なぜ物価目標は「2%」なのか?東京大名誉教授が考える、望ましいインフレの形とは

物価が上がり続ける中、日本銀行は物価上昇の目標として「2%」を掲げ続けている。東京大学名誉教授の井堀利宏氏によると、この「2%」は日銀のみならず、世界の中央銀行が掲げている数字だという。物価目標はなぜ2%なのか。そして望ましいインフレとはどのようなものなのか。井堀氏が解説する。全3回中の第1回。
※本稿は井堀利宏著「知らなかったでは済まされない経済の話」(高橋書店)から抜粋、再構成したものです。
第2回:なぜ景気は変動するのか?東京大名誉教授「景気によって税負担を変えることが望ましい」
第3回:増税か減税か、結局どっちが正しいの?東京大名誉教授「今は増税すべきとき」
目次
「インフレ=経済の好循環を生み出す」とは言えない
登場人物:井堀教授(70代の経済学者。東京大学の名誉教授)
佐藤翔太(28歳。編集者)
佐藤:日本のインフレって今後どうなっていくと思いますか?最近は2%を超えるインフレが続いているって話ですよね。
井堀:そうだね。これまで日本では過去20年以上2%を超えるインフレは起きなかったんだけど、最近のインフレは需要サイドだけじゃなくて、ウクライナ危機などによるエネルギー高とか、円安での輸入コスト上昇といった供給面からの圧力も加わって、かなり強いインフレになっている。その結果、2023年以降は2%を超えるインフレが続いているわけだ。
佐藤:短期的な一過性じゃなく、長期化する可能性があるってことですか?
井堀:そう。今回のインフレは短期間で収まらず、ある程度続く可能性がある。日銀も、植田総裁の下で金利の引き上げを検討している。金利を上げれば需要が冷え込むし、円安も和らぐから、インフレを抑制しやすくはなる。ただ、実際に利上げを進めてインフレ率を下げられるかは不透明だね。政治的には抵抗が強いし。
佐藤:日銀が目指していた2%のインフレ率は達成しているけど、それが経済の好循環を生み出すとは限らない、ってことですか?
井堀:うん。今は2%を上回るインフレが起きているけど、それが賃金の上昇や生産性の向上につながるにはまだハードルが高い。単に2%のインフレが実現したからといって、望ましい形だと言いきれるわけじゃない。労働生産性の上昇やインフレ率以上の賃金の伸びが伴わないと、国民の実質的な生活水準は上がらないからね。
「程よいインフレ」がベスト
佐藤:インフレって結局、どう考えたらいいんでしょうか?
井堀:インフレ率は経済の体温みたいなものだ。高すぎても低すぎても問題があるんだよ。
佐藤:高すぎるインフレって、具体的にどんな悪影響があるんですか?たとえば5%とか超えちゃったら……。
井堀:物価が年5%以上のペースで上がっていくと、賃金が同じスピードで上がらない限り、生活が苦しくなる人が増える。特に、すでに引退して年金や貯蓄で暮らしている人は、物価が上がるほど実質的な資産の価値が目減りしてしまう。
佐藤:高齢の方は給与収入がないですもんね。年金だけじゃ賄えない状況になったら大変だ……。
井堀:そこだね。インフレが高すぎると、そういう立場の人たちにとって負担が大きいし、景気が熟しすぎるとバブルを生む可能性もある。だからインフレが高すぎるのはまずいんだ。
佐藤:じゃあ、インフレ率がすごく低いのはいいことなんですか?
井堀:一見、物価があまり上がらないのは消費者にとって嬉しいことのように見えるけど、実は企業も家計も投資や消費を控えている可能性が高い。つまり経済が停滞して不況が長引く危険がある。物が売れない=生産が増えないという連鎖が続くと、雇用も賃金も伸び悩んでしまう。
佐藤:そう考えると、低すぎるのも良くないんですね。やっぱり程よいインフレがいいってことですか?
井堀:だね。緩やかな物価上昇――たとえば2%前後くらいで安定していると、企業も今のうちに投資しておけば将来の利益に繋がると考えやすいし、家計も今買わなきゃ損と消費に前向きになる。すると実質賃金が上がり、GDPが増加する好循環が生まれやすいんだ。
デフレは社会にとってマイナス
佐藤:正直、デフレになれば物価が下がって得した気分になるんですが、それでも問題があるんですか?
井堀:たしかに同じお金でたくさん買えるようになるから、一見すると家計にとってはメリットが大きいように感じるよね。でも、デフレには経済全体を見たときに大きなデメリットがあるんだ。
佐藤:デメリットですか。
井堀:一番わかりやすいのは、将来のほうがもっと安くなるという期待が広がって、消費が控えられてしまうことだよ。みんなが買い物を先延ばしにするから、企業の売上が伸び悩み、生産も縮小に向かう。その結果、景気がどんどん冷え込む。
佐藤:物価が下がる恩恵より、企業が儲からない影響が大きいんですね。
井堀:うん。デフレ環境では企業が売上を伸ばせず、コスト削減のため人件費も抑えやすくなるから賃金も下がり続ける。そうなると安い物価より減った給料のほうが家計にはダメージが大きい。
佐藤:でも、高齢者とか現金を持っている人は得をするんですよね?物価が下がっても、持っているお金の実質価値が上がるから……。
井堀:たしかに働いて収入を得ていない人にとっては、デフレによって物価が下がるぶん、持っている資産の購買力が上がるメリットはある。ただ、現役世代の多くは賃金が下がる影響を大きく受けるから、社会全体として見るとマイナスの側面が大きいんだ。
なぜ「物価目標2%」なのか
佐藤:望ましいインフレ率ってどれくらいなんですか?
井堀:2%前後が理想とされているね。年に2%くらい物価が上がると、企業や家計の消費や投資が活性化しやすくなるし、賃金も伸びやすくなる。そうやって経済がうまく回り始めるんだ。
佐藤:具体的にどんな感じですか?
井堀:たとえば企業は今投資しておいたほうが得だと考え、設備投資や研究開発に積極的になりやすい。家計も物価が上がる前に買おうって消費に前向きになるし、賃金もインフレ率を上回るペースで上がる余地が出てくる。こうして好循環が生まれるから、多くの先進国の中央銀行が2%目標を掲げているわけだね。
佐藤:日本銀行も同じく2%を目指しているんですよね?
井堀:そう。アメリカやヨーロッパの中央銀行も2%を適正水準と考えている。もっとも、日本と欧米ではインフレの経緯に差がある。欧米は2000年代から2%を超えるインフレが普通だったから、金融引き締めで抑えようとしてきた。一方、日本では逆にデフレ気味で、2%に近づけようと長らく金融緩和を続けてきた。
佐藤:2022年あたりには欧米でインフレが急激に高まったんですよね。
井堀:コロナ対策で財政出動が大きかったり、ウクライナ危機が重なったりしたからね。原材料やエネルギー価格が上がってインフレが加速。そこでアメリカやEUは一気に金利を上げて引き締めに動いた。けど、2024年頃になると、インフレが落ち着いてきた兆しを見て、また金利を下げるなど調整している状態だ。