元文科省事務方トップ「へずまりゅうの当選は『教育の失敗』」は本当?…ビジネスパーソンのキャリアにもなった地方議員と「新コミュニケーション論」

元迷惑系YouTuberとして知られる「へずまりゅう」こと原田将大氏が奈良市議選で当選したがこれに、元文部科学事務次官である前川喜平氏はXで「へずまりゅうが奈良市議に当選した原因は、教育の失敗にある。奈良県と奈良市の教育委員会は、強烈な危機感を持たなければならない」と投稿し話題を呼んだ。今やビジネスパーソンのキャリア選択肢の一つともなっている地方議員だが……。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
目次
ビジネスパーソンの選択肢の一つ
政治家は、地盤を引き継ぐ形で政治家業を何代にも渡って同じ家系の人間が行うケースは多い。俗にいう世襲議員だ。しかし最近では「再生の道」を立ち上げた石丸伸二氏が「副業としての政治家」を提唱するなど、ビジネスパーソンのキャリア選択肢の一つとして議員への立候補が一般化されるようになってきた。地盤もない人間がSNSの力を使って当選できるようになったからである。とくに地方議会ではそれが十分可能な時代に変わってきた。本当の意味での民主主義の“民主化”が進んでいる。
そんな中で7月の奈良市議会議員選挙は、日本の地方政治史に特異な一頁を刻んだのではないか。
元迷惑系YouTuberとして知られる「へずまりゅう」こと原田将大氏が、55名の立候補者の中から3位という驚異的な得票数で当選を果たした。この結果は社会に大きな衝撃を与え、賛否両論を巻き起こした。
中でも、元文部科学事務次官である前川喜平氏によるX上での発言は、議論の火種を大きくした。前川氏は、原田氏の当選を指して、「奈良県と奈良市の教育委員会は強烈な危機感を持つべきだ」と述べ、これを「教育の失敗である」と断じた。
この発言は、一見すると日本の教育の未来を憂う知識人の警鐘のように聞こえるかもしれない。発言の底流には、民主主義の根幹を揺るがしかねない、極めて危険で傲慢な思想が透けて見える。
選挙という手続きを経て示された民意を、自らの価値観に合わないという理由だけで教育の失敗と切り捨てる行為は、有権者に対する侮辱に他ならない。奈良市民は、決して愚かではない。原田氏の過去の経歴を知らないはずがない。数々の物議を醸した行動、逮捕歴という事実。有権者は、情報をすべて承知の上で、それでもなお、原田将大という人物に一票を投じた。
既存の政治家に対する不信感、旧態依然とした政治手法への飽き
その選択の背景には、既存の政治家に対する不信感、旧態依然とした政治手法への飽き、そして何より、原田氏が選挙期間中に見せた地道な活動と具体的な政策への期待があった。鹿の保護パトロールや公園の清掃活動といった地域貢献の姿勢は、SNSを通じて多くの市民の目に留まった。
ごみ箱や防犯カメラの設置といった、生活に密着した分かりやすい公約は、高尚な理念を語るだけの政治家よりも、よほど信頼できると判断された。前川氏の発言は、有権者が熟慮の末に下した判断を、自らの物差しで測り、間違っていると断罪するエリート主義の表れである。民主主義とは、多様な価値観を持つ人々が、それぞれの判断に基づいて代表者を選ぶプロセスである。その結果が、たとえ一部のエリートの意に沿わないものであっても、尊重されなければならない。
民意を「教育の失敗」…主権者である国民を見下す行為では
民意を「教育の失敗」と断じることは、主権者である国民を見下す行為であり、民主主義の精神そのものを否定する暴論である。前川氏自身が、かつて出会い系バー通いを週刊誌に報じられ、職を辞した過去を持つ。個人の行動と公人としての資質は別問題であると主張するならば、原田氏の過去についても同じ基準で評価すべきである。自らの過去を棚に上げ、他者の当選を教育の失敗と批判する姿勢は、説得力を著しく欠く。ダブルスタンダードと言われても仕方がない。批判の刃は、民意を軽んじる前川氏自身に向けられるべきである。
原田氏の当選は、決して偶然や単なる人気投票の結果ではない。現代の政治コミュニケーションにおける、極めて戦略的な勝利であった。この現象を理解するためには、インドネシアの地方政治を分析した一つの学術論文が、示唆に富む視点を提供してくれる。スマルトノ、サルマン・M・ノエル、ドディ・アリヤ・クスマ・B、ユミ・アリヤティによる2025年の論文、ソーシャルメディアを地域の政治的アリーナとして活用する:パダン市議会議員のネチズンとの関係構築戦略は、SNS時代の新しい政治家の姿を浮き彫りにする。この研究は、政治家がSNSをいかに活用して有権者と直接的な関係を築いているかを詳細に分析した。論文は次のように述べる。
SNSを地域の政治的アリーナとして最大限に活用したへずまりゅう
<本研究は、議員たちがいかに革新的にソーシャルメディアを活用し、有権者と関わっているかを探求するものである。調査結果は、ソーシャルメディアが双方向のコミュニケーションを促進し、有権者が議員と直接対話し、地域社会の問題に対して即座に反応を得ることを可能にしていることを示している>
<議員のソーシャルメディア戦略における2つの重要な側面が特定された。1つは、ネチズンとの『友人』および『友情』をどのように定義するか。もう1つは、オンライン上での自身の存在感をどのように管理するかである。ソーシャルメディアは、議員が自らの実績をアピールするためのプラットフォームとして機能する一方、ネチズンが議員を評価するためのツールとしても機能する>
<議員たちはソーシャルメディアから大きな恩恵を受けており、建設的な関係とコミュニティ(ネチズン)との対話を促進した。以前は、議員たちは対面での会議に頼って仕事の取り組みを伝えていた>
この分析は、原田氏の選挙戦略と驚くほど重なる。原田氏は、まさにソーシャルメディアを地域の政治的アリーナとして最大限に活用した。
新時代のコミュニケーション論、自己ブランディング論
第一に、有権者との直接的で双方向のコミュニケーションを徹底した。XやTikTokといったプラットフォームを駆使し、自らの活動をリアルタイムで報告する。寄せられるコメントや批判にも、時に直接返信する。この姿勢は、有権者にとって、政治家が雲の上の存在ではなく、対話可能な身近な存在であると感じさせた。
論文で言うところの「ネチズンとの友情を構築するプロセス」そのものである。
第二に、透明性の演出と自己ブランディングに成功した。議員としての活動報告だけでなく、結婚や妻との日常といった私的な側面も積極的に公開した。過去の過ちを率直に認め、更生を誓う姿は、一つの人間的な物語として有権者の共感を呼んだ。迷惑系YouTuberという過去の汚点を、むしろ人間味や正直さへと転換させる、高度な自己ブランディング戦略であった。
政治活動という公的な顔と、個人としての私的な顔を巧みに融合させる手法は、(論文で分析された)議員たちの戦略と軌を一にする。
プラットフォームを戦略的に使い分けた
第三に、プラットフォームを戦略的に使い分けた。若者層に絶大な影響力を持つTikTokでは短い動画で活動を伝え、より幅広い層が利用するXでは政策や意見を表明した。ターゲットに応じてメディアを使い分けることで、効率的に支持を拡大していった。
原田氏の当選は、前川氏が言うような教育の失敗などではなく、SNS時代の有権者の心理と行動を深く理解した、現代的な政治戦略の勝利なのである。有権者は、既存メディアが作り上げる政治家像や、政党という組織の看板をうのみにする時代は終わった。人々は、SNSを通じて政治家の生の声を聞き、日々の行動を直接観察し、評価を下す。原田氏は、この新しい時代の政治力学を誰よりも早く体得し、実践した。
もちろん、原田将大氏の過去の行動が許されるわけではない。数々の迷惑行為、そして窃盗事件での逮捕という事実は、決して消えることのない公的な記録である。議員という公職に就く以上、その過去に対する批判は、甘んじて受け入れなければならない。当選したからといって、過去の罪が清算されるわけではない。むしろ、公人となった今、より一層重い責任を背負うことになる。
自らの過去の過ちを片時も忘れず、常に反省し続ける必要
原田氏は、自らの過去の過ちを片時も忘れず、常に反省し続ける必要がある。その反省の念を、具体的な行動で示し続けなければならない。有権者は、原田氏の更生の物語に期待を寄せた。その期待は、単なる同情や興味本位ではない。過去に過ちを犯した人間であっても、心から反省し、社会のために尽くすならば、再びチャンスが与えられるべきだという、日本社会の成熟した寛容さの表れでもある。原田氏は、その期待を裏切ってはならない。過去の自分と決別し、奈良市民の負託に応えるという強い意志が求められるのではないだろうか
当選後の浮かれた言動や、過去のキャラクターを想起させるような振る舞いは、厳に慎まなければならない。議員バッジの重みは、原田氏が想像する以上に重い。それは、46万奈良市民の生活と未来を背負う責任の象徴である。原田氏に求められるのは、奇をてらったパフォーマンスではない。地道な調査、誠実な議論、そして市民のための政策実現である。
議会での質疑、委員会での活動、地域住民との対話。議員としての基本的な職務を、一つ一つ丁寧に、誠実にこなしていく姿勢が不可欠である。4年間の任期は長いようで短い。
この期間、原田氏がどれだけ奈良市民のために汗を流せるか。有権者は、SNSを通じてだけでなく、議会での活動報告や政策の成果という、より厳しい目で原田氏を評価し続ける。選挙での勝利は、あくまでスタートラインに立ったに過ぎない。これから先の道のりは、決して平坦ではない。