち込み、経済全体が低迷した。所得が低い層にとっては、生活必需品にも課税されるこの仕組みが重い負担となり、結果として可処分所得の減少を招いた。こうした現実を踏まえれば、高市氏の「軽減税率部分だけを時限的にゼロにする」という提案には一定の合理性があるように見える。
ただし、不可解なのは、その後に標準税率を10%から12%へ引き上げると明言している点にある。
「軽減税率部分だけを時限的にゼロにし、経済が相当強くなってきた段階で標準税率分を10%から12%にしたとしても、国民の皆様に説明をすればご理解いただけるのではないか」(デイリー新潮、5月16日)
結局の自民党内や財務省への配慮でブレる高市
減税の必要性を訴えながら、将来的に増税することを前提としているような矛盾が露呈している。消費税が経済に与える負担を理解しているのであれば、軽減税率廃止後に標準税率を引き上げるという説明には整合性がない。減税によって経済が活性化し、税収が自然と増加するという立場をとるのであれば、将来の増税を前提とした発言は必要ない。
このような方針は、有権者から見れば、結局のところ自民党内や財務省への配慮によってブレているように映る。国民に寄り添う姿勢を示しながら、裏では従来の財政規律路線に戻ろうとする意図が感じられる。政策の根幹に一貫性がなければ、信頼は築けない。減税が可能だという論理を展開する一方で、将来の増税を視野に入れている構図は、誠実さに欠けるという印象を生む。
昨年の総裁選でも同様の構図が見られた。高市氏は、「増税は経済を失速させる」「需要が供給を上回るまでは増税すべきでない」と明言し、防衛増税や少子化財源への課税には否定的な立場を示していた。しかし「数年間は増税に反対」という言い回しが象徴するように、あくまで一時的な措置というニュアンスを含んでいた。財政拡張に踏み切るのではなく、状況に応じて再び増税へ舵を切る可能性を残していることが読み取れる。
高市氏の「両論併記による回避戦略」
この態度は、いわば両論併記による回避戦略である。減税を求める世論に配慮しつつ、自民党内の増税派や財務官僚にも反発されないような言い回しを選択している。このようなバランス感覚は政治的には賢明かもしれないが、国民からすれば「どちらの立場なのか」が不明瞭となり、信用されない要因になる。
高市早苗氏が掲げる財政戦略は、減税と財政出動の両立という極めて難しい課題を同時に達成するという構想で構成されている。Xでの投稿(4月14日)では、減税と「賢い政府支出」の両立を唱え、不確実性の高まる国際情勢の中で、防衛・防災・食料・エネルギー・医療といった複数の安全保障に取り組む姿勢を強調している。このような包括的な目標を掲げる一方で、財源は景気拡大による税収増で確保可能と主張している。
ただし、財源確保の根拠として、国際収支の黒字を引き合いに出す論理は説得力を欠く。
高市氏に足りないものとは、ズバリ……
2024年の国際収支が過去最大の29兆円超の黒字であったという事実はあるが、それがそのまま財政余力を意味するわけではない。経常収支は民間部門の輸出超過などから生じるものであり、政府の財源とは直結しない。トラス・ショック時の英国との比較も不正確である。為替や金利、債務構造、資本市場の厚みが異なる日本において、ただ単に「日本の国際収支は黒字だから問題ない」と言い切る姿勢は、経済構造の理解を軽視した議論に映る。
高市氏に足りないもの、それは恒久減税と歳出削減への覚悟であろう。
国民が指導者に求めるのは、強い言葉ではなく、責任ある一貫した行動である。実行できないことを声高に叫ぶことは、信頼の損失に直結する。高市氏のように、耳障りのよい言葉を並べながらも、具体的な制度設計や実行計画を欠いた発信ではダメだ。
高市氏に対する支持が限定的である理由の一つとして、発言と実行の間に存在する乖離が挙げられる。特に政策における整合性や持続性に対する疑念は、有権者の間に根強く存在している。例えば、減税を主張する一方で、将来的な消費税増税に言及する姿勢は、信念に基づく政策ではなく、政治的妥協や党内調整の産物のように映る。
有権者に対して二枚舌と映る危険性
また、自民党や財務省への配慮と見えるような言動も、国民の期待とのギャップを生んでいる。減税による景気刺激や国民負担の軽減を訴えるのであれば、それに矛盾する増税方針を同時に提示する必要はないはずである。減税が税収増につながるという主張を信じるならば、なおさら将来的な税率引き上げを前提とする構想は不自然となる。
こうした構造は、有権者に対して二枚舌と映る危険性がある。なんらかのミスリードで国民を騙しにかかるのは自民党が散々批判してきたポピュリズムであろう。
政権獲得まではポピュリズム的に減税を訴えつつ、権力を握れば従来の増税路線に復帰するという、過去の政界に繰り返されてきた失望のパターンを想起させる。一時的な人気取りの政策提案ではなく、持続可能で一貫した経済戦略を描けているかが、指導者としての評価に直結する。
茂木敏充氏が昨年の総裁選で掲げた「増税ゼロ」の方針は、財務官僚の論理とは一線を画し、経済成長による財源確保という路線を明示していた。防衛増税や医療保険料上乗せへの明確な反対姿勢を打ち出した点は、財政政策における明快さと政治的覚悟を見事に感じさせた。
次の指導者に求めているのは、言葉ではなく行動
その点、茂木氏と比較すると高市氏は、減税を語りながらも将来的な増税を前提とする発言を行う点で、明確性と一貫性を欠いている印象を与えている。
高市氏に必要なのは、自己主張の強化ではなく、政策の精緻化と実行計画の提示である。減税を掲げるならば、制度設計と財源の確保について明確な道筋を提示しなければならない。財政出動を唱えるならば、支出の優先順位と費用対効果を数値で説明すべきである。外交姿勢についても、発言の勇ましさではなく、結果として何を達成したのかが評価されるべきである。
国民が次の指導者に求めているのは、言葉ではなく行動である。理念を語るだけではなく、その理念を実現する具体的な手段を伴って初めて、信頼を獲得することができる。高市氏に世論が強く乗れない理由は、まさにそこにある。政策の整合性と実行力、国民との誠実な対話がなければ、支持の拡大は望めない。言葉の勇ましさよりも、政治の現実に立脚した設計こそが、首相候補に求められている。