総裁選・茂木が手ぶらで子ども食堂訪問に「食べ物持って行くのが筋じゃない?」柴田淳…鈴木貴子も無視する「貧困対策丸投げ」問題

9月21日、自民党総裁選候補の茂木敏充氏が東京都江戸川区のこども食堂を視察した。子どもたちとカレーを食べ、70歳の誕生日を祝うサプライズを受けた様子が動画で拡散された。肯定的な意見もみられる一方で、この動画を視聴した一部の国民からは、祝われる立場を演出したことへの違和感、手ぶらで訪問したことへの批判、こども食堂を政治利用したのではないか等のコメントが寄せられた。例えば、シンガーソングライターの柴田淳氏は「どっさり食べ物持って行くのが筋じゃないの?」とXにポストし話題を呼んだ。
茂木氏のこども食堂視察と関連し、鈴木貴子衆議院議員が9月23日にXで「こども食堂は誰でも利用できる」「気軽に行ってよい」と強調したコメントをポストしたが、このコメントに対する反発が即座に広がった。
この問題について、NHK党秘書時代に政府のお金の使い方について厳しく追及してきたコラムニストの村上ゆかり氏が解説していくーー。
目次
鈴木貴子議員、2000万impの大炎上!
「他人のフンドシで相撲を取るな。政治がクソだからこども食堂が必要なのに」と批判や、「ボランティアや寄付で成り立つ活動に我が物顔で意見する厚かましさ」
鈴木氏の投稿に対する批判の中心は、鈴木氏が「誰でも食べに行って良い」と呼びかけたことが、限られた資源で運営されるこども食堂にさらなる負担を強いる恐れがあるとの懸念だった。鈴木氏のポストは2千万インプレッションを超え、いわゆる大炎上を引き起こした。茂木氏の視察自体が総裁選前のパフォーマンスと受け止められ、現場の苦労を軽視しているとの印象や批判が一部から出ていたところ、鈴木氏の投稿がこの印象を助長し、運営者の負担やこども食堂の本来の目的(困窮世帯支援)を無視した発言と映ったことが、炎上の要因となった可能性が高い。
こども食堂は全国で1万カ所を超えている。始まりは2010年に東京都大田区で近藤博子さんが「だんだんこども食堂」を開いたことに遡る。2016年には全国で約300カ所程度とされていたが、その後急速に拡大した。2018年には全国で約2000カ所、2020年には約5,000カ所まで伸び、2022年には7,000カ所を突破した。2024年度には1万867カ所に達し、利用者は延べ1200万人に達している。
こども食堂の運営資金は約60%が寄付やボランティアに依存し、補助金の採択率は約50%で、申請に伴う事務負担が課題となっている。こども食堂の運営主体は多様であり、任意団体や市民活動グループ、NPO法人、社会福祉法人、宗教団体、自治会や町内会、企業のCSR活動のほか、個人が主体となって小規模に行うものもある。
急激に拡大する子ども食堂事業
さらに、地域や開催頻度による格差も存在している。
数字の推移を追えば、その急激な拡大ぶりが見えてくる。2010年にたった1カ所だった活動が14年間で1万を超える規模に成長した。この増加は、単なる草の根運動の積み重ねだけで説明できるものではない。国や自治体がこども食堂を地域福祉の一環として位置づけ、補助金や助成金を交付する仕組みを整備したことが大きな後押しとなった。申請に応じて活動費の一部が支給されるようになったため、新規参入がしやすくなり、既存団体も活動を継続しやすくなった。企業も社会的責任(CSR)の一環として食品や資金を提供するようになり、フードバンクや食品メーカー、小売業者が廃棄予定の商品を寄付する仕組みが広がった。
さらにテレビ番組や新聞、広告などで「こども食堂」が社会貢献の象徴として繰り返し取り上げられたことにより、一般市民やボランティア希望者の認知度が急速に高まった。制度的支援、企業参加、メディアの広報効果という三つの要素が相互に作用し、こども食堂が全国規模で短期間に拡大する土台を形作ったのである。広告やテレビ番組で「こども食堂」が紹介されることで認知度は一気に高まった。この「こども食堂」の急伸は、持続性という観点から見れば極めて不安定ではないか。
補助金が得られない団体や小規模の運営団体に特に過度な負担
日本のこども食堂は善意の活動として始まり、前述した国や自治体の支援やメディアによる広告効果等で一気に急拡大した。しかし、こども食堂の運営基盤は根本的に変わっていない。こども食堂の運営資金の多くはボランティアの無償労働や市民からの寄付に依存しており、国や自治体の補助金も用意はあるが申請件数が多いため競争が激しく、毎年すべての団体が確実に得られない上に、補助金申請に係る事務的なコストは特に小規模団体にとって相当の負担がある。人材面でも慢性的に不足し、補助金が得られない団体や小規模の運営団体に特に過度な負担が集中している。
現場では、単に食事を提供するだけでなく、虐待を受けている可能性のある子どもや、ギャンブル依存や精神的な問題を抱える保護者と関わることもある。こうした家庭は本来、児童相談所や専門の福祉機関が対応すべきケースである。行政の担当部署同士の連携がうまくいかず、こども食堂の運営者が孤立したまま難しい問題を抱え込む状況が生まれている。
こども食堂は根本的な解決策ではない
メディアや広告によってこども食堂の存在が広く知られるようになったことで、本当に支援を必要とする子どもだけでなく、比較的余裕のある家庭の子どもも「気軽に利用できる場所」として訪れるようになった。結果として、限られた資源を割いている現場に、さらに負担がのしかかることになる。寄付や補助金が集まっている姿だけが強調されることで「こども食堂は儲かっている」という誤解を持たれる場合もあり、実態との乖離が運営者の精神的負担を大きくしている。善意から始まった活動が、過剰な期待や誤解、過重な責任によって続けることが難しくなるという矛盾が顕在化している。
子どもの貧困の根本原因は主に親の雇用と所得、教育格差、住宅問題にあり、国や自治体が制度として対応しなければならない領域である。こども食堂はその隙間を埋める存在にとどまるべきであり、根本的な解決策ではない。「月に数回の食事や数キロのお米では貧困は変わらない。」こども食堂を最初に始めた近藤博子さんは、この点を繰り返し指摘している。
本来は国や自治体が担うべき子どもの貧困対策
こども食堂が果たせる役割は、子どもに安心できる居場所を提供し、地域の交流を促し、見守りの目を広げることにある。本来は国や自治体が担うべき子どもの貧困対策をこども食堂が代わりに引き受けると、一時的に解決したかのように見えてしまい、結果的に国の役割や責任が弱まってしまう。こども食堂にいくら補助金や助成金を出しても構造的には同じであり、本質的な課題解決を遠ざけるばかりでなく、ボランティアの善意を行政が制度的に利用しているようにも見える。
海外の制度と比較すると、日本のこども食堂の弱点が明確になる。アメリカでは「Summer Food Service Program」が連邦政府の資金で運営され、州や自治体が実施主体となり、教会やコミュニティセンターを拠点に食事が提供される。特に夏休みや休日など学校給食がない期間に重点的に実施され、年間約2億食以上が提供されているという統計が示されている。日本のこども食堂が善意の広がりとして始まったのに対し、海外では子どもの食を守る制度がまず存在し、その上で地域の活動が補完する。日本では制度の不在を善意のボランティアが埋め、さらにそれを後押しする国や自治体、メディアの存在により「こども食堂」が過度に拡大したことで、制度そのものの本質的な問題を副次的に見えにくくしてしまっている。
鈴木氏の「誰でも利用可」は、現場の現実を無視した発言
これが日本のこども食堂の持つ最大の課題である。現在の政府の政策は児童手当や一時的な補助金等に重点を置いているが、子どもの貧困対策は補助金に頼るだけでは不十分であり、家庭と地域が自立できる仕組みを整えることのほうが重要ではないか。そもそも子育て世帯の貧困対策には、賃金上昇や安定雇用の拡大など経済政策による底上げが不可欠である。しかし、こども食堂の数と利用者が増え続けている現状は、政府が掲げる経済対策の成果に疑念を抱かせる。現に厚生労働省やこども家庭庁の統計でも、子どもの相対的貧困率は依然として高止まりしている。これは政府の政策に子どもの貧困問題に対し実効性のある政策が欠けていることを裏付けており、これが結果的に「こども食堂」の現場を苦しめているのではないか。
SNSの炎上は単なるデマや誹謗中傷だけではなく、その批判内容に本質的な問題や民意が潜んでいる可能性がある。茂木氏の視察が選挙キャンペーンと映ったことや、鈴木氏の「誰でも利用可」が現場の現実を無視した発言と受け止められ、こども食堂が抱える問題や、こども食堂の陰に潜む子どもの貧困問題の構造的背景を理解度に対する不満が背景にある可能性を示している。こども食堂が制度の不備を補う役割を担い、持続可能性や負担増に直面する現状は、補助金頼みでは解決せず、包括的な貧困対策が必要であることを浮き彫りにしている。今回の「こども食堂視察」炎上事案をきっかけに、こども食堂の根本的な問題に目を向けた議論が深まることを、筆者は心から願っている。