横山裕“24時間”105km完走に称賛爆発でも噴出する「4つの本質的問題」…募金は一時的に増えるが、長期的には「同情の対象」に固定化

24時間テレビが今年も終わった。チャリティーをうたいながら、出演者ギャラを支払う実態や「お涙頂戴」的な番組構成に視聴者からは批判の声が毎年あがる一方で、人気タレントが一生懸命マラソンを走る姿にはやっぱり感動も覚えてしまう。NHK党議員の元秘書として、公共電波の使い道を厳しく監視してきたライターの村上ゆかり氏がこの問題を語るーー。
目次
横山裕のマラソンに「社会的メッセージ」あり
日本テレビの「24時間テレビ」は長年にわたり「夏の恒例行事」として続いてきた。だが、いま最も注視すべき本質的な問題は、同情を利用して寄付と視聴率を稼ぐ構造が、社会の共生をむしろ阻害しているのではないか、という点である。短期的には募金を集めることができても、障害や病気を抱える等の支援を必要とする人々が「かわいそうな存在」として定着し、支援する人と支援される人の間に「見えない壁」が築かれる。この構造は日本独自の問題ではなく、海外でも同じ批判が繰り返されてきた。SNSが普及した現在、日本でも視聴者がその本質に気づき始めているのではないか。オールドメディアがこの事実に目を背け続ければ、国民との認識の乖離はますます深まる恐れがある。
2025年8月30日から31日にかけて放送された「24時間テレビ48」(テーマ「あなたのことを教えて」)は、放送直後からSNS上で数多くのコメントを集めた。肯定的な意見は主に、出演者の努力や企画のメッセージ性に向けられていた。
横山裕(SUPER EIGHT)が挑戦した105kmチャリティーマラソンはその象徴である。X(旧Twitter)では「#24時間テレビ」「#マラソン」がトレンド入りし、「横山さんが最後まで走り切った姿に元気をもらった!本当にお疲れ様!」という声が拡散した。横山の「子どもたちの未来のために走る」という姿勢や、生い立ちへの共感も広がり、マラソンが単なる挑戦ではなく社会的メッセージを持つものとして受け止められた。
King & Prince永瀬廉と視覚障害のある子どもたちによる「感じる花火」企画は「誰もが楽しめる花火」というコンセプトが評価された。「子供と一緒に見て、チャリティーについて話す良い機会になった」と書き込む親世代の視聴者も多く、家族で考える場になったとの評価が寄せられた。氷川きよしの23年ぶりの出演や「サライ」の独唱も話題を呼んだ。「推しが頑張る姿を見ると応援したくなる」という投稿が拡散し、出演者を応援するファンの熱量が番組全体を盛り上げた。肯定的なコメントはこうした個別企画への感動や共感に集中していた。