国民をバカにするな!政府の愚策「制限付き現金給付」がヤバすぎる理由…死んでも減税したくない自民党が日本人を分断する

政府・与党がまたもや「現金給付に所得制限を設ける案」を検討していると共同通信などが報じた。だが、これは過去に何度も失敗し、国民を怒らせてきた愚策の焼き直しにすぎない。そう話すのは、減税を訴えるSNSで人気のインフルエンサー「キヌヨ」氏だ。「そもそも物価高で困っているのは全国民であり、所得で区別する理由も道理もない。分断を仕掛けて国民同士に不満をぶつけさせ、その隙に政府への批判をかわす――そんな統治手法はこれまでは通用してきたかもしれない。しかし我慢の限界を超えている国民はもう騙されない」。先の参院選で「給付ではなく減税」を国民は明確に選んだ。にもかかわらず給付にしがみつく自民党の姿勢は、民意を全く重視していない証拠ではないのか。キヌヨ氏が解説していく――。
目次
なぜ自民党は過去に繰り返された失敗の焼き直すのか
減税を避ける一方で「財源がない」と言いながら、給付には平然と数兆円を投じる。政府は、この矛盾を国民が見抜けないとでも思っているのだろうか。
今までのように「分断」で逃げ切れると思ったら大間違い。怒りの矛先は、もうはっきりと自民党に向かっている。だからこそ自民党は選挙に負けたのだ。本稿では、現金給付がなぜ愚策なのか、そして自民党がなぜ減税ではなく給付にこだわるのか、に迫っていく。
政府が再び所得制限付きの現金給付を検討していると共同通信などが報じた。だが、これは過去に何度も失敗を重ねてきた政策である。まず最大の問題は事務コストと時間の浪費だ。所得情報の確認には住民税課税情報や所得証明が必要となり、自治体の事務負担は爆発的に増大する。結果として給付が遅れ、緊急性を要する政策目的が骨抜きになったのは、2020年のコロナ給付金で国民が経験済みだ。
次に、不公平感の蔓延である。例えば制限ラインを1万円超えただけで全く給付が受けられない「逆転現象」、同じ収入でも扶養家族数や生活状況に差があっても考慮されない硬直的な制度設計。所得制限は「不公平を新たに生む」政策に他ならない。
さらに、所得捕捉のズレが深刻だ。コロナ禍やリーマンショックのような急激な所得減少は直近の課税データに反映されず、自営業やフリーランスの実態を正しく把握できない。必要な人に届かず、不要な人に届く。これが所得制限の宿命である。
マジで意味がない!政策効果そのものが削がれるという致命的ポイント
制度が複雑になれば、行政窓口には問い合わせが殺到し、現場は混乱の極みとなる。申請漏れや誤りも増え、国民の不信感を募らせるだけだ。
そして最も致命的なのは、政策効果そのものが削がれる点だ。本来、給付金の狙いは経済対策にある。しかし対象を絞ることで経済波及効果は限定的になる。給付を一律から制限へ切り替えるたびに、「せっかくの財源を注ぎ込んでも経済効果はほとんど出ない」という結果が繰り返されてきた。
この繰り返しは、すでに2020年の特別定額給付金の際に証明された。当初の「住民税非課税世帯に30万円」案が国民の猛反発を受け、「全国民一律10万円」に修正されたのは、所得制限の欠陥があまりにも明白だったからだ。それにもかかわらず、再び同じ轍を踏もうとしている政治の姿勢は、愚かとしか言いようがない。
そもそも「給付」そのものが時代錯誤
問題は所得制限に限られない。給付という手法そのものが時代錯誤なのである。給付は一時的に「配る」ことで人気取りの即効性はあるが、根本的な経済構造を変えることはない。しかも、給付は「配るための事務」が必ず発生し、制度を複雑にし、膨大なコストを浪費する。一方で減税は、ただ「取らない」だけで済む。手間もコストもかからない。国民にとって重要なのは「手元にお金が残ること」であり、それが給付であれ減税であれ最終効果は似ているかもしれない。だが、減税は恒常的かつ透明で簡素、給付は一時的かつ不透明で煩雑という決定的な違いがある。給付に固執するのは、選挙のたびに「現金ばらまき」という分かりやすい手法で支持をつなぎとめたいだけだ。その場しのぎの人気取りが、時代に合わせて切るものを切っていく「財政構造改革」を遠ざけてきた。
忘れてはならないのが、直近の参院選である。自民・公明両党は「国民一律2万円給付」を公約に掲げたが、結果は歴史的敗北だった。対する野党は「減税」を掲げ、有権者はそちらに票を投じた。つまり国民は、「給付ではなく減税」を明確に選んだのである。それにもかかわらず、なおも給付にこだわる姿勢は、有権者の意思を真っ向から踏みにじるものだ。
さらに不可解なのは、自民党や周辺の有識者が繰り返す説明だ。
財源論の矛盾 「減税はできないが給付はできる」
減税の議論になると「財政状況はきわめて良くない」「プライマリーバランス改善が必要」と言い立てる。ところが、給付の話になると平然と数兆円規模の予算を計上する。「減税はできないが、給付はできる」――この矛盾をどう説明するのか。国民にとってはどちらも「可処分所得を増やす」点で同じ効果を持つ。だが減税は構造改革につながり、給付は単なる支出に終わる。だからこそ自民党やその周辺は徹底的に減税を嫌うのだ。自民党にとって減税は支持母体(補助金、助成金)にメスを入れることにつながるため絶対に避けたい。給付にこだわる自民党にとって大事なのは国民の生活ではないということなのだろう。
結局のところ、国民の可処分所得を増やす合理的な方法は「減税」しかない。減税は、複雑な制度設計や膨大な事務負担を必要とせず簡素であり、全国民に等しく効果が及ぶ点で公平だ。しかも給付と違い一時的ではなく、将来にわたり継続的に可処分所得を押し上げる力を持つ。さらに税制全体の見直しを促し、先送りされてきた構造改革を進める契機ともなる。減税は国民の暮らしを支える最も確実で長期的な処方箋であり、景気回復の原動力そのもので、投資や雇用拡大にも直結する。今こそ減税に踏み切ることで、政治は真に国民を向いた転換期を迎えるべきだ。
これは過去の失敗を繰り返すだけの愚策だ
世界各国でもインフレ下で減税や減免措置を打ち出す動きが広がっている。米国ではガソリン税の一時停止、欧州でも付加価値税率の引き下げや電気料金への軽減措置が実施されている。日本だけが減税をしない理由はどこにもない。これ以上自民党がまた選挙で示された民意を無視し、分断を助長する政策を繰り返すなら、国民の怒りはさらに高まり、そして市場もまた、その迷走に冷徹に反応するに違いない。
所得制限付き給付は過去の失敗を繰り返すだけの愚策である。事務は遅れ、不公平は増し、制度は混乱し、経済効果は薄れる。そして何より、国民を分断し、政治不信を増幅させる。そもそも物価高で困っているのは全国民であり、所得で区別する理由も道理もない。今までは分断によって批判をかわしてきたかもしれないが、今回ばかりは民意の怒りはそんな小手先の仕掛けでは収まらない。国民が選挙で突き付けたのは「減税」であって「給付」ではない。
給付型政治に固執する自民党政権は呆れるばかり
それを理解せずになおも利権を保持できる給付型政治に固執する自民党政権は呆れるばかりである。
「給付か減税か」。国民は選挙で「減税」という明確な答えを出したのに、それを読み違えた政権は敗北を喫した。マーケットはこうした政治の迷走に敏感だ。政策の一貫性が揺らげば、消費マインドも投資マインドも冷え込む。逆に、減税という「わかりやすく公平」な選択が示されれば、市場も国民も前向きに動き出す。
この問題は、単なる経済政策論争にとどまらない。国民の政治への信頼、そして民主主義のあり方そのものが問われている。今こそ、国民の声に真摯に耳を傾け、未来を見据えた政策転換が求められる。
あなたはどう考えるだろうか。給付と減税――どちらが本当に日本経済を押し上げるのか。
読者の皆さんの意見を伺いたい。