堀江貴文氏、石破首相の810億円支援「途上国より日本人に使え!」の声に私見…経済誌元編集長は激怒「財源を明示せよ」「明らかなダブスタ」

石破総理大臣はアメリカのIT大手マイクロソフトの創業者でビル・ゲイツ氏と総理官邸で面会し、日本政府としてワクチンの普及に取り組む国際団体に今後5年間で最大で5億5000万ドル(約810億円)を拠出する考えを伝えた。ゲイツ氏は途上国の感染症対策などに取り組んでいる。先進国である日本として、この拠出は必要な国際貢献の一つなのだろう。実業家の堀江貴文氏も「中長期でみると日本のためになる」とも指摘する。しかし、これだけ国民が求めた減税については「財源がない」と言いながら、ポンとゲイツ氏にお金を渡してしまうのは、疑問に思う人も多いだろう。ネットには「日本人に使え!」「発展途上国を支援する余裕などない」という声もみられる。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
目次
その金は、一体どこから来るのか。
首相官邸で交わされた固い握手と満面の笑みが、日本国民の心に冷たい絶望の影を落とした。
8月19日、石破茂首相は来日した米マイクロソフト創業者ビル・ゲイツ氏と会談した。途上国のワクチン普及を担う国際組織「Gaviワクチンアライアンス」へ、今後5年間で最大5億5000万ドル、日本円にして約810億円もの巨額な支援を表明するためだった。国際貢献という美名の下で行われた決定は、瞬く間にインターネットを通じて日本全土を駆け巡り、国民の怒りに火をつけた。SNS上には、一つの問いが嵐のように吹き荒れた。後述する論文の言葉を借りるなら、Where’s the money coming from?ーーその金は、一体どこから来るのか。
国民が抱いた疑問は、単なる資金源の確認ではない。長きにわたる重税と物価高騰に喘ぎ、日々の生活に追われる人々が、自らの政府に対して突きつけた痛切な告発なのである。
石破政権は発足以来、国民生活の窮状を顧みることなく、財政規律という言葉を錦の御旗のように掲げてきた。国民一人ひとりの負担を軽くするための減税政策が議論の俎上に上がるたび、政権と財務省は判で押したように同じ言葉を繰り返した。「財源がない」と。
国民のささやかな願いは、常に財源論という分厚い壁の前に砕け散ってきた。子供たちの未来のために、高齢者の安心のために、働く世代の活気のために、税金の使い方を見直してほしいという国民の声は、冷たく無視され続けた。
減税は財源がないというダブルスタンダード
生活必需品の値上げは止まらず、給与は上がらない。実質賃金はマイナスを続け、多くの家庭が日々の食事を切り詰め、将来への希望を削りながら生きている。そんな国民の苦悶を知りながら、石破政権は減税という選択肢を徹底的に封印してきた。
今回、ビル・ゲイツ氏とのわずか30分の会談で、810億円もの国富を海外に拠出する決定が軽々と下された。国民への減税を阻んできた「財源の壁」は、国際的な名声の前には、いとも簡単に消え去った。このダブルスタンダードは、国民に対する裏切り以外の何物でもない。810億円という途方もない金額は、国民から搾り取られた血税である。国民が日々の労働で得た貴重な収入から、将来への不安を抱えながらも、国家を信頼して納めた税金である。その尊い資金が、国民の生活を改善するためではなく、海外への大盤振る舞いのために使われる。この現実は、多くの国民にとって到底受け入れられるものではない。
「財源論」が為政者にとって、いかに都合の良い政治的道具であるか。ある政治学の論文(「『Where’s the money coming from?(その金はどこから来るのか?)』―マニフェストの財源見積もりと財政的信頼性をめぐる政治:イギリス総選挙1955-2019」ピーター・スローマン著、2021年)は、イギリス政治史の分析を通じて、以下のように、その冷徹な本質を喝破している。
相手を「無責任な危険人物」に仕立て上げる
1、自分の土俵で戦う
景気が悪い、生活が苦しいといった「過去の実績」について国民から批判されると、政府は分が悪い。そこで、議論のテーマを「未来の政策の財源」という、自分たちが有利に戦える土俵に移そうとする。
2、相手を「無責任な危険人物」に仕立て上げる
政権は、不人気を打ち消すため、野党や国民が提案する政策(例えば減税や給付金)に対して、「そんなことをしたら財源はどうするんだ!」「国が破綻するぞ!」と攻撃する。こうして、相手を「財政的に無責任で危険な存在」というイメージに仕立て上げる。
3、不公平なルールの押し付け
この「財源論」の議論は、最初から政府に有利なようにできていて、非常に不公平(論文中の「非対称な構造」)である。政府は財務省などの公式データや予算書を盾に、「我々の数字は公式で信頼できる」と権威をちらつかせることができる。
石破政権自身にブーメランとなって突き刺さる
一方、政府を批判する側は、「政府の案を捨ててまで、我々の案を採用すべきだ」ということを、ゼロから国民に証明しなければならない。挑戦者側にだけ、重い証明責任が課せられる。
この分析は、石破政権の行動様式を見事に説明している。政権は、国民の減税要求という「支出計画」に対し、「財源がない」という権威的な批判を下すことで、議論を封殺してきた。国民を財政破綻の恐怖に縛り付ける。
為政者が反対意見を封じ込めるために使い古してきたこの政治手法が、皮肉なことに、今まさに石破政権自身にブーメランとなって突き刺さっている。
国民が発する「Where’s the money coming from?」の問いは、もはや野党の攻撃やメディアの追及ではない。主権者である国民自身が、自らの政府の財政的信頼性、統治の正当性そのものに「ノー」を突きつけた瞬間である。
国民の生活実感からあまりにかけ離れたこの決定は
減税の財源はないと断言した舌の根も乾かぬうちに、810億円の財源をやすやすと見つけ出した政権を、私は信頼できない。政権が国民に課してきた我慢と、自分たちが享受する寛大さの間の巨大な隔たりに、国民は早く気づかないといけない。この810億円は、私の目には「自分たちから奪った富の不正な流用」としか映らない。
810億円という資金があれば実現できたはずの無数の未来が、石破首相の一存で奪い去られた。国民の生活実感からあまりにかけ離れたこの決定は、政権が国民と同じ大地に立っていないことを証明している。途上国の子どもたちを救うというビル・ゲイツ氏が掲げる大義そのものに、異を唱える者は少ないだろう。しかし、その崇高な目的を達成するために使われるべきは、日本国民が血のにじむ思いで納めた税金ではない。
もし石破首相や自民党がその理念に心から賛同するのであれば、まずは自らの政治資金や党の資産から拠出すべきだ。国民の富には指一本触れず、自らの身銭を切ってこそ、その覚悟が示される。だが彼らは、自らの懐からは一円たりとも出そうとはしない。
国民の犠牲の上にあぐらをかき、国際社会で善人を演じる。これほど欺瞞に満ちた行為があるだろうか。
810億円の財源を国民の前に明確にせよ
国民は家計簿とにらめっこしながら1円でも安い食材を探し、子供の習い事を諦め、自身の老後に絶望している。その一方で、国の指導者は地球の裏側の問題に、国民の富を惜しげもなく投じる。この絶望的なまでの断絶こそが、現代日本の政治が抱える病理の核心である。
まず石破政権は、この810億円の財源を国民の前に明確に示す責任がある。国民への減税には財源がないと断言し続けてきた以上、この巨額な支出を可能にした魔法のような財源の在り処を、一点の曇りもなく説明する義務がある。だが政権は、国民からの信頼という統治の最も重要な基盤を自ら破壊し、説明責任を果たす気配すらない。国民の問いに真摯に答えず、国民の犠牲の上に成り立つ国際貢献を誇るその姿は、国民の代表ではなく、国民の上に君臨する支配者のように見える。
今回の810億円支援表明は、単なる一つの政策決定ではない。国民と政府との間の信頼関係が、回復不可能なレベルまで損なわれたことを示す象徴的な出来事である。石破政権は、減税を求める国民の声を財源論で封殺し、その財源で海外に歓心を買った。この冷酷な現実は、歴史に長く記憶されなければならない。