我々の年金マネーはプロ投資家にこう使われている…βアクティビズムの衝撃!GPIFがいま最優先にしていること

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 気候変動や地政学リスク、AIの急速な発展ーー。企業価値や市場の安定性を揺るがす要因は、もはや財務諸表の中には収まらない。いまや投資家に求められているのは、短期の収益性を見極める力だけではなく、社会の変化と向き合い、その行方を読み解く視座である。そうした中で注目を集めているのが、ESG投資の「効果」をどう測定するかという問いだ。単なるスローガンに終わらせないために、投資家は何を測り、どう責任を果たすべきなのか。日経新聞の編集委員である小平龍四郎氏が、その本質に迫るーー。

目次

「ESG指数」は企業をどう変えたのか。対話と選別が経営に与えた影響

 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が実施している「ESG投資の効果測定」に注目している。2023年3月に公表した「2022/23年 スチュワードシップ活動報告」ではじめてうたわれた。単なる運用報告の域を超え、わが国の機関投資家がいかなる理念と構想のもとに資産を託されているかをあらためて問うものであった。

 世界最大級の年金基金であるGPIFが、ESG(環境・社会・企業統治)投資の持つ社会的効能にあらためて光を当て、その影響を実証的に測定しようという姿勢は、従来の「リターン主義」とも言うべき投資観に一石を投じる試みである。とりわけ、パッシブ運用に組み込まれたESG株価指数が、企業の行動変容や経営の持続可能性にいかなる影響を与えてきたかを、定量的に検証しようとする点に新しさがある。

 たとえば、気候変動への対応や女性活躍の推進といった社会的課題に前向きな企業が指数に採用されたこと、あるいは運用受託者がそうした企業に対し対話や提案を重ねたことが、実際に経営戦略や意思決定にどのような変化をもたらしたかを、測定しようというのである。こうしたアプローチが実証的に裏付けられれば、ESG投資は単なる倫理的選好の産物ではなく、経済合理性と制度的意義を兼ね備えた投資行動としての正統性を獲得することになろう。

 GPIFのESG・スチュワードシップ推進部長だった塩村賢史氏はかつて、「私たちが関心を持つのは、マーケットのαではなくβである」と述べた。すなわち、個別銘柄の選別によって市場平均を上回る超過収益(α)を追求するのではなく、市場全体の動き(β)をいかに長期的に安定させ、持続可能なものとするかにこそ真の焦点がある、というのである。

「良い投資」とβアクティビズム

 約260兆円の運用資産を擁し、日本国内外の株式・債券に広く分散投資を行うGPIFは、まさしく「ユニバーサル・オーナー」と呼ぶにふさわしい存在である。その関心は特定の企業や産業の業績ではなく、経済社会全体の安定と繁栄に向けられる。そのような立場にあるからこそ、市場全体の構造的な健全性、すなわちβをいかに改善するかが、最も本質的な問いとなるのである。

 このような視座からの投資行動は、近年「βアクティビズム」として国際的に注目されている。米国の戦略家ジョン・ルコムニク氏らが著書『「良い投資」とβアクティビズム』(日本経済新聞出版)で提唱した概念であり、原題「Moving Beyond Modern Portfolio Theory」が示すとおり、1950年代に確立された現代ポートフォリオ理論(MPT)を超克しようとする思想的営為である。

「市場は変えられない」はもう古い。年金マネーが社会課題に影響を与え始めた

 MPTにおいては、市場全体の動き(β)は所与のものであり、投資家が力を及ぼし得るのは個別銘柄の選別によるαの追求に限られるとされてきた。しかし、現代においては、GPIFのような巨大な資産主が環境や社会的課題に対し投資の立場から能動的に関与することにより、市場の制度的健全性に影響を与え得る、という認識が広がりつつある。企業による環境破壊や社会的分断は、放置すれば市場の安定性を損ない、ひいては長期的な投資収益にも悪影響を及ぼす。これに抗する手段としてのβアクティビズムが、今や現実的な投資戦略として浮上している。

 その実践例として注目されるのが、グローバルな資産運用会社や年金基金が連携して、多数の企業に対し脱炭素化や人的資本の重視を求める動きである。こうした取り組みは、従来のアクティブ運用とは異なり、指数連動型の運用を維持しつつ、企業との対話(エンゲージメント)を通じて経営の持続可能性を高めようとする「エンゲージメント強化型パッシブ」という新潮流を生み出している。

 これは、単に個別企業のパフォーマンスを向上させることを目的とする「αアクティビズム」とは明確に一線を画し、社会的外部性を意識しながら市場全体の安定と発展を志向する構造的なアプローチである。GPIFが目指す効果測定は、こうした取り組みが実際にβの安定化に資するかどうかを検証するものであり、ESG投資の新たな評価軸を示す試みでもある。

GPIFの挑戦が問い直す“責任ある資産運用”の形

 ルコムニク氏らが挙げるβアクティビズムの対象領域には、気候変動やジェンダー多様性といった比較的よく知られた社会課題に加え、薬剤耐性や森林破壊、人工知能(AI)の暴走、資源採掘に伴う有害物質の拡散といった、より複雑かつ深刻な問題が含まれる。いずれも、市場の長期的健全性を脅かす重大なリスクでありながら、従来の金融理論では十分に考慮されてこなかった領域である。

 いまや、資産運用がマーケットや企業財務の伝統的知見だけでは立ち行かなくなっていることは、誰の目にも明らかであろう。ESG投資は、単なる投資対象のスクリーニング手法にとどまらず、経済社会の在り方そのものに働きかける投資家の倫理的・制度的責任を体現するものとなっている。GPIFが試みようとしているESG投資の効果測定は、そうした投資家像の進化を象徴する重要なステップである。

 ユニバーサル・オーナーとしてのGPIFが、その圧倒的な影響力を背景に、市場の健全性に資する投資とは何かを問い直すことは、わが国のみならず、国際金融資本主義の未来にとっても極めて意義深い。ESGの真価をβの改善という次元で捉え直すこの挑戦が、持続可能な資本市場の実現に向けた一里塚となることを期待したい。

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この記事の著者
小平龍四郎

1964年生まれ。静岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業。日本経済新聞入社後は主に金融・証券畑を歩き、「山一証券破綻」「村上ファンド登場」などの特報にかかわる。欧州総局(ロンドン)やアジア総局(バンコク)を経験し、現在は日経新聞の編集委員。専門は証券市場、ESG/SDGs、企業統治。著書は「グローバルコーポレートガバナンス」「アジア資本主義」「ESGはやわかり」。 Twitter:@Kodaira_Nikkei

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